第13話【開店】

 夜明け前、尾根に風。

 如月勇斗は土に指を置き、胸の内で短く告げる。


 v1.1 “Carnival/Restraint”

 ・販売ノード:迷宮内にショップを設置。帰還石に隣接し、通路を塞がない。

 ・店員:木人形。攻撃不可・無害。拍崩れ検知で客を休息へ誘導。

 ・迷宮コイン:結晶貨(六角薄片)。迷宮内のみ有効。退出時は記念証と等価クーポンに変換。

 ・ガチャ:消耗品・演出・装備中のみの軽いオーブ。恒常強化は出ない。

 ・賭場(サロン):四拍基準のミニゲーム。上限額・時間制限・拍崩れ退場。

 ・痛みは残す。死は避ける。報酬は遅く。


 踊らない夜の針を、一つだけ進める。


 午前五時半。玻璃筒の三層。

 セブンス・ノード先鋒、鶯谷恭弥は角を曲がって目を瞬いた。岩壁がふいに滑らかに削られ、棚板が並んでいる。棚には白い飴の小袋、赤い小瓶、拍合わせ笛、視線遮断フードの替え。手前の床に星形(迷い点)が三つ置かれ、その奥に帰還石(結晶碑)が立つ。結晶の横、肩幅ほどの木人形が静かに一礼した。節のある指が胸の前で重なり、口のない顔がほんの僅かに傾く。


「SHOP……だと」


 後衛が漏らす。壁に刻まれた文字は古い寺院の銘文のようで、上から小さく刻印が添えられていた。


 走らない 触れない 引き返す

 迷ったら戻る


 恭弥は迷い点の上で呼吸を四拍に整える。木人形の脇の立札に価目表。


 拍飴(30秒、ビープと呼吸の同期を助ける)… 3コイン


 反響耳栓(反響性眩暈を微軽減、120秒)… 5コイン


 無音の布(ブルースライム処理用、1回)… 8コイン


 帰還札(救助者に貼付で石まで導線強化)… 12コイン


 嗅覚微強化オーブ(装備中のみ)… 15コイン


 棚の端に小さな箱。迷宮コインと書かれ、六角の薄片が重なっていた。縁が淡く光り、触れると冷たい。

 後衛が袋から昨日の結晶片を出しかけ、恭弥が首を振る。

「コインだけだ。結晶は外で公社へ」


 戦闘で落ちたコインを数える。19。耳栓と布、拍飴を買う。木人形が箱を開け、無音の所作で品を渡す。装備証明のタグが微弱に点り、手袋越しでもログが刻まれる。


「ガチャは?」

「右だ」


 通路の窪みに、石のガチャ台。手回しの金属柄がつき、口の先に小さな受け皿。上にはまた立札。


 演出品:星屑、紙吹雪、光る花火(洞内安全仕様)

 消耗品:拍飴、布、簡易赤色灯

 軽オーブ:視界微広角・反響微調律・体温微保持(装備中のみ)

 ※恒常強化は出ません。走らない・触れない・引き返す


 索敵役の隊員が3コインを入れて柄を回す。カチ、カチ、カチ。四拍目で透明な卵が転がる。中身は紙吹雪。皆が失笑し、恭弥は肩を震わせる。次に反響微調律の軽オーブ。装備した瞬間、洞の息が半音ずれ、すぐ戻る。効き過ぎない。これでいい。


「射手の二段、来る」


 耳栓を配り、拍飴を舐める。四層に入ると、アーチャーの矢は確かに二段で来た。恭弥は一拍遅れで線を横切り、刃を低く。粘体は無音の布で切り離し、石に押し付けて冷やす。帰還札は救助者の胸に貼る予定だが、今は使わず温存。


 戦闘が沈む。迷い点に立って拍を戻したところで、奥から音。琥珀色の光が揺れ、**賭場(サロン)**の扉がひらく。扉の上に表札。


 四拍サロン/上限:一人20コイン・30分


 中は広間。中央に四分割の光盤があり、輪のように星の座面が並ぶ。木人形が二体、両端でディーラーの身振りをする。壁に規則。


 ・四拍を乱すと休憩へ誘導

 ・上限に達したら自動退場

 ・帰還石は常にこちら


 恭弥は中へ入らず、入口で目だけで巡回する。新人二人が興味津々で身を乗り出し、恭弥が軽く手を上げる。

「今はやらない。戻りに一回だけ」


 木人形が頷いたように見えた。見間違いかもしれない。拍のせいでそう見えるのなら、設計はうまくいっている。


 昼前、観光型のツアーが同じフロアに入ってくる。ガイドは落ち着けと手で示し、四拍のビープを短く鳴らす。子どもたちの視線はガチャ台に吸い寄せられ、保護者は価目表を素早く読み、帰還石の位置を確かめる。木人形が胸の前に手を重ね、会釈を一つ。

「買いすぎないように」「戻るの練習をしてから」

 ガイドの口調は穏やかで、句点の位置が良い。拍飴を一袋だけ買って笑う親子、光る花火を回避して赤色灯を選ぶ祖父、体温微保持を装備して「温かい」と首をすくめる母親。消費の速度は制限され、財布は空にならない。楽の中に止めがある。


 ツアーが去ると、OSINTが掲示板に短い検証を上げた。


 ・価目は**±0.3%で揺れる(在庫と混雑に同期)。

 ・ガチャの軽オーブは効果時間短**。装備中のみ。

 ・賭場の退場閾値は拍崩れ+上限額の二条件。

 結論:遊園地ではない。拍の教室だ。


 午後、救出が入る。

 十一層の角に若い男が座り込み、笑っていた。恐怖鈍化の笑いだ。恭弥は帰還札を男の胸に貼り、帰還石までの導線を太くする。札の端が鈍い光を帯び、男の足元の星が次々と点く。木人形の店の前に到達すると、胸の札が微音で鳴り、男の目に焦点が戻った。

「ここは?」

「店。飴を舐めて、戻る」


 拍飴を1、反響耳栓を1。男の呼吸が整う。木人形は二体で出口側に立ち、道を示すだけ。押し込まない。引っ張らない。誘う。


 隊の補給もここで整える。ガチャを一度だけ回す。出たのは紙吹雪。隊の空気が少しだけ軽くなる。紙吹雪は洞犬に効かないが、人の肩を温める。


 帰路、サロン前に再び立つ。新人のひとりが四拍ルーレットを一回だけ。上限が低く、遊びは短い。光盤の色が拍に合わせて変わり、星に座った足裏が冷える。勝っても二コイン。負けても二コイン。木人形が薄く会釈し、入口の帰還石に手で円を描く。戻るの動線は、娯楽でも常に見える。


 夕方。商店街のテレビが特番を流す。

「迷宮ショップって何?」

 コメンテーターが笑い、MDI公社の担当が説明する。

「補給と教育です。拍の整え方を楽と組み合わせて教える。現金は使えません。迷宮コインは外でクーポンに変わりますが、換金性は抑えています」

 別枠で理論迷宮学の東ヶ丘教授。

「許可の問題です。“面白く”の範囲を広げるなら、止めるの技術を同時に磨くべきだ。賭場の上限と退場は、設計者の良心に見える」

 司会が次の話題に移り、画面はMDI-100と感染者数に戻る。


 夜、掲示板に短いスレ。


 ・木人形は客の拍を見て立ち位置を変える(多分)。

 ・帰還札は救助の導線を太くするだけ。強制ではない。

 ・ショップ前の星(迷い点)は一枚多い。

 結論:店は出口の練習場。


 そのころ、尾根。

 勇斗はパッチノートの余白に一行足す。


 ・ガチャ:紙吹雪の出現率+5%(空気を軽くする)。

 ・賭場:拍崩れ検知の閾値−0.02(眠らせる前に外へ)。

 ・帰還札:札の音をやわらかく。


 声にはしない。針は目立たないまま刺さり、踊らない夜が保たれる。


 夜の巡検。恭弥は店先に立つ木人形の前で一呼吸する。木目の顔は表情がないのに、安心の角度をしている。棚の端に注意書きが増えていた。


 ・買わない練習も、練習。

 ・戻るの練習は、いつでも。

 ・走らない・触れない・引き返す。


 隊の誰かが小さく笑い、誰かが肩を落とす。肩が落ちた分だけ、拍が揃う。

「買わない。今日は」


 恭弥はそう言い、帰還石に手を当てた。導線が太く伸び、星が遠くまで点く。紙吹雪の一枚がポケットから零れ、石の根元でふわりと沈む。ふざけた紙切れ一枚で、死は避けられない。だが、重さは軽くなる。軽くなった分だけ、止めが利く。


 外へ出ると、夜風が耳を冷やした。四拍で吸い、四拍で吐く。

 背後で木人形が一礼した気配がした。聞こえた気がしただけかもしれない。拍がそう見せるのなら、やはり設計はうまくいっている。

 街のテレビはショップのニュースを繰り返し、コンビニのガチャには限定色の告知が貼られる。ツアーバスのパンフレットには新しく「店で買えるのは少しだけ」と太字で載り、下帯は相変わらずだ。


 見ない・近づかない・引き返す

 迷ったら戻る。苦しいときは話す。


 迷宮は遊びを覚え、止めを忘れない。

 楽を増やし、死を遠ざけ、拍を教える。

 そして夜はまた巡り、朝はまた昇る。

 木人形は笑わない。客が笑う。必要なとき、戻る。

 それで、今日は十分だった。

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現代ダンジョンの影の支配者 犬山テツヤ @inuyama0109

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