第4話【舞い】

 午後二時四十分。総理官邸、地下の危機管理センター。

 壁一面のスクリーンに日本地図が広がり、赤いピンが一つ、また一つと増える。界孔A-01から始まった番号はA-17に届き、北から南へと点が繋がる。空調は強めで、紙の端がわずかに揺れた。


「議題一点目。**特定異常災害(特異災)**の暫定指定について」


 官房長官の声は落ち着いている。防衛、警察庁、消防庁、文科・経産・厚労の局長級が円卓に並び、モニター越しに数県の知事が参加する。総理は資料の一枚目をめくった。

「住民の“恐怖反応鈍化”は統計的に確認できるか」

 内閣情報調査室の担当が短く答える。

「初期通報のうち七件で同様の記述。バイアスは否定できませんが、行動規範の文言に反映させる価値はあります」


 ――同じ時刻。飛騨山脈、風衝地の尾根。

 如月勇斗はザレ場に膝をつき、指先を地面へ置く。仕様を静かに流し込む。

 ――開口楕円、初期層三。

 ――日没縮退。致死閾値で排出。

 ――可視化:レベルカードの自然生成を許可。

 ――ドロップ:スキルオーブ/ポーションは低確率、結晶片は高確率。

 ――UIは**“迷宮の癖”として出す。

 祈りではない。実装だ。

 胸郭の裏で熱が一つ跳ね、土の下の核が目**を開ける。


 官邸。

「情報戦対策。SNSの“落ち着く”ミーム化が進んでいます」と総務の担当官。

 警察庁次長が引き取る。「広域隔離命令(LQO)の準備は済み。夜間の外出自粛を各自治体と調整中。配信の現場過負荷には抑制的に対応します」

 防衛大臣は短く頷く。

「銃弾は効く。現時点では核が浅い。ただし弾薬在庫に限界。訓練転用を検討」

 文科の局長がメモに線を引きながら口を開いた。

「一部、同じ夢を見る報告が学校から。疫学班を動かします」


 ――尾根。

 勇斗は封針を四隅に打ち、次の段を組む。

「音で学ぶ階」はそのままに、“見える数字”を静かに紛れ込ませる。

 靴底が正しいリズムを刻むと、苔の端に微小な数字が浮かぶ。

 1/10。

 体力+1ではない。**“階の理解度”**が一つ上がるという“癖”に見せる。

 彼は笑いを飲み込み、ひとつ足で拍子を取った。


 官邸。

「名称は“界孔”で統一する。自然発生の説明は“地震後の空洞現象”でよい」

 総理の決裁は簡潔だ。

「資源について?」と経産。

「未知資材は公社買上げ下限を設定。闇市場は取り締まる」

「研究倫理はどうする」

「第三者監査を立て、公開プロトコルで運用を」

 議場に小さなうなずきが連鎖する。言葉に踊りが入る。否定と肯定の間で、語尾が揺れ、数値の裏で願いが揺れる。


 ――尾根の下、廃れた索道の基柱の影。

 勇斗は設計孔 v0.5を立ち上げる。

 レベルカードは透明結晶の板として落ちる。

 人が拾えば、名前と年齢と、レベル1という最低限だけが浮かぶ。

 数字は少なく、遅く、面白さのかわりに継続を与える。

「遅い快感は、長持ちする」

 喉の奥で笑いが弾け、彼は一歩だけ踵で地面を叩いた。

 乾いた高音が尾根に跳ね、風が旋回する。


 官邸。

「自衛隊現場より。名古屋ダンジョン内、木製の箱が出現。中から古文書様の異文書。撮影のみで回収待ち」

「演出の可能性は?」

「判断不可。ただ、危険性は低いと見ます」

「同時に透明結晶のカードが数枚。**名・年齢・“レベル1”**と表示」

 室内が軽くざわめく。

 官房長官が咳払いを一つ。「本件、ゲーム化の言説を招く。報道表現は慎重に」

 総理が一枚目の資料を閉じ、短く言う。

「人を動かす仕組みを、こちらが先に設計する。安全レールを持った上でだ」


 ――尾根。

 勇斗の視界に、遠い倉庫街の影が映る。

 結晶カードが拾われ、指の温度で薄く光る。

 彼は両手を広げ、風の拍子に合わせて回る。

 一歩。

 二歩。

 三歩。

 高笑いは山に吸われ、夜鳥が一度だけ鳴いた。

 踊る。

 胸骨の内側で、七年分の渇きがはぜる。

「やっとだ」

 声は風に混じる。

「救うためじゃない。面白くするためにだ」

 言い切った瞬間、自壊の紐の感触が掌に戻る。

 彼は笑いを静め、針の位置を微調整した。

 可視化は始めた。だが死なせない。痛みは残す。

 踊りは続けるが、踊り場の縁は濡れ縁ではない。


 官邸。

 厚労は感染症法上の扱いを、総務は通信インフラの増強を、文科は学校の夜間閉鎖を提案する。

 警察庁は「“見ない・近づかない・戻らない”を下帯で流し続けるよう各放送局に依頼」と読み上げる。

 防衛は「志願兵を含む訓練モードの創設」を進言し、法務が眉を上げる。「安全レールが担保できるのか」

 席の端で、内閣官房の若い参事官が小さく首をかしげた。「もし**“設計する誰か”がいるのなら、いっそ交渉、あるいは公開仕様の場へ引っ張れないか」

 室内に一瞬の空白ができ、官房長官が淡々と塞ぐ。「確認されていない存在との交渉は想定外。現実を先に」

 踊りは途切れない。議場の拍**が回る。


 ――尾根。

 勇斗はパッチノートを頭の中にだけ書く。


 v0.5 “Visible Myth”

 ・レベルカード:自然生成。名・年齢・レベル1のみ。

 ・スキルオーブ:稀。装備中のみ効果。

 ・痛覚:訓練70%、実戦100%。致死閾値で排出。

 ・日没縮退:夜は設計孔を縮め、呼ぶだけに。

 ・封印:事故率が**±0.3%を超えたら自壊**。

 ※ログは3:00自動消去。


 書かないノートは、舞台裏だけに響く。

 響きに合わせ、彼はもう一度だけ足で拍を取った。


 その夜のニュースは、言い回しを選んだ。

「透明なカードが確認されました」

「表示は“名・年齢・レベル1”です」

「現象の一部であり、参加を促す意図は確認されていません」

 下帯には、見ない・近づかない・戻らない。

 画面の隅で、MDIの文字が静かに点滅する。


 掲示板では、**“レベル1”**のスクショに歓声と冷笑が入り混じる。


 これ現実?

 夢じゃないの?

 いや、夢を現実にしてきたのはいつも人間だろ


 OSINTチャンネルは冷静だ。


 カードの発光は皮膚温に連動。偽造ではない可能性が高い。

 近づかないで。


 官邸の会議は二十時過ぎに散会した。

「次回は明朝七時」

 総理の一言で席が立つ。廊下に出た瞬間、誰もが自分の拍を取り戻す。

 電話の呼吸。メールの呼吸。人の呼吸。

 会議の踊りは、場所を変えて続く。


 ――山。

 風は乾き、星が三つ。

 如月勇斗は刃を鞘に納め、観覧車の影みたいに細い月を仰ぐ。

 レベルカードが最初に光った地点が、視界の端で小さな脈を打つ。

 彼は踊った。

 足を二度、三度。

 高笑いはもう短い。

 喜びは仕様の手触りに溶け、胸の奥で静かな律動になる。

「続きは、明日」

 言葉は軽い。

 軽さの下で、針は重い。


 彼は最後に自壊の紐をもう一度確かめ、設計孔を夜のサイズに縮めた。

 遠くでフクロウが鳴く。

 官邸の窓にも山の風は届かないが、同じ踊りはどちらにもある。

 会議の言葉、迷宮の壁、そして人の感情。

 それぞれの拍がずれて、また合う。

 ずれた瞬間に、物語が進む。


 夜が濃くなる。

 世界は今日、少しだけ“面白く”なった。

 誰の許可か、と問う声は明日、また増える。

 増えた声の分だけ、勇斗は針を増やす。

 踊りは、まだはじまったばかりだ。

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