ジョセフは愛を語る

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話 存在しない少女

「この馬がいい。毛色がリーニーに似ているから」

 銀色に輝く馬の首を撫でてやる。

 後ろを向くと、リーニーが手遊びをしていた。俯いた顔にプラチナシルバーの髪が垂れている。

「さあ、森まで遠乗りしよう」

 先にリーニーを馬の背に乗せる。後ろから身体を支える。手に震えが伝わる。

「もしかして、怖い?」

 首を横に振る。

「ジョセフ。人の頭のにおい、かがないで!」

 思わず、笑い声が溢れる。

 初対面のリーニーと言ったら。もう一度、香りを堪能する。間もなく、肘鉄をくらう。

「悪かったって」

 リーニーは鼻を鳴らした。

「乗馬服姿もなかなか魅力的だよ」

 それはもう聞いたとリーニーがむくれている。何度でも褒めたいのだと伝える。

「褒めても何も出ませんよ」

 リーニーが声を落とす。今、リーニーはどんな表情をしているのだろう。馬の速度を上げる。

「わっ」

 白い花びらが顔のすぐ前で舞い上がる。ここは、野生のリンゴの木の群生地。リーニーを馬から下ろしてやる。

「こんなところにリンゴが……」

 リーニーは周囲を見回している。そして、何かに気づく。一本だけ、赤々とした果実が実っている。

「え、今は春だよね?」

 首を傾げると、後ろに垂らしたおさげが背中を滑った。ぽんと肩に触れる。

「そこで待っていて。あれは、魔法使いでないと分けてもらえないものだから」

 こくんと頷く。

 ここは、禁足地。その証拠に、踏み出した足に急成長した草が絡みつく。眼前に、熊の爪が迫る。

「私の名前は、ジョセフ・フラクタル。魔法使いです」

『証を見せろ』

 熊が唸り声を上げる。

 先刻のリーニーにならい、視界にリンゴの木を入れる。パチンとウインクする。ザッと白い花びらが空間を満たす。

 世界に、実りの秋が訪れる。甘い蜜の香りが漂う。リーニーはくしゃみした。はっとする。

「リーニー、リーニー、リーニー。お大事に!」

「今、おまじないはいいから……」

 昔ながらの風習で、くしゃみをしたらすぐに当人の名前を三回呼び、お大事にと続けなければならない。そうでないと、風邪をひいてしまうかもしれない。

「そうだ。ここのリンゴは大層、身体にいいよ」

 急ぎ、リンゴを一つもぎ取る。リーニーは、受け取らない。あれ、どうしたのだろう。

「リーニー? 具合が悪いの?」

 上げた顔は、青白い。紫色の瞳が揺れている。

「いないんだ」

「え?」

 私は耳を疑った。

「最初から、リーニーなんて少女は存在しないんだよ」

 私は持っていたリンゴを落とした。





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