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 それから一週間、「とんでもなく良いものを手に入れた」という高揚感と「まずいことになったのでは」という恐怖がないまぜになって、落ち着かない日々を過ごした。

 正直に認めるが、人を殺すことができる道具を持っているということが、こんなに心強いことだとは知らなかった。

 奇妙な人形は、何も言わずにわたしの部屋のテレビ台の上に鎮座している。飯田にねちねち言われたり、仕事で失敗したりしても、家に帰れば人形があると思えば、少し胸の痛みが落ち着いた。お守りがわりにバタフライナイフを隠し持つ思春期の少年の気持ちが、初めて分かった気がする。

 お守り。そうだ、これはお守りだ。

 どんなにまずいものだったとしても、お守りとして持っているだけならば、無害だ。わたしにはまだ自分を理性の岸にぎ留めたいという意思がある。

 しかし同時に、そんなにうまくいくものだろうか、という漠然とした恐れが常にまとわりついている。呪いの人形だなんてものをお守りにして、何事もないなどと、そんなことがあるだろうか。

 逡巡した挙句、わたしは人形について調べることにした。人形の処遇をこれからどうするか決めるにせよ、正体が分からなければどうしようもないだろう。一体これは何なのか。

 スマホで写真を撮って画像検索してもヒットはない。夜な夜な、仕事を終えてからネットで片っ端から呪いの人形の情報を漁ったが、『呪いの人形』いうワードでは情報量が莫大になる上、ごくありふれた都市伝説やオカルト動画ばかり出て来る。

 これが本当に人魚なのか分からないが、『人魚』というワードをそこに追加してみる。一気に出て来る情報が減ったが、出てきたページを片っ端からクリックしても、めぼしいものはない。いくつかのSNSでも同じように検索をかけてみると、ひとつ気になるものを見つけた。

 Xに登録された『もふじ@なにわのバイクのり』というアカウントで、プロフィールには関西在住のSEとある。アイコンが眼鏡をかけた青年のイラストだから、男性だろうか。   

 フォロワーは百人程度。他愛ない日常を呟いていたようだが、わたしの目に留まったのは十五年も前の投稿だった。

 

 20××年6月10日

 この週末は、バイクで北陸美味いもの巡りの旅してきた!

 寿司、蕎麦、ソースカツ丼、大満喫、大満足。

 雨も降らなかったし、海岸沿いを走ったら海が綺麗で最高。

 ●●浜のところにバイク停めて休憩してたら、地元のおばあちゃんに声かけられて、ちょっとおしゃべり。

 気に入られたんか、ヤバイ人形みたいなんもらってもうた(笑)

 や、ちょっと困る!(笑) なんやろ、これ。人魚っぽいけど。呪いの人形だったらどうしよう(笑)

 

 写真が添付されていた。ぼんやりした曇り空の下に広がる藍色の海をバックに、男性の手が写っていて、何かを鷲みにしているようだ。その『何か』はほんの一部しか写っていないが、わたしがもらった人形の尾びれらしき部分に似ているような気がした。

 いいねは十個ほどついているものの、その投稿にリプライを寄せている人はいない。二日後、居酒屋ランチの写真をアップしたのを最後に、投稿は止まっている。もふじはもうこのアカウントを使っていないようだ。

 少し迷ったが、ダイレクトメッセージは受け取れる設定のようだったので、『詳しい話を聞きたい』という旨のメッセージを送信した。通知する設定にしているかは分からないし、返事がある望みは薄い。期待してはいけないと自分に言い聞かせた。

 

 

「藤野さん、ちょっと」

 朝八時、オフィスに入った途端、飯田が不機嫌そうに呼ぶ。わたしは鞄だけ自席に置いて、パソコンの電源をつける間もなく、課長席へ飛んで行く。

「来週の業務連絡会の草案、なんだこれ」

 わたしが昨日提出していた、代理店向けの業務連絡会用の資料を机に放る。放り出されるのと叩きつけられるのの中間くらいの乾いた音がした。

「はい、あの」

「何年目なんだよお前さあ。学生じゃねえんだから」

「すみません」

「あのさあ、とりあえず謝ればしのげるって思うのやめろよ」

 そこから十五分、延々と資料の駄目出しをされ、わたしは無表情で突っ立って聞いていた。胸にどんどん澱が溜まっていく。飯田の説教の回数は日増しに多くなっている気がする。

 駄目出しの内容には、理不尽なものと理不尽でないものが交じっている。全てが理不尽というわけではないのがミソだ。全く文句のつけられる余地のない完璧な資料を作っていたのなら、きっとみんなわたしに同情するだろう。でもわたしはそこまで優秀ではない。

 社員が続々と出社してきて、幾人かは気づかわしげにこちらをちらりと見るが、恐らく思っているのは「かわいそうだけど、藤野ちゃん、仕事できないからなあ」だ。

 わたしが飯田のパワハラやセクハラを社内の倫理委員会に通報したら、課内では「課長も言い方は悪かったけど、まあ、藤野さんも藤野さんだよね」と白い眼で見られるだろう。部長にも煙たがれて、希望の異動は通らないだろう。たとえ飯田が処分されても、この社内のどこにもわたしの居場所はないのだ。

「聞いてんのかよ」

 飯田が呆れたように言い、わたしは「はい」とうつむいた。神妙な表情のつもりだったのに、ほうけてみえるらしい。

「あのさあ、せめてシャキッとしろよ。お前がそうやって暗い顔でぶー垂れてるの見ると、こっちも気が滅入ってくるんだよ。不貞腐れてる場合じゃねえだろうが。仕事できねえならさあ、せめて愛想良くするとかさあ。自分に何ができるのか、もっと真摯に考えたらどうなんだよ。お前、その意識の低さとか怠け根性とかが全部顔に出てんだよ」

 飯田の顔が正面から見られない。胸の辺りに視線をやりながら、わたしが考えていたのは、もちろんあの人形のことだった。

 死ねばいいのに。

 お守りのように呪詛を唱える。死ねばいいのに、死ねばいいのに。わたしがその気になれば、お前などいつでも殺せるんだから、あまり怒らせない方がいい……。

「お前、そんなんじゃ、どこ行っても駄目なまんまだぞ」

 飯田が吐き捨てるように言ったとき、ふと、課内の空気が変わったのを感じた。飯田がはっと目を見開く。わたしを飛び越えて向こうを見つめている。思わず振り向くと、わたしの背後にひとりの女性が立っていた。

 驚くほど美しい女性だった。ともすれば冷然として見えそうな、完璧な均整がとれた目鼻立ちだが、ほんの少し目尻を下げていて、それが柔和な雰囲気を作っている。栗色の長い髪を背に流して、質の良さそうなベージュのワンピースを着ており、全身がきらきらと光り輝いているように見えた。

「お話し中、申し訳ありません。わたし本日からこちらに配属になりました派遣社員の茗荷谷です」

 鈴が清流を転がるような声で言って、頭を下げる。

「お世話になります。よろしくお願いいたします」

「あ、ああ……。そうだった、今日からか。よろしくね」

 ふんぞり返っていた飯田が姿勢を正し、椅子に座り直す。珍しく動揺したように手を握ったり開いたりしているのが見えた。

「えーと、太田さん。新しい派遣さんだ。色々説明してあげて」

「あ、はいはい」

 茗荷谷は太田さんに連れられて、ロッカールームの方へ消えていった。オフィスにいた全員が興味津々の様子で、彼女を目で追う。

「びっくりしたあ、すっごい美人」

「モデルみたい。なんで事務なんてやってるんだろう」

 男も女も老いも若きも浮足立っている。今月から産休に入る社員がいるので、新しい派遣社員が来ることは聞いていたが、まさかこんなに美しい女性が来るとは誰も予想していなかったのだ。

 飯田も毒気を抜かれたように「じゃ、よろしく」と呟いたので、わたしはやっと自席に戻ることができた。

 

 

 彗星のごとく突如現れた美人派遣社員・茗荷谷は、たちまち課内のみならず部内の社員全員を魅了した。

 二十五歳、独身。なんといっても抜群に容姿が美しいが、仕事もミスがなくて正確。美貌を鼻にかけるわけでもなく、性格も明るく気さく。まさに非の打ち所がない。

 社内に仲の良い人のいないわたしにもその程度の話はすぐに伝わるほど、彼女は人気者のようだった。ほとんどの男子社員は、パートナーがいるいないにかかわらずそわそわ落ち着かず、なんとか彼女の気をひこうと必死になっている。昼休みにはランチに誘おうとする男子社員で茗荷谷の席の周りは山盛りだ。しかしそういう男たちを追い払い、蹴散らしているのは女子社員たちである。

「ほんと、あなたたちは職場に何しに来てるの? 茗荷谷さんに迷惑でしょ」

「茗荷谷さん、ランチはわたしたちと行きましょうよ」

 女の敵は女だなんて知った顔で言いたがる男もいるが、あれはだ。茗荷谷に嫉妬して虐めようとするような女子社員はいないようだった。性格が難しいといわれる古参の社員も、茗荷谷に話しかけられれば嬉しそうな顔をしている。わたしが話しかけてもほぼ無視だというのに。

 飯田も、もちろん茗荷谷を気に入り、ちょっとしたことでも大袈裟に褒めそやしている。さすがに他の社員の前で大っぴらに誘ったりしている様子はないが、もしかしたら個人的にチャットやメールで何かしらモーションをかけているかもしれない。そうだ、セクハラで通報されないだろうか。わたしではなくて茗荷谷が被害を訴えたのなら、きっと皆、茗荷谷の味方をして上手くいくだろう。

 そんなことを考えながら、午後八時半のカフェでわたしはひとりパソコンを叩いて仕事をしていた。あの老婆に会ったカフェだ。ここならまた会えるのではと思い、会社帰りに何度か寄っているが、老婆には再会したことがない。

 しかし首尾よく老婆に会えたところで、わたしは一体どうするのだろう。あの人形の謎など、聞いたところで老婆は教えてくれまい。

 傍らに置いていたスマホが振動した。ちらりと見て目を見開く。Xのダイレクトメッセージが届いていた。心当たりと言えば、もふじしかいない。はやる気持ちを抑えて画面を開いた。表示されていたのはやはりもふじのアイコンだった。

 

 ─このアカウントを使っていたものの身内です。

 ─アカウント主は、最後の投稿日に亡くなっています。

 ─ですので、あなたのご質問にはお答えできません。

 

 吹き出しに素っ気ない文面が並んでいる。わたしはほうと息を吐いた。無視しても良いのにわざわざ返信をくれたとは、義理堅い遺族だ。

 もふじは亡くなっていた。十五年も経っているのだから不思議ではないが、最後の投稿日に亡くなった、というのが引っ掛かる。

 もふじの最後の投稿は、居酒屋ランチの写真だった。箸袋に印刷されたチェーン店の名前が写り込んでいる。わたしはパソコンの画面に映していた仕事の資料を閉じ、その店名と日付を検索エンジンに打ち込んでみた。しばらく色々な方法で試していると、数件ヒットする。引っ掛かったのは過去に大型掲示板にたてられていたスレッドのログで、「ジャンル・都市伝説」の記載がある。

 

 居酒屋××変死事件

 20××年6月12日、居酒屋××の●●店で、男性客が不審死。

 新聞記事にもなってないが、そこに居合わせたツレから聞いたから、間違いない。

 ランチの時間帯、ひとりで食事していた男性客が、急に苦しみ出して倒れた。

 店内はもちろん騒然。

 その客は顔が真っ白になってて、しばらく見てたら、みるみるうちにむくんで膨らみ出して、パンパンになった。

 顔だけじゃなくて、手とかも膨らんでて。目がぐるんってなって、白目むいて。

 まるで水死体みたいに。

 店員が救急車呼んだけど、誰がどう見ても手遅れ。

 後から聞いた話だけど、死因は溺死。胃の中は海水で一杯だったらしい。

 ……直前まで、唐揚げ定食食べてたのに。

 

『怖い』『なかなかリアリティあるな』という好意的なレスもあったが、『つまんね』『雑過ぎる』『なんで居酒屋で居合わせただけなのに、後から死因分かるんだよ』というごもっともな文句もつけられている。スレッド主が応えなかったこともあってか、スレッドはほとんど伸びていない。

 わたしはその投稿を何度も目でなぞった。この日にこの居酒屋で亡くなった人がいたというのが事実ならば、変死した人物はもふじである可能性が高い。あの投稿をした直後に死んでいたのかもしれない。そう考えると背筋がうっすら寒くなったが、よく分からない。もふじはあの人形をもらった方の人間だ。呪われた方ではない。なぜ死んだのだろう。

 死因が溺死だったというのも、本当のことだろうか。誰かがレスしていた通り、居合わせただけの人間がそんなことを知ることができるとは考えづらいから、創作だろうか。しかし創作にしてはいやに唐突だし、第一あまり面白くない。

 もふじが投稿していた日本海の写真を思い出す。彼は海辺であの人形をもらったのだ。

 人を呪わば穴二つ。

 その言葉が脳裏に浮かんだ。因果応報だ。古今東西、呪いにまつわる民話や寓話は膨大にあるが、ほとんどの話で、呪った側である人間もまた不幸な最期を遂げる。あの人形にもそのようなルールがあるのではないだろうか。

 つまり、もふじはあの人形を使って、誰かを呪い、そして自分も命を落としたのではないか。

 ごくりと自分が唾を飲む音がやたらと大きく聞こえた。なぜそんな当たり前のことに気がつかなかったのだろう。あのいかにも怪しげな老婆が、親切心でわたしに人形をくれたはずがない。きっとあの老婆は、人を呪った人間が自滅するのを見て楽しむ、魔女のような存在なのだ。

 考え事に夢中になっていたわたしは、隣のテーブルの椅子がひかれる音で我に返った。あの老婆が座った席だ。

 弾かれるように顔をあげたが、目が合った相手は老婆ではなく、麗しい美女だった。

 派遣社員の茗荷谷。

「あら藤野さん、こんばんは」

 茗荷谷はわたしを見下ろし、穏やかに微笑んだ。アイスラテのグラスをテーブルに置き、トレンチコートを脱ぐ姿に、向こうの席で勉強していた学生がうっとりと見とれている。気がつけば客が増えて、店内は半分ほど埋まっていた。

「茗荷谷、さん」

「こんなところで会うなんて、奇遇ですね。おうちはこのあたりなんですか?」

「あ、いえ……。別に」

 動揺を隠しきれず目が泳いでしまい、慌ててうつむいた。さぞかし挙動不審だろう。しかし茗荷谷と直接会話を交わすのは初めてだったし、彼女がわたしの名前と顔が一致するとは思っていなかった。

 茗荷谷は気にする様子もなく、ラテをストローでくるくる混ぜる。

「そうなんですか、わたし割とここ来るんですよ。近くに行きつけのシーシャバーがあって、そこ行くついでに。藤野さん、シーシャって知ってます?」

「い、いいえ」

「シーシャってね、水煙草のことですよ。最近流行ってるっていうから、一度行ってみたら案外面白くて。良かったら藤野さんも一回行ってみてくださいよ。わたし、一緒に行ってもいいですし」

 表情はあまり動いていなかったが、わたしが気の置けない同僚かのようにぺらぺら喋る茗荷谷に、わたしはすっかり気圧されていた。コミュニケーション能力の高さが眩しい。彼女がこんなに堂々と喋れるのは、自分が圧倒的美人だという自覚があるせいだろう。嫌われるはずがないと思っているから、臆さず振舞えるのだ。

 茗荷谷はストローに口をつけた。「わたしこれ好きなんですよね、塩キャラメルラテ」と呟くが、心底どうでも良かったので、わたしは返事をしない。茗荷谷は歌うように弾んだ口調で言った。

「もし良かったら、藤野さんも趣味とか教えてくれませんか」

 わたしは戸惑った。そんなことまるで興味がないだろうに、社交辞令なんて言わなくて良いのに。

「あいにく無趣味で……」

「最近ちょっと気になってるとかそんなレベルでいいんですよ」

「別に特に……」

 答えながら、我ながら自分のつまらなさに辟易する。こういうときに気の利いた面白いことを言える女だったなら、きっとこんな苦労をしていない。

「ふうん。では何ですか、日々特に楽しいこともなく、ただ生きてるだけなんですか」

 わたしは返事の代わりに重苦しい息を吐きだした。とうとう入職直後の派遣社員にすら馬鹿にされるようになったのだ。ここは会社でも、付き合い飲み会の会場でもないのに、さっさと席を立つこともできない。

 茗荷谷は黙っているわたしを見やると、飄々と言った。

「気を悪くされたならすみません。藤野さん、わたしはそれが良くないって言ってるんじゃないんですよ。ただ日々を生きている、それはそれで面白いじゃないですか。わたしとは違うから、どのような思考なのか気になります。わたし、色んな人の考えてることとか、好きなこととか生き方とか、興味あるんですよ。他人に興味があるんです」

 わたしは茗荷谷の目を見た。澄み切っている。

 反吐が出る、と思った。なんて傲慢でいやな女だろう。他人に興味があるなどとうそぶいて、ほとんど初対面で根掘り葉掘りプライベートをほじくって面白がる。何様のつもりなのだ。今まで美人だから許されてきたのかもしれないが、あまりに下品だ。茗荷谷は意に介した様子もなく、ラテをすすっている。

「藤野さん、わたしのこと傲慢だと思ってますね」

「……いいえ」

「いいんですよ。それもそういう風に感じる人もいるんだな、って勉強になります。面白い。わたし、人間が好きなだけなんです。だから藤野さんのこと、もっと教えてください」

 ふつふつと自分の腸が煮える音を聞きながら、飯田に人間的魅力が外面に滲み出ると言われたことを思い出した。茗荷谷の魅惑的な顔は、彼女の内面の魅力が滲み出たものだというのか。こんなの、ただの傍若無人で非常識な女じゃないか。

「茗荷谷さん、『好奇心は猫をも殺す』っていうことわざを知ってますか」

 わたしが小さな声で言うと、茗荷谷は目を半月のように細めて楽しそうに笑った。歯並びも完璧のように見えて、唯一右の八重歯が尖って目立っており、そのアンバランスさが彼女の笑顔をより一層魅惑的に見せる。

「もちろんですよ。イギリスの古いことわざですね。猫は九つの命があると言われているけれど、不用意な好奇心で色んなことに首を突っ込むのは、その猫すら死んでしまうくらいに危険なことだという意味です。……ふふふ。何ですか藤野さん、わたしが好奇心を持ってあなたのことを根掘り葉掘り聞きたがるのは危険なことだっていうんですか。ずいぶん可愛らしいこと仰いますね」

「呪いの人形を手に入れたんですよ」

 気がつけば口を滑らせていた。茗荷谷は笑った顔のまま、ぴたりと止まった。

「呪いの人形?」

「ある人に、もらったんです。それを使えば誰でも殺せるらしいんです。わたしが今一番興味あるのはその人形のことですよ」

 調子に乗っている茗荷谷に、一発喰らわせてやりたかった。それだけだった。職場で言いふらされるかもしれないと思ったが、あまりに業腹だったので、もう何でもいい、と投げやりになっていた。しかし、茗荷谷は少し考えていたものの、気味悪がる様子はまるでなく、天使のように小首をかしげて微笑んだ。

「やっぱり藤野さんはとっても面白いですね。ね、やっぱり、面白くない人間なんていませんよ。誰を殺してもらうか、もう決めてるんですか」

 わたしも笑ってみせようとしたが、唇の端がいびつに吊り上がっただけだった。茗荷谷はどんな変人にも物おじしない自分カッコイイ、とでも思っているのだろう。安全圏から貧者に施す特権階級のつもりなのだ。ますます腹が立つ。

「まだ決めてませんよ。誰でも殺せるらしいんで、茗荷谷さんを殺すつもりだったらどうします」

 確かに自分の口が動いているのに、声が遠いところから響いてくるような気がした。やけに粘っこくて、茗荷谷とは対照的な不快で醜い声だった。

「あらー、怖い」

 茗荷谷は楽しそうに笑った。

「ねえ藤野さん、わたしもその人形が見てみたいです。今度会社に持ってきてくれませんか。それかわたしがおうちに遊びに行くのでもいいですけど」

「いやです」

「ええ、仲良くしてくださいよ、藤野さん。下の名前は依里さんでしたっけ? 依里さんって呼んでいいですか? え、駄目?」

 茗荷谷はわたしの顔を覗き込むように見てくる。全てのパーツが完璧な配置で収まっていて、この世のものではないような美しい顔だった。美しければ美しいほど、醜い感情がわたしの奥から際限なく湧いてくる。断じて嫉妬ではない。ただの運の良さで得た容姿の上に胡坐をかく高慢が気に入らないのだ。

 本当に、この女、どうしてやろうか。

 わたしの心中を気にする様子など微塵も見せず、茗荷谷は艶然と微笑んだ。

「わたしの名前は茗荷谷夕海子です。どうぞ気軽にユミコって呼んでくださいね」

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