3-3.なんて非道なミルウス兄様だ!
「それでは書斎で話をしよう……」
兄が言い終えるより早く、アナスがバッサリと会話を断ち切った。
「こんなに天気が良いというのに、旦那さまは書斎に籠るなど……なにを辛気臭いことを! セイレスト家の誇りを忘れたのですか!」
――というわけで、エグレイアとミルウス、それからアナスの三人は、芝生庭に急遽用意された屋外用の卓と椅子へ腰を下ろした。
だがアナスの同席を拒めるほど、ミルウスは命知らずではない。
夏休みの初日から回復魔法でも回復しきれない怪我で静養……なんて、できれば勘弁してほしい。
エグレイアも当然のような顔で席に着いているので、仕方なく同じテーブルにつく。
四人分の飲み物と茶菓子が並んでいたが、ファルテイは芝生庭で毬を蹴って遊んでいる。
セイレスト領で生まれ育った彼にとって、険しい山や深い森、広い草原が日常の風景だ。ヒトの手で整えられた芝生庭は、きっと新鮮なのだろう。
遊び相手は――幼竜サイズに小型化した――エグレイアとアナスの騎竜たち。
子守りに騎竜を使い、しかも小型化まで命じるとは……第一騎士団に知られたら大目玉を食らうに違いない。
アナスの騎竜は慣れているのか、尻尾で上手に毬を蹴り返している。見事な子守りだ。
一方、エグレイアの騎竜は機嫌が悪いのか、ずっとグルグルと唸り続けている。主に呼び出されたと思ったら……ニンゲンの子守り。プライドの高い竜にとっては屈辱的な任務だ。
全く違う方向に毬が飛んでいったときは、間違いなく兄の騎竜の仕業である。
「……ファルテイは今年で七歳になった。セイレスト家は小柄な者ばかりだが、あの子はさらに小さいようでな」
ファルテイは「きゃ――きゃ――」と楽しそうな声をあげながら、遠くへ転がっていく毬を追いかけている。
毬と一緒にわざと地面へ転がり込んで遊ぶ甥の姿と、それを穏やかに見つめる兄夫婦の様子に、ミルウスの表情も思わず緩んだ。
「言葉の成長も同年の子に比べて少しゆるやかだが、とても聡い子だ。口にできないだけで、色々と考えて行動している。容姿はわたしに似たが、思慮深いところはミルウスに似ているな」
機嫌よく遊ぶ息子を眺めながら、エグレイアが紅茶に口をつける。
風に乗ってふくよかな茶葉の香りが漂い、庭の向こうでは騎竜の鳴き声と翼音が、駆け回る幼子を追うように響いていた。
「……なぜ、アナス姉様がこちらに?」
勧められた紅茶に口をつけながら、ミルウスは左隣のアナスへ視線を向けた。
筆頭竜騎士である彼女は、副団長に次ぐ地位にありながら、団長エグレイアをも凌ぐ実力の持ち主だ。
セイレスト領に群れる野生竜の警戒を夫から任される一方、西方国境の砦では、西境警備竜騎士指揮官を務めている。
そんな忙しい彼女が帝都に呼び戻されたのには、何か深い理由があるに違いない。
「はっ! なにをわかりきったことを! 嫁が呼ばれるときは、子作りに決まっておろうが――!」
バシバシと背中を叩かれ、ミルウスは飲んでいた紅茶が逆流して激しくむせ返る。
「あ、いや……。ファルテイはああ見えて、かなり魔力能力値が高くてな。成長が遅いのもそれが原因らしい」
兄の説明にミルウスは無言で頷く。
上位貴族の子どもにはよくある話だ。
魔力の扱いを誤って体調を崩す程度ならまだよいのだが、魔力量が多すぎると、身体ができあがっていない年齢では危険が伴う。正しい教育を受けなければ、最悪の場合は命を落とす可能性すらあるのだ。
ミルウス自身も、幼い頃は何度か魔力を暴走させて寝込んだことがあった。
「一族の指導者では対応しきれなくてな。帝都で専門家に診てもらいながら、十一歳から上級学院に入れるつもりでいる。そろそろ帝都という場所がどのようなところか、あの子にも教えていこうと思って呼び寄せたのだよ」
通常なら長距離移動用の魔法強化馬車で帝都へ来るところを、アナスはまとまった休暇を取り、自身の騎竜に息子を乗せて飛んできたという。
社交の場では代理人を立てることが多いエグレイアだったが、今年は家督を継いで初めての社交シーズン。本人とその妻が出席しなければならない行事が多く、アナスは急ぎ呼び寄せられたらしい。
「なるほど……そうだったのですね」
「そうなのだ! だから、ファルテイに帝都を案内してやってくれ!」
アナスが夫の言葉を引き継いだ。
「はい? 誰がですか?」
紅茶を飲むミルウスの動きが止まってしまった。
「ミルウスに決まっておろうが! 今日から夏季休暇なのだろう? 学院生は時間が有り余っているではないか。休みの間、ファルテイの面倒はミルウスに任せた」
「え? はい? オレはこの夏はセイレスト領に戻ろうかと……」
義理の姉を前にすると、語尾がどうしても尻すぼみになってしまう。
「なにいぃ! ファルテイを初めての帝都でひとりっきりにさせるだと! なんて非道なミルウス兄様だ!」
「……そういうことは、大勢いる使用人に任せたらよいのでは?」
「なにを言う。一族の情を教えるのが大人の務めであろう」
「でしたら、アナス姉様が案内してあげればよろしいのでは?」
ミルウスは必死に反論する。
「だから、私は旦那さまに色目を使う不届き者を闇に葬るのと、子作りで忙しいのだ!」
「違う、違う。アナス、闇に葬るのではなく、もう少し、穏便にいこうか。一緒に社交に出てもらって牽制してくれるだけでいい。抹殺しなくていいから。せめて威嚇して噛みつくくらいにしておいてくれ」
「つまらぬ……」
夫の懇願に、彼女の形のよい眉が歪む。本当につまらなそうな顔をしているから怖い。
というか、兄も穏やかそうな表情を浮かべながら、とんでもないことを言っている。
……などと思っている場合ではない。
「いや、でも、オレは領地に戻って……」
「そうだったな。ミルウスはセイレスト領に戻って、野生竜との騎竜契約に挑戦したいと言っていたな」
兄の助け舟にミルウスは「はい」と力強く頷いた。ぼんやりしていたら、あっという間に夏季休暇の全日程が義姉によって決められてしまいそうだ。
「ミルウスの希望は尊重したいのだが、野生竜との契約は、そうそうできるものではないぞ。今まで通り、主人のいない騎竜にアプローチする方がいいと、わたしは思うのだが」
「しかし……兄上」
「旦那さま、よいではありませんか」
腕を組んで、渋るエグレイアにアナスが朗らかに笑いかける。
「いや、アナス、ミルウスは野生竜を生け捕りして、騎竜に躾けると言っているのだぞ? それがどういうことか」
「わかっております。何事にも挑戦する姿勢は天晴れです。これぞセイレストの血を受け継ぐ者としての、あるべき真の姿。その心意気を褒めこそすれ、私たちが反対する理由など、どこにもございません。ですから……」
そこでいったん言葉を切ると、アナスは不服そうな顔をしている夫と、不安そうな顔をしている義弟を交互に見比べる。
「
アナスが「いいことを思いついた」とでも言いたげに、ニヤリと笑う。
その笑みはまさに戦場に立つ『烈風の死告女神』。
「…………」
「…………」
無邪気なファルテイの笑い声が、はるか遠くで聞こえる。
エグレイアとミルウスの兄弟は、寒くもないのに同時にぶるりと身体を震わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます