2-14.アルクシア騎士団長はああおっしゃっていたが

 そして……夜になる。


 ミルウスは寮の自室のベッドに潜り込み、頭からキルケットを被っていた。


 ――即刻『帝国騎士総合修了課程』を履修し、高得点で修了しなさい――


 数時間前に聞いたアルクシア団長の淡々とした声が、暗闇の中で脳裏によみがえる。


 予想もしなかった第一騎士団長の命令に、その時のミルウスは声を失い、硬直してしまった。


 返事もできずに固まる若者を前に、帝国騎士団の頂点に立つ男は口の端をわずかに上げる。

 そもそも、かの御方は返答を求めていなかったのだろう。

 アルクシア団長は用件を告げ終えると、興味を失ったかのように軽く片手を動かし、ミルウスの退席を許した。


 ぎこちない動きで席を立つと、ミルウスは『特別謁見室』を後にする。

 退室の挨拶をきちんとしたのか、貴族の子息として正しく振る舞えたのか……思い出そうとしても、まるで記憶がない。


 『特別謁見室』を出てから、どこをどう歩いたのか。

 迎賓棟の入り口で待ち構えていたメルナーが、ミルウスの顔色の悪さに悲鳴を上げた。


 ひとりで歩けると思っていたのだが、メルナーの顔を見たとたん、全身から力が抜け、彼の肩を借りて寮に戻った。


 夕食は『東の市場』で買い食いをしたから空腹ではない、とメルナーに伝え、夜着に着替えると、そのままベッドに潜り込んだ。


 メルナーはひとりで寮の食堂に向かったが、戻ってきたときは軽食を載せたトレイを持っていた。


 食欲はなかったのだが、これ以上メルナーに心配させるのも悪いと思い、ベッドでキルケットを頭からすっぽりと被ったまま、もそもそと食事をする。


 行儀が悪いと注意はされなかった。


 そして、食べ始めてみると、意外にも自分は空腹だったことに気づき、彼が用意してくれたものは残さず食べることができた。


 完食できたのは、メルナーが喉越しのよいもの、ミルウスの好物を用意してくれたからかもしれない。

 食事を終えると、ミルウスはそのままキルケットにくるまり、胎児のように小さく丸まる。


 メルナーは横になったミルウスに「おやすみなさいませ」と告げて、部屋の明かりを消した。消灯時間にはまだ早い。

 ミルウスは息を殺し、さらに身体を小さくして、キルケットの端をぎゅっと握る。

 上着に染み込ませていた香が、身体にも移っていたようだ。

 寝床に馴染みのある匂いがふわりと広がった。


 彼は何も言ってこない。


 背中越しにメルナーの気配がする。暗がりのなかで、片付けや明日の準備をしているようだった。

 やがてそれも落ち着き、彼もベッドに横になったようだ。

 ふたりの部屋に静寂が満ちていく。


 ミルウスの一番上の兄、エグレイア・セイレストは第十二騎士団の団長だ。

 その実弟で騎士学科総合一位ともなれば、騎士団の人事で注目されるのも当然だろう。


 だが、十二ある騎士団の長ともいえる『帝国の剣』アルクシア・エレファントス第一騎士団長が、直々に卒院後の進路に口を出してきた。

 しかも、皇帝陛下や元帥閣下にもすでに根回し済みだという。


 それは通常ではなかなかありえない、とても名誉なことだ。


 第一騎士団といえば、皇帝直属の親衛隊で、少数精鋭。一騎当千と称される騎士団の中でも、一つ抜きんでた最高位にあたる。


 明言はされていないが、第二騎士団以降の幹部は期間の長短はあれど、必ずといっていいほど第一騎士団への配属経験がある。


 竜騎士以上に枠が少なく、最も狭き門だ。たとえ騎士学科総合一位であっても、卒院と同時に第一騎士団所属になるとは限らない。


 親族や学生たちは「なぜそんな講座まで学ぼうとするのか」「竜騎士になるには不要な講座なのに」と不思議がったり、嘲笑する者もいた。

 父や兄たちは「周囲の声を気にせず、納得するまで学ぶといい」と理解を示してくれた。


 アルクシア騎士団長は、血族以外での初めての理解者といってもいい。


 騎士団の最高位に、ミルウスの努力がようやく認められたのだ。


 だが、少しも嬉しくなかった。


(アルクシア騎士団長はああおっしゃっていたが、心の中ではオレが騎竜契約できないと思っているから、念を押しにきたんだな……)


 鼻の奥がツンとして、目頭がどんどん熱くなっていくのがわかった。


 キルケットを頭から被り、身体をさらに小さく丸める。


 隣のベッドで眠るメルナーは何も言ってこなかったが、押し殺した気配を感じる。

 ミルウスのことを考えて眠れないのだろう。

 なにかあればすぐに飛び起きる準備をしているのが伝わってくる。だが、ミルウスがこのまま眠りにつけば、メルナーは何も言わずにそのまま朝を迎えるのだろう。


 それが護衛の仕事だと言えばそうなのだが、それすらも今のミルウスには辛く、独りで抱えるには苦しいものとなっていた。


 これは己自身で乗り越えなければならない問題だ。

 誰にも頼ることはできない。

 成人前ならともかく、二十二歳にもなれば他人に泣きつくことも許されない。


 それでも、人肌の温もりを求めてしまう。

 ミルウスが望めば、メルナーは応えてくれる。

 だが、それはミルウスが本当に求めているものではない。

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