それは《AI》だったから。
御厨 明來
第1話 偽りにさよならを(1)
『生きたかった命がある、
生きて欲しかった命がある』
『消えない笑顔を、あなたの明日へ』
研究所のモニターに映る宣伝文句を初めて見た時、よくできている、と思った。シンプルだがどこかエモーショナルな響きがあって。まるでどこかの慈善団体のようなキャッチコピーに、縋りたくなる人の気持ちも分かる気がした。
人の死は、超越できる時代になったと思う。それはこの研究所の持つAIの技術によるところが大きい。
Afterlife Reconstruction & Intelligence Assistant、製品名は略して《
「おーい、何ボーッとしてんだよ」
彼を日常に引き戻したのは、隣の席に座っている先輩の一言だった。山ほどの資料を抱えて立ち上がった先輩は、そのうちのいくつかの紙束を目の前に放る。
それは今日の業務の中でも一際重要で、慎重に行うべき例の作業の申請書と、クライアント情報の束だった。
「ったく、そろそろクライアントが来る時間だろ」
「え、まじすか」
時計の短針は5を指す直前。アポイントは17時の予定だったので、先輩の言う通り、そろそろ向かわねばならない時間だった。
「やべぇ、この申請も今日までなんすよ」
目の前のモニターを指さして、これでもかと眉尻を下げる。先輩がこの手の頼まれごとに弱いのは知っていた。
「戻ってきてからでいいだろ」
「いや〜……今日自分、定時なんで」
「……ちっ、わかったよ。申請IDは何番だ?俺が代わりに出しとくから」
「あざっす!」
手早くデスクの付箋に申請IDをメモすると、先輩の肩に貼り付けた。
資料の束を小脇に抱え、事務室を足早に立ち去る。来客者用受付に降りるまでの間に、忘れかけていた資料の内容にざっと目を通した。
おびただしい枚数の『利用規約』を一番後ろに回し、『契約解除同意書』と『委任状』を上に重ねる。契約者氏名は『クロサワ ナギサ』、記憶にはない名前だった。
それもそうか、と思い直す。何もうちはAIの一体毎に担当が付いているわけじゃない。普及中でまだ顧客が少ないとはいえ、担当制ではない以上、知らない利用者に当たることも珍しくはなかった。それにしても、一度契約したAIサービスを解約するというのはどういう風の吹き回しなんだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら来客用受付へ降りると、そこにはすでに二人の男女が立っていた。少し先に居ても、その張りつめた雰囲気は彼の元までひしひしと伝わってくる。
フラッパーゲートに入館証をかざし、なるべく神妙な顔を心がけて話しかけた。契約解除の際は、にこやかな笑顔を控えるべし。先輩の教えだった。
「お待たせいたしました。私、ARIA研究所、研究員の平坂と申します」
首にかけた顔写真付き入館証を、見える位置に上げる。彼が会釈をすると、つられるように二人もまた、軽く頭を下げた。
「ええと……クロサワ ナギサ様、でお間違いないでしょうか」
「はい、そうです」
答えたのは女性の方だった。名前でジェンダーを判断するのは時代じゃない、と思いながらも、ナギサは女性名だろうな、とは思っていた。
身分証を取り出す彼女の服装は、白いブラウスにシンプルなスカート。その身なりは飾り気がないのに、佇まいは確固としていて、不思議と視線を奪う人だった。
「本日は契約解除の件と伺っております。そちらについてもお間違いはありませんね」
「はい、間違いありません」
またも、答えたのは女性の方だった。それも先ほど名前を確認した時よりも強く、腹の据わった調子で。彼女のほうが「契約者」だと聞かされていなくても、そうだと察せられるくらいに、空気の重心は女性の側にあった。
一方の男性は、黙ったまま隣に立っていた。髪も服もきちんと整えているが、それ以上の飾りはない。まるで余分な気負いを削ぎ落としたかのような姿だ。その眼差しも揺らぎを隠しているつもりなのだろうが、じっと見ればその奥に影が滲んでいるのがわかる。
「承知しました。中へどうぞ。……こちらの扉を開けますので」
二人に仮入館証を手渡すと、彼はゲートの横にある通用口の鍵を開けた。
その時、手に持っていた『委任状』の欄に『セト リョウスケ』と記載があるのが目に入った。考えるまでもなく、横にいるこの男性の名前だろう。
何となく、この二人の挙動からは訳ありな匂いがしていた。
いや、死者をAIに再構築するサービスを利用するなんてのは、そもそもが訳ありな人間に違いないのだが。
「すみません。作業前にこちらで事前説明を行う必要がありますので、一度お待ちいただけますか」
カンファレンスルームと書かれた扉を開け、二人を座らせる。わざわざ小洒落た横文字を使いたがるのは所長の趣味だった。在室表示板を利用中に変えて、静かに席につく。室内にはお通夜のような沈黙が漂っていた。
本来ならばここで、「もう少し続けてみませんか」とか、なにかしら営業をかけるべきなんだろう。けれどいきなり契約解除手続きの説明に入ったのは、この二人に何を言っても、決断は変わりそうにないと感じたからだった。
そしてなにより、今日は定時上がり。これ以上仕事が増えるのも面倒だ。
手早く契約関連の話を終えると、次のマニュアルをめくる。
「……以上が、契約解除に必要なお手続きとなります。続いて、データ消去作業のご説明に入ってもよろしいでしょうか」
今度は、わざと男性に目を向けて言った。
やり取りを主体的に進めていた女性も、男性の方に視線を向ける。
「……は、はい」
自分に会話が振られるとは思っていなかったのか、男性ははっと我に返ったようだった。
作業の説明を聞きながらも、男性の方はやはり心ここに在らずなように見える。しかし、作業を止めようとは、ついに最後まで言い出さなかった。
「……作業のご説明は以上です。なにかご質問はございますか」
「いえ、ありません」
「では、ご納得頂けましたら、こちらにご署名をお願いいたします。」
言葉を切り上げるのと同時に、同意書を差し出した。男性は蒼白な顔をしながらも、ペンを走らせる。
覚悟は決まった、ということなんだろうか。
一画一画丁寧に書かれたその名前を確認したのち、彼は立ち上がる。遅れて、二人もまた席を立った。
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