転移した聖女、転生した聖女

「こんちゃっす」

挨拶をしてきたその少女は、ゆるりとしたパーカーをきており、薄紫のインナーカラーが入った白い髪を黄緑のピンで留めていた。

「異世界転生、てか、転移?してきて、ここで働いてます。奈落 知世です」

知世は八重歯を見せてにっと笑った。


『異世界転生と転移の違い

「転生」は現実世界の主人公が一度死亡し、その後、異世界で新たな肉体や生命を得て生まれ変わることを指し、「転移」は現実世界での死亡を伴わず、そのままの肉体や意識が異世界に移動することを指す』


私━━━━━守谷友は、一度死んで聖女、マチルダ・ロッティアとして転生した。

そして私の目の前にいる彼女、奈落知世は、死なずにそのまま転移したのだ。


死んだことは、転生してからも、思い出さないようにしていた。

まさかこんな形で思い出すことになるなんて。

頭をふり、頭からその思考を振り払った。


奈落知世。

彼女は、転移先が元々ピレシャノール家で、ここで聖女として働いているらしい。

私が廊下を歩いていると、話しませんか?と声をかけてきたのだ。

「マチルダさんが、楽器持ってるって聞いてきました」

知世は他に聞かれたらまずいかのように声を潜めた。

「どうしたの?」

「ソフィさんに殺されますよっ私っ」

あって早々に物騒なことを言い出した。

私が首を傾げた。

星屑色の髪がふわぁりと揺れる。

「とりあえず、音楽室に来てくれませんか?」

音楽室。

えらく懐かしい響きだ。

彼女のグレーがかった茶色の瞳を見つめた後、

「いいよ」

私は麗しい声を発した。

歩きながら知世はくるりと回ったり、聖女様って綺麗ですね、てか私も聖女か、と小言を言っていた。

知世は私よりひとまわり小柄で、八重歯が幼い印象を与えた。

音楽室に着いた。

そこは私の学校の音楽室をそのままここに持ってきた感じで、ここも異質だった。

私と同じで。

懐かしい、チョークの匂いや机の匂い、かすかな埃の匂いさえそっくりだった。

ドアを開けて中に入り、知世は入念に周りを見渡した後、ドアを閉めた。

「マチルダさん。私、クラリネット持ってるんです」

知世は、この世の終わりのような顔をして私に告げた。

それが、どうしたのだろう?

「ここに入るときに、持ってたクラリネットをみて、ソフィさん言ったんです。『それはなんですか?』って。不敵の笑みで」

知世は震えながらそのことについて話し出した。


✳︎✳︎✳︎


どうせするなら転移じゃなくて転生がよかったなー。

なんて適当なことを思いながら、私━━━奈落知世は銀色の美しい楽器と化した(元々綺麗だけど)クラリネットを抱えて歩いていた。

ここにきたとき、私の見た目などは何にも変わっていなかったのに、クラリネットだけが変化していた。

そのままぶらぶらと、大きな建物の前で歩いていると、

「君、ここで働かない?」

衛兵のような男性が話かけてきた。

「えー、はい」

若干押され気味だったけど、お金がないと困るのは本当なので、働くことにした。

衛兵に神殿の中で聖女として働かせてもらえることになった。

なんと私は、魔法を使うことができるようになったらしい。

短時間のすごい進化だ。

「それ、なんですか?」

顔にそばかすのある女性ににこやかに話しかけられた。

女性の指先はクラリネットを指している。

私は直感で感じた。

はい、と言ってはいけない。

前髪をぐりぐりといじりながら、違います、と答える。

「そうですか。楽器だったらピレシャノール家に入れることはできませんのでね。重々ご承知を」

にこやかな女性はそのままいってのけると、私の前から歩いてさっていった。

ひぃ、怖い…。

廊下には、そばかすの女性の足跡の余韻が残っていた。


***


「でも、楽器が吹きたくて…」

なるほど、それで私に。

気まずそうにもじもじする知世。

ソフィの気持ちはわからなくもないけど…。

よし。

知世に向かって私は微笑むと、

「じゃあ一緒にふこっか」

と知世に提案した。

「いいんですか!」

知世が瞳を輝かせた。

「吹奏楽部だったの?」

宇宙の片隅のようなリードを取り出しながら、私は質問した。

「はい。おねーちゃんもやってて。おねーちゃん、パーカッションだったんですよ」

パーカッションとは、ドラムやシンバル、シロフォンなどを演奏するパートである。

「私も吹奏楽部だったよ」

「って、ことは、異世界転生!」

私が言うと、知世が驚きで目を大きく開けた。

ゆるゆるとパーカーが揺れている。

「サックス。かっこいいですね。しかもテナー」

知世につられて私も笑った。

吹奏楽の話をこんなに楽しく誰かにできたのは、いつぶりかな。

知世がクラリネットを組み立て終わり、マウスピースを咥えた。

私も組み立て終わったので、マウスピースを加えて音を出す。

ドシラソファミレド、レミファソラシド…

頭の中で歌いながら吹いてみる。

「もしかして、そのマウスピース、『銀河E80』ですか!私も『銀河』なんですよぉ」

知世が目を輝かせた。

銀河とは、楽器界の大手企業である。

「そうだよ」

ふわふわと髪の毛が揺れた。

知世が聴きててくださいね、といい、青紫に鈍く光を反射するマウスピースを口に咥えた。

細かなキーを繊細な手つきで知世は押していく。

その姿が、私の同級生と重なった。

ティララー…ティラレラ…

ゆっくりと知世は息を吹き込み、繊細に音を奏でる。

ゆるりとした雰囲気には似合わないくらいに繊細で、触れたら消えてしまいそうなのに、どこか芯を持った音だった。

白と銀の滑らかなクラリネットは、知世にピッタリだった。

自分の後輩を見ているような気持ちになり、思わず目を細めた。


***


知世とはまた明日練習する約束を取り付け、廊下で別れた。

いつまで隠し切れるだろうか。

ソフィが音楽室に来ないとも限らない。

嘘をついて入った手前、追い出される羽目になるだろうか。

私はなぜか気が向いて、私はしばらく取り出していなかった、小さなリュックを取り出した。

そこには、『奏書』が入っている。

私はざらざらとした表紙を撫でながら、『奏書』を取り出した。

そこには、楽譜なども書いてあるが、吹奏楽団の歴史、婚約の理由、聖女の掟などが書いてある。

読んでみようと思ったのだ。


〈我吹奏楽団は、名家と婚約を結ぶことにより、高度な教育を保ってきた。

この制度が始まったのは、世界最高の奏者が、『名家のものと血を通わせることでより高貴なものが生まれるだろう』と宣言したことにある。

そして、我々は名家の血筋と相性のいい楽器を導き出した。

そして、相性のいいところは子もできやすいことが判明した。

この掟は、この世界の高度な吹奏楽教育に直結する〉


改めて読んでみて、深いため息をついた。

この世界はうまい具合に回っていたのか。

相性は良くても、性格の相性が良くなかったら元も子もない、と思う。


〈我吹奏楽団は、聖女が楽器により魔法を使い始めたことに伴い創立した。

世は無所属の聖女が身の危険に晒されている時代のため、一つでも所属を増やそうという試みだった。

しかし、我吹奏楽団は、人数も多いため、婚約までの手伝いはするが、その後には関わらない。

名家と聖女の間に子が生まれたら、子に合う楽器を送ることは掟となっている〉

パタン、と私は『奏書』を閉じ、リュックの奥深くにしまった。


リュックに背を向け、私は昼食を取るために歩き出した。

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