第11話 村の影

夜が明け、森の端に差し込む朝日が荷馬車を照らしていた。

焚き火の残り火はもう白い灰に変わり、薄い煙がかすかに漂っている。


「……ふあぁ」

隣でミリアが大きく伸びをした。銀の髪が朝日に揺れ、目尻にまだ眠気の名残が残っている。

「おはようございます、ユウタさん!」


「……おはよう」

俺は軽く返し、剣の柄に触れる。昨日の血のぬめりは拭き取ったはずなのに、まだ掌に残っているようで落ち着かない。


そんな俺の様子に気づいたのか、ミリアは少し首を傾げた。

「昨日のこと……気にしてますか?」


「……いや、気にしてない」

即答する。だが声が少し硬いのを、自分でも感じた。


ミリアはそれ以上追及せず、にっこり笑った。

「大丈夫ですよ。ユウタさんがいたから、みんな無事だったんです。商人さんも安心してましたし」


その笑顔を見て、胸の奥がちくりと痛んだ。

――ユウタも、ミリアも、人を相手にしたのは初めてだ。

きっと彼女だって少なからず気にしているはず。

それでも俺のことを気にかけ、明るく振る舞ってくれている。


「……ありがとな」

そう呟き、ぎこちなく口角を持ち上げる。

笑顔になりきれてはいないだろう。けれど、せめて彼女を気遣いたかった。


ミリアは一瞬きょとんとしたあと、くすっと笑った。

「ユウタさん、笑顔が引きつってますよ」


「……怖い顔で悪かったな」

少しむっとして言い返すと、ミリアは首を横に振り、柔らかく微笑んだ。


「ふふ、いいんです。……でも、ありがとうございます」


その金色の瞳は安心したように揺れていた。

たとえぎこちなくても、気持ちは届いたのだと思えた。


午前の街道は穏やかで、車輪の軋む音と鳥のさえずりが混じり合っていた。

商人は上機嫌に口を開く。

「今日中に村に着けるだろう。村じゃ温かい飯と酒が待ってるはずだ」


「そりゃ楽しみだな」

努めて明るく言い、俺は荷馬車の横に並ぶ。

剣を握る手の奥で、まだ冷たい震えが残っていたとしても――それを悟られないように。



やがて道の先に、木造の柵と煙の立ち上る屋根が見えてきた。

「おぉ、着いたぞ」商人が手綱を引き、口元を綻ばせる。


小さな谷あいに広がる村。畑を耕す人影、家畜の鳴き声。穏やかな暮らしがそこにあった。

だが近づくほどに、村人たちの表情は暗く、どこか疲れ切っている。子どもを抱く母親の顔には影が差し、老人たちは足取り重く視線を伏せていた。


「……みなさん、ずいぶん疲れてる様子ですね」

ミリアが小声で呟いた。


荷馬車が村の広場に止まると、壮年の男が駆け寄ってきた。

白髪交じりの髭を蓄え、粗末な上着の裾には土がついている。村長だろう。


「ようこそミラナ村へ……! 道中は無事でしたか?」

息を切らしながらも深く頭を下げる。その声には安堵と、張り詰めた緊張が入り混じっていた。


商人が笑顔で応じる。

「えぇ、途中で厄介なことはありましたが、この冒険者さんたちが守ってくれましてね」


村長の視線が、俺とミリアに注がれる。

俺は居心地の悪さに肩をすくめたが、ミリアは胸を張って答えた。

「無事にここまで来られてよかったです!」


村長は何度も頷き、吐息を漏らした。

「最近、魔物の群れが山から下りてくるようになりまして……。夜になると畑を荒らし、時には家畜まで。

村の男手も追い払うのがやっとで、このままでは村が持ちません。商隊がこうして来てくれるのも、今年に入って初めてで……」


「魔物の群れ……」

思わず言葉がこぼれる。胸の奥がざわついた。


「はい。特に――ゴブリンです」

村長の表情がさらに険しくなる。

「数が多く、最近は“群れを率いるリーダー格”まで現れたと……」


ミリアが小さく息を呑んだ。

「ゴブリンリーダー……!」


その声は震えていて、気づけば彼女の指先が俺の袖をぎゅっと掴んでいた。

金色の瞳がこちらを見上げる。言葉にはならないが、その目は「どうするのか」と問いかけているように見えた。


俺は短く息を吐き、握りしめた剣の柄に力を込める。

追放された俺が、この村を守れるのか――。

だが、ここで背を向ければ本当に何者でもなくなる。


「ああ……やれることをやってみよう」

ミリアと、自分に言い聞かせるようにそう告げる。


ミリアの指先にこもっていた力が少しだけ緩み、その瞳がわずかに光を宿した。

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