6月の匂いと8月の涙
夕凪かなた
出会いの匂いと別れの涙
六月の帰り道、今日も蝉の鳴き声を聞きながら額の汗を拭う。その間もオオバイボタのつんとした匂いが鼻をくすぐる。
その匂いにつられるようにして公園に目をやると、淡く、白く光る一人の少女がブランコの上で足をばたつかせていた。
「綺麗だ……」
その少女は綺麗な黒髪ロングをなびかせて、紫紺の宝石のように美しい瞳は遠くを見ている。
その瞳が俺の方にむいた瞬間、息の仕方を忘れて見惚れてしまっていた。この世にあんなに美しい少女がいるのか。そんな疑問が頭に浮かんだ。
一瞬意識を失うかのような錯覚に陥っていたが、なんとか意識を取り戻し、少女の元へ駆け寄り声をかけた。
「君はなんでこんなところにいるの?」
「? あなたは?」
その声を聞いた瞬間に俺は大きく目を見開いた。鈴を優しく転がしたかのような美しい声にただただ圧倒されていた。
「はっ、ごめん、俺は常闇宥(とこやみゆう)君は?」
「私は生花遥(いけばなはるか)よろしくね!」
遥はにっこりと優しく笑みを浮かべ、そのあとに不思議そうな顔をした。
「宥は私が見えているの?」
「どういうこと? 普通に見えているけど」
「私、幽霊なんだ!」
遥は楽しそうに、俺を驚かせたそうに衝撃の言葉を言い放った。
「ゆ、幽霊⁉」
「そうだよ!」
「そんなこと信じられるか! ……証拠を見せてほしい」
「いいよー」
そういうと、遥は、通行人の前に立ち、声をかける。しかし、その通行人は遥に気付くことはなかった。
「本当だ……でも、幽霊がなんでこんなところに?」
そう聞くと遥は少し困った様子で話し始めた。
「いやー実は成仏したくて色々やってみてるんだけどなかなか成仏できなくて途方に暮れてたんだよね」
「色々やっている?」
「よく聞かない? やり残したことがあるから成仏できないって」
「確かに」
俺は短く返事をした。
この少女を成仏させてあげたい。そう思った。一目惚れ……ではないと思うけど、強くそう思った。
「俺にも手伝わせてよ! ここで出会えたのも何かの縁かもしれないしさ」
「いいの? ありがとう! 正直一人でつまらなかったんだ」
「全然大丈夫だよ……俺もやることなかったし」
俺の表情が少し暗くなっていたのか、遥は俺の顔を覗きながら、紫紺の瞳を細めていた。
次の瞬間にはエネルギッシュさを満開にしてにっこりと笑いながら問いかけてくる。
「それじゃあ明日からでいい?」
「うん、大丈夫」
「じゃあ、また明日!」
遥と別れて帰路についている途中に考える。なんで俺は遥の願いをかなえてやりたいと思ったのかを。
好きになったわけではない。それだけはわかっている。
なぜだろう? 家についても、風呂に入っても、その答えは浮かばなかった。
次の日、俺は遥と出会った公園に待ち合わせのため、足を運んでいた。
俺がベンチに腰かけていると、後ろから急に声をかけられた。
「やっほー宥」
「うわっ! びっくりした! ……おはよう遥」
俺たちは軽い挨拶を交わして歩き始めた。目的地はわからないが、そこは遥に任せている。
「着いた! 最初はここがいい!」
そういって指を差した方向を見ると、そこには水族館があった。
「遥は水族館に行ったことが無いの?」
「うん……家が結構厳しくてね、ずっと勉強してた」
昔を思い出すようにして遥は話してくれた。
「そっか、今日は楽しくなるようにしないとな」
「うん!」
返事をしたその笑顔は神をも魅了するのではないかと思えるほどに綺麗だった。
俺たちは水族館に入った後に、まずは小さい魚から見て周り、次第に大きくなり最後にはクジラを見ていた。
そのあとに小腹が空いたということで、水族館内にあるカフェにきていた。
「なににしようかな~」
「俺はサンドウィッチとカフェオレで」
「私は魚クレープにしようかな」
注文が決まったので、店員さんを呼び出して注文をした。
「楽しみだね」
「そうだな」
しかし、注文が届いた時に気付いた。遥は幽霊だと言うことに。そこには俺が注文したものしか机に並べられなかった。
「そういえば私幽霊だったね」
クレープが食べれないことがショックだったのか、少しうなだれた様子だ。
「なるほどな、さっきから視線を感じると思ったら俺が一人で話しているように見えていたのか」
「皆には見えていないからねー」
「俺の食べるか?」
「いや、大丈夫だよ。見るのも好きだもん」
言って遥は、ニコニコしながら俺の食べる姿を見てきた。……正直恥ずかしい。
普通に水族館を楽しんでいたため、遥が幽霊であることを俺も忘れていた。
その後遥の前でご飯を食べおわり、カフェをでた。
次は遥が楽しみにしていたイルカショーだった。俺も子供のころ依頼だったので楽しみにしていた。
「すごい楽しみ!」
「俺も……ちょっと緊張してきた」
そんな会話をしているとショーが始まった。ペンギンはとてもかわいくて目の保養になった。
「可愛かったね」
「そうだな」
素っ気ない返事だが、内心ではかなりテンションが上がっていた。
「じゃあ、今日はここで、また明日」
「また明日」
それから俺たちは二か月ほどやり残したことをやっていた。遊園地に行ったり、飛行機に乗ったりなど。
「今日もありがと! また明日」
「また明日」
俺は帰路についていた。いつも通りの道だが、今の俺には特別なものに思えた。
それは俺の悩みがようやく解消したからだ。
俺は重ねていた。部活をやっていた時の自分と。毎日汗を流し、充実していた時の自分を。
遥には俺と違って笑っていてほしいと思ったんだ。そんな思いから遥の願いを叶えたいと思ったんだ。
——だが、嫌われたとしても俺はもう遥の手伝いをしたくなかった。……遥に恋をしてしまったからだ。
あの笑みをずっと俺に向けていてほしいと思うし、一生遥と楽しく過ごしたいと願ってしまうほどには好きなんだ。
「明日、伝えなきゃな」
次の日、いつもの待ち合わせの場所に向かうと先に遥が来ていた。
「遥、ごめんまった?」
「全然! ってどうしたの? 真剣な顔して」
言うんだ。いつ言えなくなるかわからない言葉を。
「遥、お前が好きだ。二か月間過ごしていて思った。お前とこの先も一緒に過ごしたいと」
「本気? 私幽霊だよ?」
「本気だ。たとえ触れられなくてもそこにいてくれるだけで嬉しい。だからごめん。俺は成仏してほしくないからやり残したことの手伝いはできない。
遥に俺の身勝手な思いを伝えてしまった。嫌われてもおかしくないと思った。
「嬉しい! 私も好きだよ! 私と一緒に過ごしてくれた君が。最初は何とも思ってなかったけど、どんどんいてくれなくちゃいやになっていた。だからこれからも一緒に居よう」
「もちろんだ!」
遥と結ばれた。最初は呆けていたけど、だんだんと実感がわいてきて喜びが爆発した。
その時、遥の身体が光りだした。そして、嫌な予感がした。
「わっ! なにこれ? ……決まってるか。ごめんね宥、私成仏しちゃうみたい」
「なんで⁉ せっかく結ばれたのに……なんで」
俺は膝から崩れ落ちて、気づいたら涙を流していた。すると、俺の頬に遥が手を添えて笑いかけてきた。
もう成仏するからなのか、声が発せられてなかった。しかし、その言葉は確かに俺の耳に届いた。
「大好きだよ! 宥」
「俺も大好きだ! 遥」
その言葉を最後に遥は完全に消え去ってしまった。一人取り残された俺は、再び涙を流していた。
「う、ああ、うあああああああ」
叫ぶ。ただひたすらに。遥が戻ってくることはないとわかっていても。
「なんでだよ! くそっ! クソっ……」
六月のにおいに誘われて出会った好きになった人は、光となって消えてしまった。俺はその事実を呑み込めるまでどれくらいの時が経つのだろうか。
涙を流し、声にならない嗚咽を漏らしながら遥のいない日常を考えながらそう思った。
6月の匂いと8月の涙 夕凪かなた @yunagikanata0619
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