第15話 助けなんて、いらない




(この人は、誰……?)


 魔物から引きずり出された男の素性を、この場にいる誰もが知らなかった。



「え、あれって……人?」


「誰だ、そいつ……」


 遠目からオリビアを見ていたライゼルたちも、状況が理解できていない。



 夕暮れの花畑に漂う、粘液の悪臭。


 栗色の濡れ髪が額に張り付いたその男は、とても場違いなほど整った顔立ちをしていた。


 細身の体に纏う白いシャツはくすみ、ズボンも溶けた部分の肌が露わになっている。



「……ッ!」


 男が急に激しく咳き込み、虚ろな瞳を薄く開けた。



(……生きてる!)



「大丈夫ですか!?」


「……」


 話しかけても目の焦点が合わず、顔色も悪い。


 男の肩に触れたオリビアの手に、冷え切った粘液の感触だけが残った。



(体が、すごく冷たい。何とか温めないと……)


 考えを巡らせるオリビアの元に、駆け寄ってくるナナの声。



「……リヴィ、大丈夫!? 魔物はもう――」


「チッ……」


「あんた、あの時の……!」



 眉間に皺を刻む者同士の、交錯する視線。


 ライゼルとナナが睨み合う中で、オリビアはエミリーの元へと一目散に駆け出した。



「お願いがありますっ……! どうか、あなたの力を貸してくれませんか?」


「……え?」


 目覚めたばかりのエミリーに、頼むのは間違っているのかもしれない。


 そうだと分かっていても、目の前にある命を救える可能性があるのなら――


 

「彼を……助けたいんです」


 オリビアの頭にあったのは、それだけだった。



***



 夕闇の森を照らす、焚き火の明かり。


 ぱちぱちと熱で弾ける枝の音と、エミリーの声が静かに灯る。



「じっとしていて――灯火フォティス


 彼女がかざした両手から、小さな炎が現れた。


 それはオリビアの手足に付着している魔物の粘液を焼くように溶かし、白い煙を上げて蒸発していく。



「コイツまで助けなくたっていいだろ……」


「何言ってるの、ライゼル。このまま放っておいたら、毒が回ってしまうかもしれないでしょ」


 ライゼルの悪態なんて気にも止めず、エミリーは魔法をかけ続けた。



 フィリタナトスの粘液には神経毒が含まれていて、それに対処出来る力――火炎魔法を使えるのは、彼女だけだった。



 エミリーのふわっとした癖のある髪も、湿ったローブも炎魔法で綺麗になっている。


 救出された時よりも、彼女は少しだけ元気を取り戻していた。




「エミリーって、いつからライゼルのパーティーにいるの?」


「親の反対を押し切って組んだのは、つい最近のことよ。私とライゼルは……幼馴染なんだ」



 魔法で粘液を溶かしてもらっている間、エミリーとオリビアたちは様々な話をしていた。


 ギルドからの依頼の途中で、フィリタナトスと遭遇したこと。


 互いの名前や暮らしていた町の話など、他愛もない話題が空白を埋めた。


 ライゼルとエミリーの関係に、ナナは顔を歪めて驚く。



「あいつと幼馴染って、なんか大変そう……」 


「まぁ、喧嘩早いのはいつものことだけど。彼も昔は、あんな感じじゃなかったんだけどね……」



 エミリーがそこまで話したところで、



「――昔の話はやめろ」


 矢が飛び入るように、少し離れた場所に立っていたライゼルが言葉を遮る。


 眉間に皺を寄せた彼のピリッとした空気に、その場にいる者は口を噤んだ。



「……ごめん」


「何よ、あいつの態度。偉そうに……」


 エミリーの謝罪とナナの声は、焚き火の爆ぜる音に紛れるほど小さく、ライゼルの耳に届いたかどうかはわからない。



 ライゼルと鉄兜を被った男――サムは、焚き火に背を向けて立ち、周囲の森へ視線を向けている。


 彼の第一印象はものすごく悪かったが、森での警戒を怠らない姿勢に、魔物に対する用心深さをオリビアは感じていた。




 しばらくして、粘液を溶かし切った頃。



「……何から何まで、本当にありがとう」


「それはこっちのセリフ! 私がいま生きていられるのは、オリビアのおかげだから」


 エミリーがふわりと微笑む。


 その温かさに、少しだけ心が軽くなった。




「この人も、早く目覚めるといいね」


「そうね。手は尽くしたから、あとは見守ることしか出来ないけど……」


 ナナとエミリーが視線を落とした先には、身元不明の若い男が横たわる姿があった。



 長い睫毛が縁取る彼の瞳は、いまも閉ざされたままだが――顔の血色は戻りつつある。


 安定した呼吸を繰り返す様子に、何とか目を覚ましてほしいと強く願った。




「終わったなら、すぐに発つぞ。こんな奴らに構ってる暇はねぇからな」


「……ちょっと! そんな言い方しなくても」


 エミリーがライゼルの発言をたしなめるが、彼は依頼の遂行を優先したいようだ。


 しかし、今回ばかりはエミリーも譲らない。




「オリビアたちがいなかったら、私たちどうなっていたか――!」


「……あ? あれを倒したのは俺だッ! これだって、トドメを刺した俺たちが貰うって話だろ」



 ライゼルの手に、紫色の結晶が握られている。


 それは、フィリタナトスから採集した『魔石の破片』だった。



 加速する二人の口論に、口を挟む余地は誰にもない。



 ヴァルフやケルピナのような獣の姿をした魔物――魔獣種とは違い、魔石を核に動いている魔物がこの世界にはいる。


 傷が少ない魔石ほど高値で取引されることや、魔物の弱点はそれぞれ異なり、攻略が難しいこともオリビアは知っていた。 


 


「ちょっと……落ち着いて――」

 

「――だいたいな、お前の存在そのものが気に入らねぇんだよ! 引っ込んでろッ!!」



 何とか仲裁に入ろうとしたオリビアに、ライゼルの苛立ちが飛び火する。


 ただでさえヒートアップした状況に、ナナが『さっきから聞いていれば……!』と加勢し、収拾がつかない。


 

 ――そんな時。



「……っ」


 手がぴくりと動き、気絶していた男が目を覚ました。


 起き上がった彼の切れ長の瞳が揺れていて、状況の整理が出来ていない様子。


 

「…………どうして」


 男の声が落ちていく。



「気が付いたんですね……良かった!」


 ライゼルと口論していたオリビアたちは、彼の覚醒に胸をなで下ろす。


 しかし、それは一方的な善意であり――




「どうしてっ……僕を、助けたんですか」



 その声の震えは、喜びとはほど遠い。


 ――命を拒絶する言葉だった。

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