第9話 悪夢の再来


 月が昇り、夜が深まった頃。


 オリビアとナナは家屋の陰にしゃがみ込み、息を潜めている。


 村の北側。畑が見える場所で、魔物が現れるのを待っていたからだ。



「……来るかな?」


「どうかな」



 小さな声で意思の疎通をはかる。


 暗闇に包まれた村は、松明の明かりもない。


 ひと気もなく、寝静まったように見せた方が魔物は現れるだろう、という考えからだった。



「プンジャオって強いの?」


「……うーん。人が吹き飛ばされるくらいの力はあるよ。家を壊されたって話を、昔聞いたことがあるから」


「え、死ぬじゃん。そんなの、ヤバ猪じゃん」



 真顔で目を見開いたナナは、至って真剣だ。




 確かに衝突されれば、ただでは済まないだろう。


 しかし彼らは草食の害獣であり、人を喰らうことはほぼない。


 もっと恐ろしい魔物は――他にいる。



「大丈夫だよ。私が戦うから」


「……ごめん。あの……」


 なんだか、ナナの様子がおかしい。


 何かを躊躇ためらうように俯きがちで、拳を握り締めたまま。


 空虚が二人の間を通り抜けた。



「ドーンと任せてって言ったけど、リヴィに全部任せきりで……。私ね、前に『踊るだけの役職ならいらない』って、言われたことがあるの……」



 天真爛漫な彼女の闇を、少しだけ垣間見た気がする。


 オリビアは、戦うことで自分の存在意義を感じているが――そもそもナナは、存在意義すら見つけられていないんだ。



 それはかつてのオリビアと同じ。


 何度修行しても強くなれずに、悔しさに呑まれそうな頃があったから――


(目の前に困っている人がいるのに、戦う力がなかったとしたら……どれだけやるせない気持ちになるだろう)




「魔法で誰かを助けられるって、すごいことだよ」


「えっ……」



 息を呑む音がする。


 顔を上げたナナの瞳が揺らめく。しかし、オリビアの言葉に嘘はなかった。



「……戦う力がなかったら、私なら戦場にいるだけで怖い。でもナナは……逃げずにここにいるでしょ?」


「……うん」


「それは、勇気があるってことだと思うよ」




 『戦う意志がなければ、何者にもなれない』


 それはかつてのオリビアに投げかけられた、アテナからの教えだ。



「この先、もっと強くなれる可能性は誰にだってあるんだよ。『今日より明日、強くなればいい』――これは師匠の受け売りだけどね」


「今日より、明日……」


「うん。諦めずに鍛錬すれば、明日にはもっと強くなれるって。……私はそう信じてるんだ」



 ナナがどう思うかは分からない。


 だけど、彼女の力になりたかった。



 見ず知らずの自分のために街まで案内してくれて、ギルドでは粗暴な冒険者から庇ってくれた。



 勇気があるナナのおかげで、どれだけ不安な気持ちが救われたか。


 ――彼女を助けたい。


 力になる理由は、それだけで充分だった。


 

 

「リヴィ……ありがとうっ」



 ナナが握り締めていた拳も緩み、纏う空気も少しだけ和らいだ気がする。



 しかし――


ㅤ村の北東の森林から、何かが近付いてくる音がする。


 地が揺れるほどの足音。乱暴に揺れる草木の気配に、オリビアたちは目を見合わせた。




 焦げ茶色の大きな猪の群れが、木々の合間から村の中へ飛び出してくる。


 鼻息は荒く、キィキィと特有の鳴き声が響いた。



ㅤ家の陰からオリビアが少しだけ顔を出し、頭数を数えると――




「……全部で五頭だ」


「長老さんが言ってた通りだね」




ㅤプンジャオの全長は150センチメートル。


 高さは100センチメートルほど――人間の子供の背丈くらいの体高だ。


 体重200キログラムのその体で突進しようものなら、人間の骨をも粉砕し、死を招くこともあるだろう。



 村にとっては、脅威でしかない。



「……ここで待ってて」


ㅤ静かに剣を抜くと、オリビアは魔物かれらに気付かれないように息を整える。



「ふー……」


ㅤ静まり返った夜の空気。


ㅤ心臓の脈打つ音で、緊張感が増していく。



 プンジャオが畑に近付き、作物を荒らし始める寸前まで堪えたオリビアは――


ㅤ群れに向かって、最短距離で駆け出していった。




 一頭、次の一頭と次々に斬り伏せると、辺りに血臭が漂い始め、魔物たちはオリビアの存在に気付き始める。



「プギャアアアオオオオッ!!」


 怒りの咆哮を上げた彼らの牙が、赤く発光していく。


 体内の魔力を牙に凝縮させ、衝突と同時に衝撃波を放つ――攻撃寸前のサインだ。



 バチバチと牙の先から火花が走り、地を叩くように何度も踏みつける威嚇の動作。



 その一連の出来事は、ほんの数秒のことだった。


(一匹も逃さないッ……!!)



 低姿勢で滑り込むように、足元を狙う銀閃を振り抜く。


 重い胴体を支える足を攻撃され、崩れるように地に沈むプンジャオを横目に、オリビアは力強く地面を蹴った。



 距離を詰め、左右に剣を閃く。


ㅤ鋭い斬撃音が二回、戦場に響き──残りの二頭も、力無く倒れていった。



「ふー……」


「プギャアアアオオオオッ!! ウルギャアアオオッ!!」



 足を切られた魔物が一頭だけ、倒れたまま暴れている。


 目を血走らせ、牙を赤くたぎらせ、仲間を殺されたことに対する怒りに震えているようだった。



「リヴィッ……!」



 ナナが駆け寄ってくるのと同時に、騒ぎを聞きつけた村人たちが松明を持って家から出てくる。



「……やったのか!?」


「これで、安心して眠れるわっ……!」



 喜ぶ者、感極まる者。


 村人の反応はそれぞれだ。



「これで終わったの……?」

 

「いや、最後にトドメを刺さないと……」



 横たわる魔物の心臓に、オリビアは狙いを定める。


 怒りに満ちたプンジャオの瞳に、わずか数滴の恐怖の色が混ざり合った。



 魔物は、本能で感じ取ったのだ。


 ――命の終わりを迎えることを。



 目と目が合ってしまったのだ。


 ――命や尊厳を、唐突に奪う者として。



(……もう、迷わないって決めたんだ。あの時と同じことを、繰り返さないために)



 ここで見逃がして、ケルピナの時のような被害の連鎖を起こすわけにはいかない。


 

 渾身の力で貫いた刃は、魔物を命の境界へと導く。


 苦しそうに呻き声を上げ、天を見上げた瞳は虚ろになり――何度か痙攣した巨体は動かなくなった。



 ほっと安堵する村人たちの声を除き、夜の静寂を取り戻したかに思われたのだが――



 (……あまりに静かすぎる)



 村が、周囲の森が、まるで異界にでも迷い込んだかのように音を失っている。



 いくら静かでも、多少の木々の揺れや獣の声はするはずなのに――皆、気付いていない。


 この異常さに、誰ひとりとして。



 辺りを見渡しても、変わらない景色が広がっているだけだ。


 それなのに感じる、この胸騒ぎの正体は――





 ――ビィィィィーーッ!!!



 突如として、鋭い人工音が静寂を破る。


 オリビアの腰に装着した魔道具が知らせる、その音が意味するもの。


 それがもたらす何かを知っているのは、この中で――たった一人だけだ。



 震えた喉から、息が零れるように――




「……緑夜が、来るッ……」



 オリビアの消え入りそうな声が、悪夢の再来を告げた。



 

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