1分

先崎 咲

一分

「一分でいいから、そばに居させて」


 その言葉と同時に、袖を掴まれた。体育館の陰に引きずり込まれる。ドン、と背中が壁にぶつかる。キミは俯いていて、表情は見えない。


 高校最後の夏。キミが全力で挑んだ試合ゲームは負けで終わった。私はそれを眺めているだけだった。キミの高校生活の中の努力が死んでしまったことを見届けることしかできなかった。


「すごかったよ」

「慰めの言葉とか、いらない」

「慰めとかじゃなくて」

「ん」


 拗ねるような声と共に袖にかかる力が強くなる。洋服越しにキミの髪を感じる。

 困った。どれだけ本気で言っても、今のキミには伝わらないのだろう。


 ぼう、と遠くを眺める。くらくらと景色が揺らいで見えるのは陽炎か、それとも悔し涙か。


「勝ったら、告白しようと思ってた人がいたんだ」

「……へえ」


 ぽつり、と落とされた言葉に内心驚いた。部活熱心なキミに好きな人がいるなんて気が付かなかった。


「負けて告白って、カッコ悪いじゃん? だから、絶対勝とうって思ってたのに」

「……そんなこと、ない」


 カラ元気な声が痛々しくて、泣きたくなってくる。


「ホント? その言葉に責任持って、フラれたら、ジュース奢ってくれる?」

「ジュースくらいだったら」


 袖から手を離される。キミは体育館の陰を出た。眩い太陽が、涙で腫らした顔を照らしていた。

 悲しくても笑おうとするその姿を見て、好きだな、と思った。思ってしまった。

 ただ、いかないで、という思いは喉に張り付いて出てこない。


 出てきた言葉は、「がんばれ」だけだった。


 キミはヘンな顔をした後、こちらに突進してきた。今度は腕を掴まれる。


「そんな顔しないで」

「何言って……」

「好きって言ったら、驚く?」

「え……?」


 今、なんて?


「他人事みたいな応援するくせに、そんな寂しそうな顔をしてさ。そんな顔されたら、やっぱりワンチャン狙えるかもって思っちゃうじゃん」

「な……」

「こんなことしても、何も言わないしさ。だからさ、やっぱり好きだよ。付き合って」


 こんなことって、あるのだろうか。キミの瞳には、驚いた自分が映っている。


「……うん」

「!」


 強い力で抱きしめられる。勢い余って、体育館の陰に背中がぶつかった。


「一分じゃなかったの?」


 急に気恥ずかしくなって、ずっと前に言われたような気がする、ついさっきの言葉を口にした。


「……もうちょっとだけ」


 その言葉だけで、永遠にこうしていられる気がした。


 くらくらと景色が揺れる。でも、これは、夏の恋のせいだ。

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1分 先崎 咲 @saki_03

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