第3話 それも愛のカタチ


「ほら、もっと食べたいならどうぞ? 脚はどうかしら……でも、獣さんはもう食べないんでしたね……ふふ、獣の癖に少食なのね!」


 次の瞬間、部屋に少女の絶叫が響いていた。


 おれは、目の前の光景に愕然とする。


 おれの口が、少女の右足を咥えていた。いや、もう喉の奥まで呑み込んでいる。熱い肉の感触が舌の上に広がり、喉を通るたびに内側を押し広げていく。少女の体温がまだ残る脚が、内臓の奥へと沈んでいく感覚——それは、吐き気を催すほど異常でありながら、途方もなく甘美だった。


「ぁ……ぁぁ……っ……!」


 少女は悲鳴を上げ、おれの食道の中で、指をぎゅっと握りしめていた。しかし、その顔はただ苦痛に歪んでいるわけではなかった。涙を浮かべながらも、どこか陶酔したような表情を浮かべている。


 喉がまた鳴った。おれは、欲望のまま少女の脚を丸呑みしていく、そして……太ももの付け根で歯を立て、ゆっくりと肉に沈めていく……最初は柔らかく反発し、少しすると鬱血し、やがて皮膚が破れた……血が吹き出し、中の肉が現れ、骨まで掻き分けるように鋭い歯は進んでいく。


 少女は、痛みに絶叫し、オカシナ痙攣を繰り返し続けていた。口から泡を吹きながら、気絶と絶叫を何度も交互する。


「────」


 おれはそれを見て、優越に浸った。今度こそ勝ったと思った。結局少女は人並みに痛覚があり、痛みに弱い、ただの少女だと……おれはそれを確信した……顎に力を入れて、少女の右脚を噛みきった。ボイルした粗挽きソーセージを齧った時のような感触だった。


 口の中で熱を失っていく脚……体中に染み渡る鮮血の味……少女は絶命を感じさせるほどの断末魔をあげた。





 少女は死んだように眠った。死んだのかもしれない。左手と右脚のないアンバランスなカラダは血の池にぷかぷかと浮かんでいた。日の浅い内に発見された水死体、バラバラ殺人事件の犯行現場、耽美で退廃的なアート……もしくは独身者の部屋……そんなものを思い浮かべた。





 食道を通った肉の感触が、未だに口内に残っていた。それを思い出すたび、脳が痺れるような快楽を訴えた。


 あまりに鮮烈な刺激に、おれの体は克明にそれを記憶した。少女の絶叫と、脳裏を灼くような快感。何もかもが異常だった。異常であるはずなのに——


「──わたしの脚……美味しかったですか?」

 少女の声が、震えながらも甘やかに耳を撫でた。


「……っ」


 少女は片足を失ったというのに、微笑んでいた。


 白い肌に走る今はまだ赤黒い断面を指でなぞりながら、痛みに涙を浮かべつつも、どこか満ち足りたように——


「なぜ……だ」


 またもや、おれは遊ばれていたというのか……まさか少女のあの叫び声も涙も血も全部演技だったのか……それではまるで、まるで……人間同士とは言えない……アンドロイドだ、少女はアンドロイド。おれだけがノンフィクション、少女は嘘だ、すべて……すべて……


「おまえは……何者なのだ……何故食用なのだ?」


 それは、あまりにも理不尽な問いだった。だが、それしか言葉が出なかった。


「嘘なのだろう? おまえの全てが嘘、そうだろう!?」


 けれど、少女は微笑んだ。そんなおれを優しく見つめた。まるで、何もかもを許しているかのような目だった。


「だって、わたしはあなたを愛しているから」


 そう言って、彼女は微笑んだ。笑った……自らを食し、すべてを否定した獣へ……慈悲深い微笑み……


 白い壁に、僅かに影が落ちる。

 ただひとつの窓から差し込む光が、少女の輪郭を照らす。

 おれは、何も言えなかった。

 胃の奥からせり上がる罪悪感と、未だ消えない飢えの狭間で、ただ震えるしかなかった。


 これがすべて愛だと、この少女はそう言うのか……痛みも喪失も全て、愛で覆ってしまうのか……おれは馬鹿らしくなった……終わらない永遠の疑いより、納得感という感情だけで論拠は無い、けれど万人が抱いてしまう「愛」という幻想……そっちの方がよっぽど──


「──ロマンチックだと思わない?」


 少女は断面を愛しそうに撫でながら言った。


「…………」


 おれの心は砕けた……獣の中の人間が久しぶりに顔を出した……おれは元々人間なのだ。


「……もう、食べない」


 声を絞り出した。「もう……お前を……喰わない」


 それは誓いだった。少女は、それを聞いて小さく笑った。


「ほんとう?」


「ああ……」


 おれの声はかすれていた。おれは、獣を必死に押し殺すように、奥歯を噛み締めた。


「あなたがそう言うのなら、それもいいと思うわ」


 少女は、安堵したように目を細めた。

 光が、揺れる。


 白い部屋の中で、ふたりの影だけが、寄り添うように揺らめいていた。

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