第5話
「くぁ……」
目が覚めると私は起き上がって、小さく
枕元では、まだ熟睡している琴声が気持ちよさそうに寝息を立てていた。私が起き上がったことで掛け布団がめくれて、彼女は寒そうに身を丸める。
私は起こさないようにそっと布団を掛け直して、ベッドから抜け出した。
「さて、今日はどうしよう」
それから、私はキッチンに立って、朝食のメニューを考えた――。
「おはよぉ」
「うん、おはよう」
7時過ぎ。ふにゃふにゃした声で挨拶する琴声が、遅れてリビングにやって来た。
そろそろと私の背後に歩め寄って、優しく抱きつくと後ろから頬にキスをされる。私はまだ寝ぼけ眼の琴子にキスを返して、椅子に座らせた。
テーブルには、私の作った卵サンドが丁度並んだところ。
「あ、美味しそ~」
「フライパンを使わず電子レンジだけで作れるんだよ」
「お~、お手軽さんだぁ」
琴声が倒れてから4日。
琴声は医師からの指示通り1週間は自宅療養と言う事で、のんびり家で過ごしている。
体調には問題ないようで、むしろ家に居るだけだと暇だとかボヤいていた。
私の方は昨日から職場復帰して、今日も朝食を食べたら出勤しなければならない。
「「いただきます」」
どちらともなく手を合わせて食事を始める。
琴声は「美味しい」と何度も繰り返しながらニコニコしていた。
「はぁ~、でも遂に食事当番を透に奪われてしまったか……」
「まだ言ってる。昨日話し合って決めたことでしょ?」
「分かってるけどさぁ」
仕事が忙しくて夕飯が一緒に食べられない時でも、せめて朝だけはと、琴声は毎日朝食を用意してくれていた。
しかし、今回のことがあって、これまで頑なに料理当番を譲らなかった琴声に、私から降板宣告をすることとなった。
「1人暮らししている頃は自炊なんて全然できなかったんだけど、やっぱり好きな人のためって思うと頑張れるものだね。今はネットに簡単なレシピが沢山乗ってるし。これならもっと早く私が朝食を担当してればよかった」
「嬉しいけど、私としてやっぱりちょっと残念。透には毎日私の手料理を食べて育って欲しいんだよねぇ」
「育ってって……もう22歳ですが?」
「90歳くらいまでは、私の手料理ですくすく育って欲しい」
「壮大な計画だね」
朝から頭の回っていない馬鹿な会話を繰り広げる私たち。
でも、この時間が何よりの癒しなのだ。
「透、今日、帰りは?」
「18時くらいかな」
「じゃあ、夕飯は私が作って待ってるね」
「えぇ……休んでよ」
「でも最近作れてなかったし……」
本来なら素直に喜べる提案なのだけど、つい4日前に過労で倒れた人に言われると判断に困る。
まあ、でも本人がやりたいって言ってるんだし……。
「分かった。じゃあ楽しみにしてる」
「時間あるし、凝ったやつにしちゃお」
「……琴声?」
「……それまでちゃんと休むから……ね?」
こんなことなら昨日の夜にもっと疲れさせておけば良かっただろうか……いや、それは本末転倒というか……。
「まあ良いや……私そろそろ時間だから」
「うん。片付けはやっておく」
「ありがとう。それじゃあ、行ってきます」
そして、また私の日常が始まる。
これから、琴声の仕事がどうなっていくのかは分からない。
琴声も働き方については会社と相談すると話していたけど、果たしてどうなることか……。
まあ、それもまた先のわからない未来のことだ。
今はただ、今夜、彼女が作ってくれる夕飯を楽しみに、自分の仕事を頑張ろう。
そう思いながら、私は少しだけ軽くなった足取りで、駅へと向かった。
◇
その日の仕事は、順調に終わった。
時計が17時15分を指すのと同時にパソコンをシャットダウンし、私は足早にオフィスを出る。
電車に揺られながら、琴声からのメッセージを確認した。『今日はアクアパッツァだよ!』という、元気なスタンプ付きの報告。私の胸は、温かい期待で満たされていった。
ところでアクアパッツァってなんだっけ?
物凄く海の幸っぽい何かを感じるけど、どんなものが出てくるのか。
私はあえて調べることなく、どんなものが出てくるのか想像して、ワクワクしながら家路に着いた――。
「ただいま」
マンションのドアを開けると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
「おかえり、透!」
エプロン姿の琴声が、キッチンからひょこりと顔を出す。その頬はほんのり上気していて、随分と料理を楽しんでいたことが伝わってきた。よかった、無理はしていなさそうだ。
「よくわかんないけど。美味しそうな匂いだね」
「ふふん。私もよくわかんないけどなんとか完成した」
「急に不安になること言い出したね……」
得意げに笑う彼女に促され、テーブルに着く。
食卓に並んだのは、ほかほかと湯気の立つ海鮮料理と、彩りの良いサラダ。
向かい合って座り、二人で手を合わせる。
「「いただきます」」
早速一口食べてみると、ほんのりバターを感じる白身魚の美味しさが口の中で爆発した。
「……美味しい。すごく、美味しい!」
「良かった〜。とことん凝ったものを作ってやろうと思って、プロの料理人の動画を真似して作ったんだけどね。途中か見たことない調味料が出てきて……」
そんな会話をしながら、私たちはゆっくり料理を食べ進めた。
食事が終わり、私が食器を片付けていると、琴声がそっと後ろから私を抱きしめてきた。
「……琴声?」
「んー……」
私の肩に、彼女がこてん、と頭を預ける。甘えるような仕草に、胸がきゅっとなる。
「ねぇ、透」
「はい」
「……今日、会社に連絡したんだ。来週から、復帰するって」
「うん」
「それでね、部長に、全部話した。今のプロジェクトが終わったら、少し働き方を変えたいって。……透とのこと、ちゃんと考えたいから」
その言葉に、私の食器を洗う手が、ぴたりと止まった。
彼女が、大きな一歩を踏み出してくれたことが、痛いほど伝わってきたから。
「そっか……。うん。良かった」
「部長もね、すごく良い人だから。『身体が一番だからね』って言ってくれた。もともと、社員の負担を減らすために人手を増やす話があったみたいでさ。今急いでその話を進めてるんだって。なんかさぁ……私、もっと早く、周りの人を信じて、相談すればよかったんだなって……」
「そうだよ。琴声、1人で抱え込みすぎ。琴声は人に頼られるの好きだから、頑張りたくなるのも分かるけどさ。でも、頼られたいのは琴声だけじゃないんだからね?」
「うん。ごめん」
そう言って、彼女は私の肩に頬ずりをする。それから、また私の頬にキスをした。
すると、ほんのりとした熱と、心が和らいでいく、何か形容しがたいものが全身に伝わってくる。
それを感じて、私は今回の一件は終わったんだなと、直感的にそう思った。
大変なこともある。すれ違う日だって、きっとこれからもあるだろう。
でも、二人で、ちゃんと向き合って、話し合えるなら。どんな未来だって、きっと乗り越えていける。
私は、濡れた手をタオルで拭うと、振り返って彼女を抱きしめ返した。
「琴声、大好きだよ。ちゃんと、私のこと頼ってね?」
「うん。ありがとう。私も、好きだよ透」
そう言って、私たちは顔を見合わせて、笑った。
穏やかで、温かくて、少しだけスパイスの効いた幸せな日常。
そのかけがえのなさを噛みしめながら、私たちの夜は、ゆっくりと更けていった。
〈了〉
===========
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
これにて後日譚も完結です!
社会人として、仕事に対するスタンスの違いからすれ違う2人、というテーマを少し前から考えてまして、『私の先輩が優しすぎる!』の後日譚を描こうと思った時に「ここで使おう!」となり執筆に至りました。
楽しんでいただけていたら幸いです。
最後に、本作へ『★で称える』をしていただけますと、作者の今後の創作活動のモチベーションになります。
是非、よろしくお願いいたします。
私の彼女が忙しすぎる! 真嶋青 @majima_sei
★で称える
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