黄泉の桃源郷

冬夏波琉

プロローグ 恋人が死んだ日

「キャー!!」

誰かの叫びが駅の構内中に響いた。

もり大輝だいきの恋人が飛び込み自殺をした。それは7月29日午後1時49分の出来事だった。

彼女の名前は青木あおき夏華なつか。常に明るく元気いっぱいだった。

「今すぐ此処から逃げろ!俺達もアイツに殺されるぞ!」

何処からか男の声がした。彼は大輝を指差していた。どうやら線路の近くに居たことと、人混みの影響で勘違いされたようだ。

そこから逃げ惑う人が大量に発生し、構内は転ぶ人や連れと離れてしまう人なども出て来て混乱してしまった。当の本人は先程の光景を未だに信じきれていなかったからか、一言も発さなかった。

「大丈夫ですか?」

それでも心配する者も居た。大輝の近くに居た電車を待っていたOLだ。彼女の顔は哀れみが宿っていた。こんな事を聞かれても夏華が還って来ないことぐらい解っていた。

「…、はい」

大輝はただ虚にそう答えることしか出来なかった。彼の目は生気が宿っておらず、彼女が手を離せば今すぐ飛び込みそうだ。彼の頭は未だ正常に戻っていない。

「ほら、逃げるよ!」

「え、でも…。ねぇ、聞いてよ!この人はさっきの人を押していないんだよ!」

「それはしょうがないの!いいから逃げよう?アケミも殺されちゃうよ!」

奥からもう1人女性が走って来た。彼女の顔は青ざめていた。彼女は心配してくれている女性を見つけるとすぐに手を掴んで引っ張った。そこから彼女の表情は大輝に移った。それで怯えるような表情を浮かべて早く此処から逃げなきゃ!という気持ちが強いのか、さっきよりも強く腕を引っ張った。

「…分かった」

彼女は同僚の今にも泣きそうな顔を見て逃げることを決意したようだ。

「ごめんなさい」と小さく呟いて手を引かれて行ってしまった。

大輝は、「俺の味方は誰も居ないのか」と小さく呟いた。ただ1人でポツンと構内に残った。

「貴方は今、辛いですか?」

多分そこから数分後、白髪の蓄えたヒゲがある老人の大男が声をかけて来た。彼の目は先程の女性と同じ哀れみが宿っていた。

「…、見れば分かるだろ」

大輝は虚空を見ながら答えた。おかしなことを聞く老人に怒りの情すら出てこない。それくらい大輝は落ち込んでいた。

「そうですか…」

老人は少しニヤけて答えた。その答えに大輝は気持ち悪い爺さんだなと感じた。ただ、その目には大輝をただ助けたいという光が宿っていた。

コイツになら大丈夫だろと思って、事の詳細を話し始めた。

「夏…、いや恋人が自殺したんだ。それも笑いながら。死にたいっていう願望があったのは理解していたが、笑顔で死なれるとこっちも困っちまうんだよ」

「そうですか…」

老人は笑顔で頷きながら話を聞いていた。不気味に感じた。コイツに話したのは良けど話す相手を間違えたかもしれないと後悔していた。

「それで、俺が殺人犯に仕立て上げられた。やっていないのにやったって言われてさ。もう精神が参っちまうよ」

「それは仕立て上げた人が悪いですね〜」

先程と同様に不気味に笑いながら聞いている。その老人の態度に久しぶりに少しイラついた大輝は何か言い返そうとしたが、言う直前で何を言うのか忘れてしまったため、口を閉じた。

「夏華はこんな俺の側にずっと居てくれて。しかも俺と楽しいって言ってくれたんだ。…、なぁ、アンタ。俺はこれからどうすればいいんだよ!?」

「そうですか…。話してくれてありがとうございます。きっと貴方は救われますよ。もり大輝だいきさん」

老人は大輝の名前を伝えていないのに言い当てた。大輝は少し目を見開いたが、まぁ、ネットか何かで俺の個人情報が公開されていて、それで知ったのだろうと思い追求はしなかった。ただ、その老人の全てを見透しているかのような言い方に腹が立った。

「お前、ふざけてんのか!こっちは真剣なんだよ!話を聞く気がねぇなら帰りやがれ!」

もう我慢ならなくなった。老人がきちんと話を聞いている態度には見えなかったからだ。恋人が死んで今にも後を追いたいのを我慢しているし、色々壊れそうなのをすんでの所で止めていた。

「私は至って真剣ですよ。さぞかし、夏華様が自殺なされてお辛いことでしょう。…、そうだ。今すぐ此処で性奴隷として蘇らせてあげましょうか?」

ただ、老人の言葉に最後の糸が切れた。改めて恋人はもうこの世には居ないことをわからされた。それに、自分が薄汚い欲望を抱いているのがバレてしまった。その感情を向ける訳にはいかないのと、恋人を蘇らせたいが蘇ってしまったら夏華ではなくなってしまう、このことが怒りを最高潮にした。


老人と大輝が話している最中、ホームは混乱に陥っていた。過呼吸になる者、警察に電話をする者、恐怖で泣き出す者など様々だ。そこに何処からか誤情報を得たマスコミが来た。マスコミが来たのと同時に警察も来た。

「お巡りさん!早く殺人犯を捕まえて下さい!」

「それは無理ですね。証拠が何も無い以上捕まえる訳にはいきませんので」

警察に対し、早く捕えるよう言っていたのは先程のOL2人組の内の逃げようと促した女性だ。彼女は右手でアケミを制止していた。その手は力強くアケミが痛みを感じる程だった。

「てめぇ!!」

大輝の大声が響いた。その声は警察官にまで届いた。警察官は何事なのかを確認するために下へと降りた。もしかしたら本当に殺人犯が居るかもしれない。この緊張感が彼らの中で走った。

「お巡りさん。こちらですよ」

老人の掛け声に複数の警察官が集まった。警察は今にも殴りかかりそうな大輝を捉えた。大輝は抵抗をして警察官を殴ろうとしたがすんでの所で理性が働いた。そしてそのまま抵抗せずに出たら、マスコミにかこまれた。何度も聞かれたが、ひたすら無言を貫いた。そしてそのままパトカーに乗せられ、取り調べ室に連れて行かれた。勿論老人も一緒に。

「お前がやったんだろ!」

「なんでそんなこと言うんですか?」

淡々と答えた。検察は思惑通りかのようにニヤリと不気味に笑った。コイツをこのまま追い詰めようと考えていた。何故なら暴行殺人の容疑者は未だ捕まっておらず、この事件を解決すれば評価も影響力も同時に得られると思ったからだ。

「…、お前がやったっていう目撃が多いからだ」

「そうですか」

やはり淡々とした回答だ。粗を出そうと他にも色々質問されたが、そのいずれの答えを言った時にも彼の目には生気が宿っておらず、ただ虚空を眺めていた。

「大変です!老人の男が居なくなりました!」

「ああ、あの老人か…。ならいいだろ」

「すみません。耳を」

「あの老人、あの連続殺人犯が今何処に居るのか分かるらしいです」

取り調べが始まって2時間が経過した頃、1人の男性が大輝のいる部屋に入って来た、彼は取り調べを担当している検事に耳打ちをした。

「何だって!?今すぐ探せ!」

そこから3時間経ったが老人は見つからなかった。老人が居ないことにより証言が取れなくなった検察側はそこから2時間後、計7時間経って大輝は解放された。

大輝はすぐ病院に向かった。その目には生気が宿っていた。少しばかり希望を見出していたのだろう。だが、既に助かる見込みはなく、過去に縋ることしか出来ない人間のようになっていたことを知るよりも無かった。

「残念ながらもう助かりません」

「…、そうですか。伝えてくれてありがとうございます」

病室に向かった。そこで希望はすぐに潰えた。彼女の顔には白い布が被せられていた。医者達は涙を流していて、病室の人からもグスッと涙を流す音が聴こえる。大輝は1人だけ別世界に来たみたいだった。その時でさえ彼には哀しみの感情は湧かなかった。

その後、家に着いた。

「うわぁぁぁーー!」

彼は漸くそこで泣いた。部屋には枕や服、食器に至るまで夏華の生きていた頃の痕跡が残っていた。夏華が死んでしまっても部屋は変わることなくそこに存在している。それが更に事実を冷静に突きつけてくる。

泣き終わった時にはもう既に午後13時を回っていた。

…ああ、もう一度彼女と会いたいな。この想いだけが彼の頭の中で響いていた。

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