第6話 新宿西口ダンジョン

翌日――夕方。

 藤堂遼は、新宿駅西口のロータリー前に立っていた。

 昨日、黒い穴が現れた場所。

すでに周囲は高いフェンスで囲まれ、警察と自衛隊が出入りしている。ニュースでは「原因不明の陥没事故」と発表されていたが、そんな言い訳が通じるわけもなく、駅前は人だかりとカメラで溢れていた。


「……うわ、野次馬多すぎ。これ、絶対バレるだろ」


 遼は帽子を深くかぶり、顔を隠す。昨日の掲示板騒ぎが尾を引いているのだ。

 隣には、いつものように涼しい顔の香坂真琴。

黒いジャケットに細身のパンツ姿。普段の大学生というより、どう見てもプロのエージェントだ。


「心配しなくていいわ。外の人間には“内部”は見えない。穴は探索者にしか開かない仕組みらしいから」


「は? 昨日あんだけバッチリ見えてたのに?」


「昨日は例外。完全に開いてしまったから。今は封鎖されていて、探索者にしか認識できない状態よ」


 真琴がスマホを操作すると、フェンスの内側に黒い渦が浮かび上がる。

 周囲の人間には見えていないらしく、誰も気づく様子はなかった。


「じゃ、行くわよ」


「ちょっ、心の準備――」

言い終える前に、真琴が彼の手を掴み、闇の渦へと引き込んだ。



---


――視界が暗転する。

 胃袋が裏返るような浮遊感。

 落ちているのか、登っているのかすら分からない。

 やがて、足元に硬い感触が戻ってきた。

遼が目を開けると、そこは駅前とはまるで別世界だった。

 四方を黒い岩壁に囲まれた洞窟。

湿った空気が漂い、天井には青白い光苔がぼんやり輝いている。足元は石畳のように整えられていて、明らかに“人工的”な構造だった。


「……マジでゲームじゃん」


 遼は口を開けて呆然とする。

VRでもここまでリアルには作れない。石壁の冷たさも、湿気でじっとりした空気も、鼻をつくカビ臭さも――すべて現実だった。


「気を抜かないで」


 真琴はすでに氷槍を呼び出していた。

 その姿に、遼は再び現実感を突きつけられる。         ここはただの幻想じゃない。

 モンスターがいる、危険なダンジョンなのだ。


「……でもさ、改めて思うんだけど。俺のステー

タス、マジで雑魚なんだよな」


「昨日の戦いを忘れたの? あなたのスキルは、ただの数値以上の可能性を秘めてる」


「いやでも《アビリティジャック》って“瀕死状態で発動”だぞ? 死にかけ前提って何その鬼畜縛りプレイ」


「……試しに今、私の攻撃で致命傷を――」


「やめろぉぉぉ!」


 真琴の目が本気だったので、遼は全力で拒否した。

 そんな掛け合いをしていると、耳の奥に低い唸り声が響いた。

 奥の通路から、のそのそと現れる影。

 灰色の皮膚、黄色い目。昨日の巨躯に比べれば小さいが、それでも人間ほどはある。

 背中が丸まり、鋭い爪が岩を削りながら迫ってきた。


「……ゴブリン?」


 遼は震える声を漏らす。

 見覚えのある姿。

 ゲームで散々倒してきた雑魚敵――のはずだ。だが、現実に目の前にすると、異臭と殺気で膝が震える。


「初戦闘ね。私が援護するわ。あなたは……逃げずに見てなさい」


「逃げずに見てろって!?」


 ゴブリンが唸り声を上げ、真琴に飛びかかる。

 瞬間、彼女の手から氷槍が放たれた。

鋭い氷の矢が空気を裂き、ゴブリンの肩を貫く。血が飛び散り、獣の悲鳴が響いた。

だが、ゴブリンは止まらない。

傷口をものともせず、さらに突進してきた。


「くっ!」

 

 真琴が再び槍を構えるが、連射には一瞬の隙がある。

 その刹那、ゴブリンの爪が振り下ろされた。


「うわっ――!」

 

 遼は反射的に飛び出していた。

 体当たりのように真琴を突き飛ばす。

 代わりに自分の腕に爪が掠め、血が噴き出した。


「いってぇぇぇぇ!」


激痛に悲鳴を上げた瞬間、スマホが震えた。


【条件達成:瀕死判定】

《アビリティジャック》発動可能――対象:香坂真琴


「うわマジか! やっぱり死にかけトリガー!?」

 

 頭が真っ白になる。

 だが次の瞬間、体の奥から冷気が迸った。

手を振ると、遼の手の中に氷の槍が形成される。


「……出た! 俺も氷魔法使える!」


「バカ、早く撃ちなさい!」

 

 真琴の叫びに押され、遼は勢い任せに氷槍を投げた。

 槍は真っ直ぐに飛び、ゴブリンの胸を貫く。

 獣が断末魔を上げて崩れ落ちた。

 静寂。

 遼は荒い息を吐き、足が震えて立っていられなかった。


「……やった、のか?」

「ええ、初撃破おめでとう」


 真琴が淡々と告げる。

だが、その目にはわずかな驚きが宿っていた。

 遼は呆然と自分の手を見る。

 さっきまで震えていたはずの手が、まだ氷の冷気を帯びていた。


「俺……ホントに魔法撃ったんだな」


「あなたのスキルは、間違いなく戦力になる。ただし条件が条件だから……死に急ぎはやめなさい」


「わかってるよ……っ」

 

 遼は苦笑しつつも、胸の奥にわき上がるものを押さえきれなかった。

 恐怖と同時に、確かに感じた。

 “自分でも戦える”という感覚を。

 そのとき、スマホに通知が入った。


【討伐完了:ゴブリン1体】

報酬:探索ポイント+10

経験値獲得――Lv2→Lv3


「……レベル上がった!?」


「当たり前でしょ。ここはダンジョンよ。現実と同じルールじゃない」


「マジか……マジでRPGの世界じゃん……」

 

 遼の口元が震える。

 恐怖でか、それとも高揚でか、自分でもわからなかった。

ただ、心の奥で何かが確かに芽生え始めていた。


「……よし。俺、やるよ」


「覚悟を決めた?」


「ああ。どうせ逃げても、あの穴は消えないんだろ? だったら……少しは足掻いてみる」

 

真琴が微かに笑った。


「いいわ。じゃあ、次はもっと強い敵よ」


「え、待って!? 休憩とか無し!?」


「戦闘は続くの。RPG気分で油断してると死ぬわよ?」


「おいィィィィ!」

 

 洞窟の奥から、また唸り声が響いた。

 遼は顔を引きつらせつつも、拳を握りしめる。

こうして――探索者としての初ダンジョン攻略が始まった。

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