第10話 愛情と憎しみの狭間で
その日の朝の城内は、異様な熱気に包まれていた。窓から外を見ると、大勢の騎士が鎧を纏い、槍に剣、そして紋章が刻まれた盾を持ち隊列を組んでいた。
「いよいよ、戦争が始まるのか」
ノアはそんな慌ただしい光景を見て溜息を漏らす。こんな非力な自分は戦争に出向き、戦う力さえない。こうして、遠くから戦争へと向かう騎士たちの無事を祈ることしかできなかった。
「ノア」
「あ、国王陛下……。なんでこんな所に?」
こんな時に自分の所に来ている場合ではないだろうと、ノアは呆気に取られてしまう。
きっとこれから、この若き国王は大勢の騎士団の先頭に立ち戦うこととなるのだろう。そんな時にもかかわらず自分に会いに来てくれるなんて——。ノアは嬉しい思いを必死に押し殺して、冷静を装った
「ついに隣国が国境を越えて攻めてきた。私は戦地に出向いてくる。私が帰ってくるまで、箱庭からは絶対に出るでないぞ」
「わかった」
『私が帰ってくるまで』という言葉に、ノアの心は痛む。本当にイヴァンは生きて帰ってくることができるのだろうか? もしも命を落としてしまったら……。そんなことを想像するだけで、ノアの体が小さく震え出す。
「国王陛下、これを持って行ってくれ」
差し出されたノアの手の中に、白い布地が乗っている。それは何かを包んでいた。
「これは?」
「これは俺が生み出したベゴニアの花だ。きっと、この花が国王陛下を守ってくれると思う」
「そうか。ありがとう、ノア」
ノアは、ずっと大切にしまっていたハンカチーフにベゴニアの花を包みイヴァンに渡した。独占欲の強い花食みは、自分の花生みの花を普段から持ち歩きたがる。そのため、ノアはイヴァンにベゴニアの花を贈ったのだった。
「国王陛下、どうかご無事で……」
「ありがとう、ノア。では行ってくる」
イヴァンがいつものように優しく微笑んでから、ノアに背を向ける。
——あ、行っちゃう……。
ノアは無意識のうちにイヴァンに駆け寄り、背中から抱き着いた。きっとこれから鎧を身に着けるのだろう。イヴァンが今身に着けている洋服は、ゴツゴツしていて固い。その防護服の上からでは、イヴァンの温もりを感じることはできなかった。
「死なないで、国王陛下……」
「大丈夫だ、ノア」
イヴァンはノアの頬にそっとキスを落とし、優しい笑みを浮かべる。それはノアが大好きな笑顔だった。
「私は生きて帰ってくる。また会おう」
「うん」
結ばれたノアとイヴァンの手は離れ、箱庭の扉が静かに閉められる。
生きて帰ってきてほしい。しかし、もし戦地でイヴァンが命を落とせば、きっと両親の無念も報われることだろう。
「でも、やっぱり帰ってきてほしい……」
ノアは葛藤をしながらも、そう祈った。
◇◆◇◆
「戦争は始まったの?」
ベッドメイキングのために箱庭を訪れていた初老の男性に声をかける。この家臣はベーテルという名で、箱庭の掃除などのためにノアの元を訪ねてくれる。博識にもかかわらず、物腰が柔らかいところがノアは好きだった。
アッシュも勿論戦地へと出向いてしまった今、このベーテルがノアの心の支えだった。ノアはベーテルが来てくれることを毎日心待ちにしていた。
「はい。ちょうど国境付近で戦争が始まったようです。数的には互角のようですが、何分陛下はまだお若いですから、向こうの国王より経験がありません」
「そっか……」
「でも大丈夫ですよ。陛下のすぐそばには、アッシュもいますし、前国王陛下のときから一緒に出征している騎士団員もいます。ですから、きっと勝利を収めて帰ってきてくれることでしょう」
ベーテルの言うことは、天邪鬼でもあるノアの心にも素直に入ってくる。
「戦争って、やっぱり大勢の人が亡くなるのかな?」
「そうですねぇ」
ベーテルはベッドメイキングをしていた手を止めて、ふと何かを考え込んでいる。ノアは早くその答えが知りたくて、ベーテルの顔を覗き込んだ。
「やはり戦争は多くの人の命が奪われるものでしょう。実は私の息子も、この国の騎士団だったのです。しかし、前国王の時に出征し、戻ってはきませんでした」
「え……?」
「ここ数年、我が国もですが他国も不作が続いており、食糧難に陥っています。どの国にもノア様やソフィア様のような有能な花生みはいますが、正直それだけでは補いきれていないのが現状です」
ベーテルがノアのほうを向き、少しだけ悲しそうに笑う。その笑顔にノアの心が痛んだ。
「食糧がないならば、他国から奪えばいい。そんな愚かな考えで戦争は起きるのです。最近我が国はノア様のおかげで、豊作が続いていますからね」
「……ごめんなさい、変なことを聞いて」
「大丈夫です。もうかなり前のことですから。お気になさらないでください。そうだ、今日はおやつの時間にアップルパイをお持ちします。楽しみにしていてくださいね」
「うん。ありがとう」
ベーテルがいなくなってしまった箱庭は、再び静寂に包まれる。外から聞こえてくる小鳥の鳴き声が、ノアのささくれだった心を癒してくれた。
「戦地ってどんな感じなんだろう」
鎧を纏った騎士団が馬に跨り、隣国へと攻めていく——。なんとなく想像はつくけれど、それはただの想像でしかない。
しかし、今この瞬間にも戦場では多くの血が流れていることは確かだ。亡くなった人には、ベーテルの子どものように家族だっているだろう。悲しむ人もたくさんいるはずだ。
戦争ほどではないが、イヴァンがリリス村に攻めてきた日のことを今でも鮮明に思い出す。あの時感じた恐怖と怒りは、言葉には表すことができない。
しかし、イヴァンはそれを償い、自分とブートニエールになろうと言ってくれた。その言葉に、嘘偽りは感じられなかったし、ノアは素直に嬉しかった。
「でも、本当に心の底からイヴァンを許すことなんて……俺にできるかな」
この戦争でイヴァンは再び人を殺めることだろう。それは、国王陛下として国を守るために避けて通ることはできないのかもしれないけれど、そう考えてしまうとノアの心は張り裂けそうになる。
——どんなに自分に謝罪し、償ってくれたとしても、また戦争で人の命を奪ったら元も子もないのではないだろうか?
ノアの思考は堂々巡りを続けているものの、自分を納得させる答えなんて見つかるはずがない。
『ノア、逃げて!』という両親の悲痛な叫び。そして、剣を喉元に押し付けられてもなお、自分を守ろうとしてくれたクレイン夫妻。あの時の、イヴァンの血も通っていないような冷酷な表情と声——。
しかし、『ノア』と優しい声で自分の名を呼び、幸せそうに微笑むイヴァンもノアは知っているのだ。
「もうわからない……‼」
ノアは膝を抱えて蹲る。
「俺は、何を信じたらいいんだ……」
胸をえぐられるような痛みに、洋服の胸のあたりを鷲掴みにする。
ノアは声を押し殺すこともせずに泣いた。頬を伝った涙はベゴニアへと姿を変え、ポトリと床に落ちる。泣き続けるノアの周りは、いつの間にかベゴニアでいっぱいになってしまっていた。
「ノア様、少しだけでも食事を召し上がれませんか?」
「すみません、ベーテルさん。食欲がなくて」
「では、せめて栄養剤をお持ちしますので、飲んでいただけますか? こんなにも花を生み出してしまっているのに、何も召し上がられないのは体に毒です」
「じゃあ、栄養剤なら」
「わかりました。すぐにお持ちいたします」
ノアはベーテルが箱庭を飛び出していくのを見守る。
花生みは花を生み出すために、よく食べる傾向にある。しかしノアは元々食が細いため、定期的に栄養剤を摂取している。
医師からはブートニエールとタッピングをすることで、体調も良くなるだろうという説明を受けているが、ノアには現状ブートニエールがいないため栄養剤に頼るしかない。
イヴァンが戦争に出向いて以来、ノアの食欲は更に落ち、眠れないせいか目の下には隈もできている。
ベーテルが時々訪ねてきてくれる以外、ほとんど誰とも関わることのない生活。そんなノアが窓の外を眺めていると、負傷した兵士たちが続々と城に戻ってくる光景を目にする。彼らは医務室で手当てを受けているようだが、そんな光景ばかり見ていると、イヴァンとアッシュのことが気になって仕方がない。
「国王陛下はご無事なのだろうか? アッシュは……」
二人を思うと心がズキズキと痛む。「どうかご無事で」と祈ることしかできない自分が情けなく感じる。
『ノア』
時々イヴァンに名前を呼ばれた気がして、はっと顔を上げる。しかし、そこには誰もおらずノアは孤独感に包まれる。
「会いたい。会いたいよ、国王陛下」
ノアが涙を流すたびに、涙がベゴニアへと姿を変える。
イヴァンは両親を殺めたときのように冷酷な表情で、敵国の兵士たちの命を奪っているのだろうか?
ノアはイヴァンにもう人を殺めてほしくないと願っている。なぜなら、誰にでもその人のことを大切に思っている人たちがいるのだから……。
紛争で、幸せは手に入らない。
両親が殺められる夢を未だに見るノアは、手を血に染めるイヴァンなど見たくもない。
イヴァンを許しブートニエールになりたいと思っているのに、このまま戦地から戻ってこなければいいと考えてしまう自分がいる。死の恐怖をイヴァンも味わえばいいんだ——。そんなことを考えてしまう自分は、なんて恐ろしい人間なのだろう、と自己嫌悪に陥ってしまう。
ノアは、愛しさと憎しみの狭間でもがき苦しみ続けた。
「でも、会いたい……」
ノアは小さな声で呟く。自分のことを愛しそうに見つめる瞳も、優しい笑顔も、耳障りのいい声も、今のノアは感じることができない。
イヴァンに触れたい、そして触れてほしい。
彼を思うだけで、ノアの瞳から涙が溢れ出す。次から次へと溢れ出す涙はベゴニアの花へと姿を変えて、まるでノアが棺の中にいるかのように周りを埋め尽くしていく。
「国王陛下に会いたい」
涙はもうノアの意思では止めることなどできず、次から次へと溢れ出す。食事は喉を通らないし、眠ることもできない。ノアの体力は急激に失われていった。
「今のノア様はガーデニングに陥っています」
「そんな……。国王陛下はまだお戻りにならないですよ」
「とにかく、国王陛下が戻ってくるまで、栄養剤を何とか飲ませて持ちこたえさせるしかないでしょう」
医師とベーテルの話し声が聞こえてくるが、頭がぼんやりしているノアには話の内容がよく理解できない。
——俺はまた、ガーデニングってやつになったのか……。
ノアはぼんやりとした頭で思う。ついこの間までガーデニングなど自分には無縁なものだと感じていただけに、なんだか可笑しくなってしまう。
「両親の仇だとかなんだとか言って、俺は国王陛下に会いたくて仕方がないんだな」
ノアはとても不思議だった。疲れているからもう泣きたくないと思っているのに、涙が溢れ出してしまうのだ。それはまるで、遠くにいるイヴァンにまでベゴニアの花の香りが届いて欲しいと必死になっているようではないか。
——この香りにつられて、早く帰ってきて。
花生みとしての本能が、そう叫んでいるように感じられる。
その後も、ノアはベーテルに根気強く栄養剤を飲むよう説得され、どうにか体を維持することができていた。
ある日、突然廊下が騒がしくなるのを感じた。体を起こそうとしたが、力が入らずノアはベッドに倒れ込む。
「ソフィア司祭、陛下がお戻りになられるまで、教会から出ないようご命令があったのでは!?」
「ノア様がガーデニングに陥っているという噂を聞いて駆けつけました。大丈夫、用が済んだらすぐに帰ります」
「しかし、勝手なことをされては陛下に叱られてしまいます」
「ガーデニングに効く薬をお持ちしただけです」
「しかし、ソフィア司祭!」
ベーテルの大声が聞こえた直後、ソフィアが箱庭に勢いよく入ってくる。ソフィアはノアと二人きりで話をしたいからと、ベーテルを部屋から追い出してしまった。
急に静けさを取り戻した箱庭の中を、ソフィアがゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
戦争に出向く前「詳しくは後で話すが、ソフィアには気を付けるように」と言われていたノアは、鉛のように重たい体を何とか起こしソフィアの出方を伺った。
ソフィアは箱庭の中をぐるっと観察した後、まるでノアを嘲笑うかのように冷たい笑みを浮かべる。ノアの知っているソフィアと全く違う雰囲気に、体に緊張が走った。
「こんなにも立派な箱庭を与えられて、国王陛下に囲われていたのですね。本当に立派な箱庭だ」
「ソフィア司祭……一体俺に何の用でしょうか?」
「ノア様がガーデニングに陥ってしまったと聞いたので、お見舞いに伺ったのです。しかし、凄いな。これではまるでベゴニアの絨毯だ。ベゴニアは世界で最も美しい花と言われているだけあって、本当に綺麗ですね」
そう言いながら、ソフィアは憎らし気に床に散ったベゴニアの花を踏みつけた。
「ガーデニングになると、こんなにも花を生み出すんですね。可哀そうに……。でも国王陛下は貴方の元へは帰ってきませんよ?」
「……は? どういうことだ?」
「国王陛下が帰ってくる場所は、
ソフィアが整った顔を歪めてにたりと笑う。ノアはソフィアの言いたいことがわからず体を乗り出した。
「本当のことを教えてあげます。きっとこの話を聞けば、すぐに元気になられますよ」
「本当のこと……?」
「えぇ。実は僕と国王陛下は以前より愛し合っていて、いつかブートニエールになる約束をしていたのです」
「嘘だ。だって国王陛下は俺とブートニエールに……」
ノアが声を張り上げると、ソフィアが楽しそうにノアの顔を覗き込んでくる。
「ノア様の花生みとしての能力は秀でています。だから花生みとして、国王陛下に利用されているだけなのですよ。よく考えてみてください。国王陛下が平民の花生みとブートニエールになるわけがないでしょう?」
「それは……」
「それに、僕と国王陛下のタッピングをご覧になったでしょう? 国王陛下が本当に想っているのは、この僕なのです」
「…………」
ノアは何も言い返すことができずに俯く。確かに、ソフィアが言っていることは正しい。そんなことはわかっているのだが、ノアは信じたくなどなかった。
「でも、国王陛下は俺とブートニエールになりたいって……。大切にするって言ってくれたんだ……」
拳を握り締め唇を噛む。堪えきれずに溢れ出した涙がベゴニアとなり、ベッドの上に音もなく落ちる。ソフィアはその様子を無言で見つめてから、ポツリと口を開いた。
「国王陛下は貴方の花生みとしての能力が欲しいだけだ。だから、貴方の両親を躊躇いもなく手に掛けたでしょう? そろそろ目を覚ましなさい」
「そんな……」
「貴方は国王陛下に利用されただけなのです。真実が見えたからすっきりしたでしょう? これで気分も晴れ晴れしてガーデニングも治りますね」
ソフィアは人懐こい笑みを浮かべる。それは、まるで天使のように可愛らしくもあり、悪魔のように恐ろしくも感じられた。
その時、箱庭の外が騒がしくなる。ソフィアはそちらに視線を移し、溜息を吐いた。
「アッシュもですが、あのベーテルとかいう家臣も、なかなかうるさい人ですね。ではノア様、お大事になさってください」
そう言い残すとソフィアはノアに背を向けたが、少しして「そうそう」と言いながら、もう一度ノアのほうを振り返った。
「いくら国王陛下に騙されたことが憎いと言っても、花生みに与えられた禁断の能力で、国王陛下に復讐しようなんて思わないでくださいね」
「そんなこと……」
「では、ノア様。ごきげんよう」
ソフィアは満面の笑みを浮かべながら箱庭を去っていった。
ノアは床に散りばめられたベゴニアの花をそっと手に取る。先程ソフィアに踏みつけられた花は、潰れて花びらが散ってしまっていた。
「可哀そうに」
ノアがベゴニアを抱き締めると、再び涙が溢れ出てくる。
「やっぱり、イヴァンという男を信じてはいけなかったんだ」
涙は次から次へと溢れ出し、ベゴニアの花に姿を変える。泣き腫らした目は熱を持ち瞼が重たい。更に花を生み出す度に頭が割れてしまうほどの激痛が走る。食事も摂れないせいで体も弱ってきてしまった。
それでもイヴァンという心の支えがあったから、辛い今を乗り越えることができていたのに——。そんな望みも、たった今粉々に打ち砕かれてしまった。
もう、ノアに生きる望みなんて残されていない。
「このまま消えてしまいたい……」
ノアはずっと大切にしているハンカチーフを抱き締め、涙を流し続ける。
優しいイヴァンと共に、このまま穏やかに王宮生活を送りたいと思っていたことに、ノアは気づかされる。それと同時に、自分がこの城にやってきた目的を思い出したのだった。
「父さん、母さん、やっぱり俺はイヴァンを許すことはできない」
この瞬間、ノアは花生みに与えられた禁断の能力で、イヴァンへの復讐を誓ったのだった。
◇◆◇◆
ノアは朝から箱庭で繰り広げられている口論で目を覚ます。結局、心はイヴァンを拒んでも、体は花食みである彼を求めているようで、ガーデニングの症状が治まる気配は一向にない。
一晩泣き腫らしたノアは、朝日が昇った頃ようやくウトウトすることができたというのに——。
「これ以上、ガーデニングが続いたらノア様は死んでしまいます!」
「しかし、最近は栄養剤さえも口にしていただけないのです」
「ならば、花食みとタッピングをさせるしかないでしょう!?」
「陛下以外の花食みとノア様がタッピングをしたなどと知ったら、陛下がどれほど激昂されるか……」
どうやら医師とベーテルが自分のことを心配して口論しているらしい。ノアはその様子を、他人事のように眺めた。
「ノア様、どうか栄養剤だけでも召し上がってください。このままでは本当に、体が駄目になってしまいます。たった一晩でこんなにも花を生み出すなんて、本当に危険な状態です」
「うん、わかった……わかったよ」
ベーテルが泣きそうな顔をしながら懇願してくるものだから、仕方なく差し出された栄養剤を口にする。決してまずくはないのだが、イヴァンに触れられた時のような温もりを感じたり、幸福感に満たされることはない。
口ではイヴァンを拒絶しているくせに、花生みとしてのノアは、花食みであるイヴァンを求めている。そんな自分が憎らしくなってしまう。
「しかし、私は花生みのガーデニングを初めて見ましたが、たった一晩でこんなにもたくさんの花を生み出してしまうのですね」
「俺も、ガーデニングになったことなんてなかったから知らなかったです」
ノアが寝ているベッドの周りには、たくさんのベゴニアが床一面に落ちている。それは箱庭の床が、花畑になったようにも見えた。確かに美しい光景ではあるが、これをたった一晩で自分が生み出したのだと考えると、ノアの背筋を冷たいものが走るのを感じる。
きっとこの状態が続けば、ノアの体は壊れてしまうかもしれない。しかし、それでもいいとノアは思ってもいた。
「ノア様が生み出してくれたベゴニアを、大切に使わせていただきますね」
「うん。役に立てているならよかった」
「はい。今年は野菜が大豊作です。ありがとうございます」
ベーテルは、いつも大切そうにベゴニアの花を大きな籠に詰めて持って行ってくれる。きっと畑にその花を蒔くのだろう。「ありがとうございます」と微笑むベーテルの笑顔が、今のノアの救いだった。
「あー、疲れたなぁ」
ノアは大の字になり天井を仰ぐ。少しでも休めるようにと、ベーテルが気を利かして、室内を薄暗くしておいてくれたおかげで、ノアはまたウトウトし始める。
「また、あの時の夢を見るのだろうか」
眠りにつくとき、いつも怖くなる。もうあの日の夢は見たくないのに……。
両手を目の前にかざすと、細い腕が更に細くなっていることに気づく。そろそろ、花生みとしての限界が近づいているのだろうか。
「別に、俺はあいつになんか会いたくない。会いたくなんかない……!」
唇を噛んで必死に堪えても、また涙が溢れ出てくる。涙はベゴニアへと姿を変え、ベッドの上に散らばっていった。
そんなノアに、戦争に勝利したイヴァンが、明日クレーア城に帰還するという知らせが届く。
「よかったですね、ノア様。陛下はお元気のようです。もう少しの辛抱ですよ」
「そっか……」
戦争に勝利した知らせはあっという間にクレーア城に知れわたり、城内は活気で溢れているらしい。
「国王陛下、生きて帰ってこれるんだ」
ノアは目の前にあるベゴニアを一つ摘まみ、そっと呟いた。
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