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映画館のチケット売り場の片隅で、耳元から聞こえる呼出音に、相手が出てくれるのを待つ。
"今日はやけに人が多いな...…"
周りを見渡しながらそんなことを考えていると、電話の向こうから怠そうな声が聞こえる。
「…...はい。」
そして5秒後、まだろくに会話もしていないのに、相手の二言目はとても冷たいものだった。
「忘れてた。今日はやめとく。」
悠人らしい冷淡な一言で、楽しみにしていた映画の約束をあっさり断られてしまう。
「はぁ?また?ほんと信じられない。もういいよ、1人で見るから。」
無駄な言い訳を一切せず、端的に済ませる感じが、余計に腹立たしい。
こちらも負けじと電話を切り、ついでにスマートフォンの電源を落とした。
"なんなの...…?"
もう二度と一緒に出かける約束なんてしない。
"もう嫌いよ"
いつも冷静で物静かだと自負している私の心を唯一乱すのは、いつだって弟の悠人だ。
"ほんと最低なクール野郎"
心の中で思いのままに悠人に毒づいてみる。
そんなことをしても、不快な気持ちは一向に晴れてはくれない。
最低だけど、本来の悠人は気まぐれに約束を破るような人じゃない。
何も考えずに人を傷つけるようなことは絶対にしないとわかっている。
きっと、よほどの理由があったのだろう。
最近は私のことを避けているようだし、やっぱり反抗期なのかもしれない、と思った。
"この前悠人に聞いたときは否定してたけど…"
反抗期について別に詳しいわけではないが、よく周りで見聞きする思春期特有の行動と似た態度をとる悠人が反抗期であることは、ほぼ間違いなさそうだ。
それはそれで少し寂しいと思ってしまうのも事実で、複雑な胸中にある悠人に何もしてあげられない自分が、やるせない気持ちにさせた。
私にとって悠人は唯一無二の存在だ。
けれど悠人にとってはどうだろう。
1つしか歳の変わらない血の繋がらない姉なんて、ただ厄介なだけの存在なのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていると、まだ幼い兄妹が仲良く手を繋いで歩いている姿がちょうど目に入る。
"悠人もあんなだったな"
幼いころの悠人は、すごくかわいかった。
『玲衣ちゃんは僕のお姉ちゃん。』
4歳の悠人は、天使のように愛らしかった。
『玲衣ちゃん、危ないから手を繋ごう。』
10歳の悠人は、ずいぶんと頼もしい存在になった。
『玲衣。もう暗いから1人で帰らないで。』
いつのまにか私のことを呼び捨てにして、どんどん逞しくなる中学生の悠人。
『玲衣は僕が守るから。』
高校1年生になった悠人は、もうすっかり大人のような発言をする。
私が気づかないうちに少しずつ成長している悠人に、寂しい気持ちがないといえば嘘になる。
その過程として今の反抗期があるなら、多少冷たくされることは仕方がないのかもしれない。
ふと、今日この映画を見に行く約束をした経緯を思い出す。
『玲衣。このドラマの続編が映画化するらしいよ。』
それを教えてくれたのは、紛れもなく悠人だった。
最近では、たとえ同じ家に住んでいても、一緒にいることすら少なくなり、悠人から話しかけられることはほとんどない。
それにもかかわらず、何気なく映画化のことを教えてくれたのは、紛れもなく悠人だった。
もしかしたら、悠人もこのドラマシリーズが好きだったのかもしれないと思った。
悠人が何かに執着することは滅多にない。
小さいころから一緒に見ていたそのドラマシリーズも、てっきり私に合わせて適当に見ているだけだと思っていた。
しかし、話しかけたくない私と映画の約束をしたなんて、よほどこの映画を楽しみにしていたのではないかと思ったのと同時に、やはり少しだけ寂しさを感じてしまう。
"もう知らないことのほうが多いんだ"
どんどん成長していく悠人に置いて行かれる気がして、そのとき無性に寂しくなったのを覚えている。
『…...じゃあ一緒に見に行かない?』
不安な気持ちをかき消すようにそう言った私に"別にいいけど"って素っ気なく返事をしてくれたことがどれだけ嬉しかったか、悠人は知る由もないだろう。
嫌々でも私と約束したのなら、きっと悠人はこの映画をすごく楽しみにしていたはずだ。
"それなら絶対に見たいよね"
断られた腹いせに1人で見ようかとも思ったが、そんなことをしたら余計に関係が拗れる気がして、思い直す。
"違う日にもう一回だけ誘ってみようかな"
反抗期でも、私にとってかわいい弟だということに変わりはない。
血は繋がっていないかもしれないけれど、私は悠人のお姉ちゃんなのだ。
ここは私が大人にならなければと思った。
いつも不機嫌そうな悠人の顔を思い浮かべたら、モヤモヤしていた気持ちが、少しだけ軽くなっていく。
しかし、今家に帰っても悠人の機嫌が確実に直っているとは限らない。
"微妙な雰囲気になるのは嫌だし…"
この空いてしまった時間を冷却期間と捉えて、しばらく時間を潰してから家に帰るのが得策かもしれない。
そういえば、先月発売された本をずっと読みたいと思っていた。
本を読む時間ができたことは、逆に都合がいいように思う。
このモールにある本屋さんでその本を買って、新しくできたモンブランの美味しいお店でゆっくりするのはどうだろうか。
甘いものは脳に幸福ホルモンを与えるというし、お互いにとって意味のある冷却期間になる。
突然、そう思いついた私は、本屋さんがあるフロアへと向かった。
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