第4話 ふたつの選択

200日目


影が、実体だった。実体が、影だった。


影織侯ヴァロック。魔王軍No.2。四天王すら従えた存在。奴との戦いは、今までのどの戦闘とも違っていた。


敵は1体なのか、100体なのか。切っても切っても、影が立ち上がる。本体を見極めることは不可能に近かった。カイルの剣が空を切り、ガルドの盾が幻を受け止め、リュカの暗器が影を貫く。すべてが無駄に思えた。


エリスが必死に皆の傷を癒していた。彼女の顔に焦りが見えた。このままでは持たない、と。


戦闘開始から3時間が過ぎた頃、俺は気づいた。影はすべて、糸で繋がっている。見えない糸。魔力の糸。それを辿れば——


聖剣に全魔力を込めた。義体の全機能を戦闘に集中させた。熱源探知、魔力感知、すべてのセンサーを研ぎ澄ませた。そして、見つけた。影の奥に潜む、小さな核。それが本体だった。


聖剣が核を貫いた瞬間、ヴァロックは笑った。見事だと。さすがは勇者だと。


そして、奴は最後の術を発動させた。


《終印》——死の刻印。


胸に、黒い紋様が刻まれた。焼けるような痛み。いや、痛みを超えた何か。魂そのものに刻み込まれる感覚。


ヴァロックは消え際に告げた。余命は長くて1か月、早ければ10日。これは魂を蝕む呪いで、解呪の方法はない、勇者の物語はここで終わりだと。


奴は、満足そうに灰となって消えた。


俺は膝をついた。義体のはずの体が、震えていた。機械は震えないはずなのに。これは魂の震えなのか。


エリスが駆け寄ってきた。治療を試みたが、呪印は消えない。むしろ、触れようとすると彼女まで傷つけそうになる。


カイルが拳を壁に叩きつけていた。ガルドは天を仰いでいた。リュカでさえ、表情を歪めていた。


俺は立ち上がった。まだやることがある。魔王を倒さなければならない。


だが皆、首を振った。まずは王都に戻ろうと。何か方法があるはずだと。


帰路、誰も口を開かなかった。


205日目 


朝、目覚めると紋様が広がっていた。


胸から肩へ、黒い模様が侵食している。痛みはない。ただ、確実に何かが失われていく感覚がある。


王都の最高位の神官たちが診察に来た。見たことのない呪術だという。古代の、あるいは異界の術式かもしれないと。


研究局の魔導師たちも来た。解析を試みたが、術式が複雑すぎて解読できないという。下手に触れば、即座に死ぬ可能性があると。


エリスは一日中、文献を調べていた。カイルとガルドは街中の情報を集めて回った。リュカは諜報網を使って、あらゆる可能性を探っていた。


皆、必死だった。俺のために。


だが俺は、妙に落ち着いていた。死が確定したからだろうか。あるいは、もう十分に戦ったと思えるからか。


夜、1人で日記を書いていると、ふと思った。俺は何のために戦ってきたのか。最初は使命感だった。やがて仲間のためになった。今は——


今は、ただ終わらせたいだけかもしれない。この長い戦いを。


208日目


王が直々に謁見を申し入れてきた。


玉座の間には、王の他に神殿長と研究局長がいた。3人とも、深刻な顔をしていた。


王が告げた。方法が、ないわけではないと。ただし、それは禁術の域に入るものだと。


神殿長が説明を始めた。2つの方法があるという。どちらも、人としての在り方を根本から問うものだと。


研究局長も付け加えた。成功の保証はないが、理論上は可能だと。ただし、どちらを選んでも、今の勇者レオンではなくなる可能性があると。


詳細は明日、説明するという。今日は、心の準備をしてほしいと。


部屋に戻ると、仲間たちが待っていた。


エリスは泣いていた。きっと方法があると信じていたのに、代償が大きすぎると。カイルは、どんな姿になっても勇者は勇者だと言っていた。ガルドは、選択は勇者様に任せると。リュカは、ただ黙って俺の隣にいてくれた。


皆の優しさが、痛いほど伝わってきた。


209日目


朝から評議が始まった。


場所は王城の最深部、古の魔法陣が刻まれた間。王、神殿長、研究局長、そして数名の高位魔導師たち。皆、緊張した面持ちだった。


神殿長が最初の案を提示した。


「魂の記録を消去し、呪いをかき消す」——古くなった船を作り直すようなものらしい。魂自体の記録を完全に消去することで、魂に刻まれた呪いとの繋がりを断つ。義体を含む肉体はそのまま残り、技能も維持される。ただし、記憶の大部分も同時に消えるため、人格や嗜好は変わる可能性があるという。


研究局長が続いて第二案を説明した。


「魂の移植による新生」——記憶を含む魂を、開発段階であった生体魔導義体へ移植する。素材は、解放した地域から得られたもので、強力な生体魔導義体となるらしい。呪いは元の体と共に滅びる。ただ、実際のところ、魂の移植ではなく、転写に近いものだと言っていた。


議論が始まった。


神殿の者たちは、記憶こそが人の本質だと主張した。たとえ魂の記録が消えても、肉体が同じなら連続性は保たれる、と。


研究局の者たちは、転写であっても記憶が保たれることの重要性を説いた。新しい体になっても、経験と想いが引き継がれるならそれは同一人物だ、と。


王は黙って聞いていた。時折、俺を見ていた。


激論は何時間も続いた。担い手の同一性とは何か。勇者とは肉体なのか、記憶なのか、それとも別の何かなのか。


誰も答えを出せなかった。


そして誰一人として、俺の気持ちを聞こうとはしなかった。まるで俺は、議論の対象でしかないかのように。


夕方、ようやく王が口を開いた。選択は勇者自身に委ねる、と。明日の朝までに決めてほしい、と。


部屋に戻ると、仲間たちが心配そうに待っていた。


説明をすると、皆、言葉を失った。どちらも、今の俺ではなくなる。それが耐えられないようだった。


エリスが言った。レオンさんはレオンさんです。記憶がなくなっても、新しい体になっても。


だが、それは慰めにしかならなかった。記憶が消えれば、彼女たちのことも忘れてしまう。ジンも、トーロも、ネルも、メイラも。今の仲間たちのことも。


転写となれば、それは本当に俺なのか。コピーではないのか。


210日目 


夜が明ける前、この手記を書いている。


数時間後、俺は選択をする。どちらを選ぶか、まだ決めていない。いや、決められない。


魂の記録を消せば、この日記に書かれたすべては他人の物語になる。だが体は続く。聖剣も、きっと持てるだろう。古い船の部品を入れ替えるように、俺という存在は形を保ったまま、中身だけが新しくなる。


魂を転写すれば、記憶は残る。だが、それは本当に俺なのか。元の俺は消えて、複製だけが生き続けるのではないのか。強力な生体魔導義体は魅力的だが、それは俺の体ではない。


どちらが正しいのか、分からない。


ただ、ひとつだけ確かなことがある。俺は、最後まで戦いたい。魔王を倒したい。それが、死んでいった仲間たちへの、せめてもの報いだから。


だから、次の俺へ。


この手記を読んでいるのが、記憶を失った俺なのか、転写された俺なのか、分からない。だが、どちらでも構わない。


ジンは、優しい兄貴分だった。いつも稽古に付き合ってくれた。最後は俺の身代わりになって死んだ。


トーロは、寡黙な大男だった。家族を愛していた。皆を守るために、自ら毒沼に沈んだ。


ネルは、不器用な女性だった。だが誰より優しかった。俺の盾となって、幻影公の刃を受けた。


メイラは、俺を愛してくれた。そして俺も、彼女を愛していた。最後の生命力まで使って、俺を生かしてくれた。


今の仲間たち——カイル、ガルド、リュカ、エリス。彼らもまた、大切な仲間だ。名前は歴史に残らないかもしれない。だが、確かにここにいる。俺と共に戦ってくれている。


次の俺よ、覚えていなくても構わない。ただ、知ってほしい。多くの人が、命を懸けて俺を——君を守ったことを。


そして、願わくば、戦い続けてほしい。魔王を倒すまで。


それが誰のためでもいい。死んだ者のためでも、生きている者のためでも、あるいは自分自身のためでも。ただ、前に進んでほしい。


聖剣クラディウスは、きっと君にも応えてくれる。それが肉体への反応なのか、記憶への共鳴なのか、あるいは立ち上がる意志への賛同なのか——それは分からない。だが、応えてくれるはずだ。


最後に。


どちらを選んでも、俺よ、勇者であってくれ。


ただそれだけを、願っている。


——もうすぐ朝が来る。カイルが扉を叩いている。時間だ。


立ち上がる。最後の選択をしに行く。


この手記が、俺の——レオンという人間の最後の言葉だ。


次に書くのは、別の誰かかもしれない。それでも構わない。


物語を続けてくれ。


勇者の名の下に。

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