第3話 消失
130日目
痛みすら感じなかった。ただ、世界が静かになっていく感覚だけがあった。
鉄葬帝ベルクラインとの戦いは、始まってすぐに終わりが見えていた。奴の装甲は聖剣でさえ容易には貫けず、その巨腕から放たれる一撃は大地を割った。四天王最強の名は伊達ではなかった。
それでも、倒さなければならなかった。倒せると信じていた。
最後の一撃は相打ちだった。聖剣がベルクラインの核を貫いた瞬間、奴の腕が俺の胴体を貫いた。脊椎が砕け、内臓が潰れ、そして——心臓が止まった。
意識が遠のく中、メイラの叫び声が聞こえた。嫌だ、死なないでと泣き叫んでいた。彼女の回復魔法が俺の体に注がれる。1度、2度、3度。数えるのをやめるくらい、何度も何度も。
彼女は自分の生命力を削って、俺を生かし続けた。
カイルとガルドが俺を馬車に乗せ、リュカが道を切り開いた。王都まで3日の道のり。その間ずっと、メイラは回復魔法を使い続けた。休むことも、食べることも、ほとんどしなかった。
ぼんやりとした意識の中、彼女の顔がどんどん青白くなっていくのが、熱源探知の義眼を通して分かった。生命力が、文字通り俺に流れ込んでいるのが見えた。止めてくれと言いたかったが、声が出なかった。肺も喉も、もう機能していなかった。
王都の景色が見えた時、メイラは微笑んでいた。間に合ったと。良かったと。
そして、崩れ落ちた。
緊急の治癒儀式と身体改造が始まった。胴体のほぼすべてを魔導義体に置き換える。心臓も、もう鼓動を刻まない機械になった。10時間後、俺は目を覚ました。生きていた。いや、動いていたというべきか。
メイラを探した。彼女は別室で眠っているという。すぐに会いに行った。
彼女は、笑っていた。ベッドの上で、安らかに眠るように。だが、もう息をしていなかった。
治癒士が言うには、過度の魔力消耗による衰弱死だという。最後の力を振り絞って俺を王都まで運んだ後、糸が切れたように逝ったらしい。
俺は、泣けなかった。涙腺は、義体には残されていない。
メイラの手を握った。まだ温かかい気がした。だが俺の義手は正確にその温度を伝えてくる。柔らかさも、最後の鼓動も、何も感じられない。
彼女の最後の言葉を、カイルが教えてくれた。勇者様を、お願いしますと言っていたという。最後まで、俺のことばかりだった。
葬儀で、俺は立っていることしかできなかった。弔辞も言えない。涙も流せない。ただ、機械の体で立っているだけ。これが、彼女が命と引き換えに繋いだ俺の姿だ。
メイラを失って、俺は本当に1人になった。最初から一緒だった仲間は、もう誰もいない。
夜、メイラの部屋に行った。彼女の匂いが残っているかと思ったが、義体の俺に匂いは感じられない。ただ、日記だけが残されていた。
そこには、俺への想いが綴られていた。最初は勇者として心配していた。やがて、1人の人間として大切になった。そして、愛していたと。
だが同時に、覚悟も記されていた。俺を最後まで守り抜くこと。それが自分の使命だと信じていたと。
馬鹿だ。俺を守るために死ぬなんて。俺は、君に生きていて欲しかった。一緒に、最後まで。
だが、もう遅い。
メイラ、ジン、トーロ、ネル。皆、俺のために死んでいった。そして俺は、頭以外はもう人間ですらない。
これが勇者なのか。仲間の犠牲の上に成り立つ、機械の体を持つ存在が。
150日目
メイラの後任として、エリスという僧侶が配属された。
最初に会った時、彼女は緊張していた。英雄たる勇者パーティに加わることへのプレッシャーだという。まだ若い。メイラより3つほど下だろうか。
だが、その真っ直ぐな瞳を見て、少し安心した。メイラとは違うが、彼女なりの覚悟があるのが分かった。
エリスは、俺のことを勇者様ではなく、レオンさんと呼びたいと言ってきた。勇者様では距離を感じるからだと。
カイル、ガルド、リュカも、少しずつだが打ち解けてきた。
カイルはジンとは違うが、それでいい。彼には彼の良さがある。真面目で、仲間思いだ。時折見せる笑顔は、ぎこちないが本物だ。
ガルドも、トーロのような寡黙さはないが、頼れる男だ。戦闘では常に俺の背中を守ってくれる。それに、意外と話好きだということも分かった。故郷の話をよくしてくれる。
リュカは相変わらず無口だが、ネルとは違う形で気遣いを見せてくれる。戦闘後、黙って傷の手当てをしてくれたり、装備の点検をしてくれたり。
彼らは、最初の仲間たちの代わりではない。彼らは彼らだ。それを受け入れなければならない。いや、受け入れたい。
170日目
王都の酒場で、吟遊詩人が歌っていた。勇者パーティの武勇伝を。
四天王を次々と打ち破る勇者レオンと、その仲間たち。歌の中では、まるで最初の仲間たちがまだ生きているかのようだった。騎士ジン、盾のトーロ、影のネル、聖女メイラ。民衆は、入れ替わりを知らない。知る必要もないのだろう。
『勇者パーティ』という名前だけが、変わらず続いている。
カイルがその歌を聞きながら言った。俺たちも歴史に名を残せるかなと。いつか、俺たちの名前も歌われるだろうかと。
俺は答えられなかった。
恐らく、残らない。残るのは『勇者パーティ』という記号だけだ。個人の名前は、最初の4人で固定されるか、あるいは誰の名前も残らず、ただ「勇者とその仲間たち」という曖昧な表現に収斂されるだろう。
それを思うと、胸が締め付けられた。カイルも、ガルドも、リュカも、エリスも、命を懸けて戦っているのに。彼らの名前は歴史に刻まれない。
だが、それを口にはしなかった。彼らの士気を下げたくない。それに、名前が残らなくても、俺は覚えている。この日記に、記している。
エリスが俺の表情を読み取ったのか、そっと言った。名前なんて関係ないですよ、と。今、共に戦えることが大切なんです、と。
その言葉に、少し救われた。
180日目
エリスが、朝食を作ってくれた。
味は分からない。だが、皆と同じ卓を囲んでいることが、少し温かく感じる。いや、感じるような気がする。
食事中、カイルが昨日の戦闘について話していた。もう少し連携を密にしようと提案する。ガルドが頷き、リュカも小さく同意の仕草をした。
エリスが俺を見て言った。レオンさんも、何か意見があれば聞かせてください、と。
俺は、少し考えてから答えた。皆のおかげで戦えている、と。ありがとう、と。
その言葉に、4人は少し驚いたようだった。そして、柔らかく微笑んだ。
最初の仲間たちとは違う。だが、彼らもまた仲間なのだ。
夜、ガルドと2人で見張りをしていた時、彼が言った。勇者様は、最初の仲間たちをまだ想っているんですね、と。
否定はしなかった。忘れられるはずがない。
だが、今の仲間も大切だと答えた。君たちがいるから、前に進めると。
ガルドは少し照れたように笑った。そして言った。俺たちの名前が歴史に残らなくても、勇者様が覚えていてくれるなら、それで十分です、と。
その言葉が、深く心に沈んだ。
190日目
鏡を見た。そこに映るのは、人の形をした機械だった。
頭部だけが、まだ生身を保っている。脳と、わずかな頭蓋骨。それ以外はすべて魔導義体。銀色の装甲に覆われ、関節は滑らかに動き、聖剣との同調率は100%に近い。
戦闘能力は人間を遥かに凌駕している。反応速度、筋力、耐久力、すべてが。
その代償として、人間らしさの多くを失った。味覚、嗅覚、触覚。だが、まだ心は残っている。それを忘れてはいけない。
今朝、皆で作戦会議をした。魔王の右腕、ヴァロックの情報をリュカが集めてくれた。影を操る魔族だという。実体と影の区別がつかないらしい。四天王を超える力を持つ、魔王軍No.2。
ガルドが言った。俺が囮になる、と。カイルも、自分が前に出ると言い出した。
俺は首を振った。皆で生きて帰ろうと言った。もう、誰も失いたくないと。
エリスが俺の義手に手を重ねた。温度は分からない。だが、その仕草の意味は分かる。大丈夫です、今度は皆で勝ちましょう、と言ってくれた。
リュカが珍しく口を開いた。ジンさんたちの分も、戦います、と。
彼らは、俺の過去を知っている。最初の仲間たちのことも、彼らがどう死んでいったかも。それでも、俺と共に戦ってくれる。
勇者パーティ。その名前は変わらない。中身は変わった。歴史に残るのは、きっと『勇者パーティ』という枠組みだけ。カイルも、ガルドも、リュカも、エリスも、個人としては記録されないだろう。
それが、少し寂しい。彼らもまた、命を懸けているのに。
だが、俺は覚えている。この日記に、すべて記している。いつか誰かがこれを読んだ時、彼らの存在を知ってもらえるように。
明日、ヴァロックとの戦いに向けて出発する。
今度こそ、誰も失わない。この機械の体になった意味があるとすれば、それは仲間を守るためだ。最初の仲間たちが俺を守ってくれたように、今度は俺が守る番だ。
聖剣は相変わらず軽い。だが今は、その軽さに少し慣れてきた。これが俺の一部なのだと、受け入れ始めている。
勇者とは何か、まだ分からない。だが、前に進むしかない。
死んでいった者たちのためにも、生きている者たちのためにも。
そして、いつかすべてが終わった時、皆に会いたい。ジン、トーロ、ネル、メイラに。胸を張って、やり遂げたと言いたい。
それまで、俺は戦い続ける。
この新しい仲間たちと共に。名前は残らなくても、確かにここにいる、この仲間たちと。
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