転生したら、植物を操る『緑の指先』を持ってたので、貧乏領地を最強の穀倉地帯にしてみます
藤宮かすみ
第一話「私、辺境領主の娘になる」
チカチカと不規則に点滅する蛍光灯の光が、山のようになった資料の頂を白く照らし出しています。鼻孔をくすぐるのは、埃と古い紙、そして冷めきったコーヒーの香り。私、緑川花は、キーボードを叩く手を止めて、固まった肩をそっと回しました。時計の針は、とうに午前様を通り越しています。
「あと少し……この論文さえ完成すれば……」
誰に言うでもない独り言は、静まり返った研究室に虚しく響きました。私の人生は、植物と共にありました。幼い頃に見た、コンクリートの隙間から力強く芽を出すタンポポの姿に感動して以来、私の世界は常に緑色に彩られていたのです。植物学者になるという夢を叶え、世界中の未知なる植物の生態を解き明かすことに情熱を燃やしてきました。
けれど、現実はどうでしょう。終わらない研究、山積みの事務作業、そして人間関係のしがらみ。いつしか私は、愛する植物と向き合う時間さえ失い、ただ目の前のタスクをこなすだけの機械になっていました。
ズキリ、とこめかみが痛みました。視界がぐにゃりと歪み、キーボードの上に置いた指先が震えます。
(ああ、少し、眠いな……)
それが、日本の植物学者、緑川花としての最後の記憶でした。
次に目を開けたとき、私の目に飛び込んできたのは、ひび割れた見慣れない木製の天井でした。身体を起こそうとしましたが、まるで鉛のように重く、言うことを聞きません。かろうじて動いた首で周囲を見渡すと、そこは質素な、しかし丁寧に掃除されていることがわかる小さな部屋でした。
「リリアナ! 目が覚めたのか!」
勢いよく扉が開き、心配そうな顔をした少年が駆け寄ってきます。亜麻色の髪に、空の色を映したような真っ直ぐな瞳。年の頃は私と同じくらいでしょうか。いえ、違います。この身体は明らかに子供のものです。自分の手を見つめると、小さく、柔らかい。
「……だれ?」
掠れた声で問いかけると、少年は悲しそうに眉を寄せました。
「俺だよ、アレンだ。三日も熱を出して寝込んでいたから、頭がぼんやりしているのか?」
リリアナ。アレン。聞き覚えのない名前に混乱していると、脳内に奔流のごとく情報が流れ込んできました。
ここはエレスタリア帝国。私は、その中でも最も貧しいとされる辺境、グリーンウッド領を治める領主の娘、リリアナ・グリーンウッド。今年で十歳。そして、目の前にいる少年アレンは、私の幼馴染で、見習い騎士として私を守る役目を負っているらしいのです。
どうやら私は、過労死した挙句、異世界に転生してしまったようです。
「そう……ごめんなさい、アレン。少し、ぼーっとしていたみたい」
私が辛うじてそう応えると、アレンは心底ほっとしたような表情を浮かべました。
それから数日かけて、私はリリアナとしての生活に慣れていきました。父である領主は、心優しいがいささか気弱な人物で、痩せた領地をどうすることもできずに頭を悩ませていました。母は私が幼い頃に病で亡くなったと聞きます。
そして、何より衝撃だったのは、このグリーンウッド領の惨状でした。
窓から見える景色は、どこまでも広がる赤茶けた大地。石ころだらけで、作物が根付くとは思えません。たまに生えている草は、ひょろひょろと力なく、風が吹くたびに倒れそうに揺れています。領民たちの顔にも活気がなく、その日の食事にも事欠いている様子です。
「こんな土地じゃ、何も育つはずがない……」
前世の知識が、そう結論付けていました。土壌の成分、日照時間、降水量。どれをとっても、農業には絶望的に不向きな土地。父が心を痛めるのも無理はありませんでした。
ある日、私は気分転換にとアレンにせがんで屋敷の裏庭に出ました。そこはかつて、リリアナの母がささやかな花壇を作っていた場所らしいのですが、今は見る影もなく荒れ果て、ただ雑草だけが申し訳程度に生えているだけでした。
「ひどい有様だな。昔は色とりどりの花が咲いていたのに」
アレンが寂しそうに呟きます。
私は、ふと足元に生えていた名も知らぬ雑草に目をやりました。枯れかけ、葉は黄色く変色しています。かわいそうに。前世の癖で、私は無意識にその雑草に手を伸ばし、そっと触れました。
(もう少し、元気があればいいのに)
心の中でそう願った、その瞬間でした。
私の指先から淡い緑色の光が溢れ出し、雑草の茎へと吸い込まれていきます。すると、どうでしょう。枯れかけていた雑草はみるみるうちに勢いを取り戻し、ピンと茎を伸ばして、青々とした葉を茂らせ始めたではありませんか。
「え……?」
目の前の光景が信じられず、私は自分の指先と雑草を何度も見比べました。
「リリアナ? どうかしたのか?」
不思議そうな顔でこちらを覗き込むアレンに、私は震える声で言いました。
「アレン……見て。この草が……」
「草? ああ、元気になったな。さっきまで枯れそうだったのに。……ん? リリアナ、お前がやったのか?」
アレンの目は、私の指先から放たれ、今はもう消えかかっている光の残滓を捉えていました。
まさか。これは、魔法?
私は、近くに生えていた別の枯れかけた草に触れ、もう一度心の中で願いました。
(元気になって)
すると、先ほどと同じように緑色の光が放たれ、草は息を吹き返したのです。何度やっても結果は同じ。どうやら私には、植物を成長させ、意のままに操ることのできる、不思議な力が備わっているようです。
「すごい……! なんて力だ!」
アレンが興奮したように声を上げます。しかし、私の心にあったのは、興奮よりも、もっと静かで確かな希望の光でした。
前世では、私は植物の力を借りることしかできませんでした。研究し、観察し、その生態を解き明かすことしか。ですが、今は違います。私は自らの手で、植物に力を与えることができるのです。
この痩せた大地。活気のない領民たち。もう駄目だと諦めかけていたこの世界で、私にしかできないことがあるかもしれません。
「これだわ……」
私の口から、熱い吐息が漏れました。
「これよ、アレン! この力があれば、この土地でも作物ができるかもしれない!」
「作物? しかし、ここの土は……」
「土がダメなら、土から変えればいいのです! 私の力と、前世の知識があれば、きっとできる!」
植物学者の血が騒ぎます。私の脳内では、土壌改良に適した植物、痩せた土地でも育つ作物のリストが、凄まじい勢いで構築されていくのです。
そうです、まずみんなのお腹をいっぱいにしなくては。話はそれからです。
「アレン! すぐにお父様に話して、この裏庭を使わせてもらえるようにお願いしてきます! それから、鍬と、種を!」
「ちょ、ちょっと待てリリアナ! 熱がぶり返したんじゃないのか!?」
私のあまりの剣幕にアレンが慌てて止めようとしますが、もう遅いのです。私の心には、すでに希望という名の種が蒔かれていました。
心配するアレンの声を背中で聞きながら、私は父の執務室へと駆け出しました。
手始めに植える種は、もう決めています。前世の南米に存在した、乾燥と貧しい土壌に強く、驚くほどの収穫量をもたらす芋。この世界にあるかどうかは分かりませんが、似たような性質の芋を探せばいいのです。名前は、そうですね……この世界での第一歩を記念して、「ポポイモ」とでも名付けましょう。
リリアナ・グリーンウッド、十歳。私の異世界農業改革は、こうして、荒れ果てた小さな裏庭から始まったのでした。
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