第7話 謁見

謁見の日は晴天だった。 重厚な扉が静かに開かれる。


王弟の忘れ形見であるその孫娘が、初めて謁見するという噂を聞きつけた者たちが、広間に集って、さざめいていた。


「エイラ・ヴァレント殿」


先ぶれが名を高らかに告げた瞬間、その場が水を打ったように静まり返る。


大理石の床に、小さく鋭い足音がひとつ、またひとつ刻まれていく。


 青地に銀の刺繍がちりばめられたマントと、それに調和する濃い緑のドレスを身にまとうその姿は、まるで清冽な風のような気高さだった。


マントの縁には、王家の象徴たる鷲の紋章が濃い緑で控えめに織り込まれている。


髪は高く結い上げられ、ひと筋の銀紐が巻かれていた。


 魔術師としての清廉さと、王族としての静かな矜持を、その華奢な体に宿して、少女は進み出た。


 年の割に、臆することもなく、落ち着き払ったその少女は、玉座の前に至ると、優雅に一礼した。


王は、玉座からその姿を見守っていた。


大姪おおめいにそそぐ老いたまなざしは、厳しさと確かな身内の情を宿していた。


「――エイラ。息災そくさいであったか」


「陛下に、ご挨拶申し上げます」


声はわずかに震えていたが、朗々と広間に響いた。


「お目見えの機会をいただき、光栄に存じます。御蔭をもちまして、健やかでございます」


その様子に、王はゆっくりと身を乗り出す。


「――エイラ・ヴァレント。 そなたは、塔にて何を得、何を学び、これよりいずこへ向かうのか」


謁見の間に、張り詰めた空気が満ちた。


試されている――。


エイラはほんの少し考え、顔を上げて王のまなざしを見返した。


「まず、私は塔で……ともに歩む大切な友を得ました。 生涯をかけて信頼し合える、誠実な友です」


言葉を切り、そっと息を吸う。


胸の奥にある灯を確かめるように、続けた。


「次に。 知識の海は無限に深く、人の一代では、到底辿り着けぬ高みがあると知りました。 それでも、その高みに手を伸ばし続けたい。 ――いつか、誰かの希望となる光に届くために」


声がようやく自分のものになってきた。


エイラは胸の内に呼びかけるように、自らを励ましながら言葉を紡ぐ。


「そして最後に。 力を持つ者はいかに生き、どう他者と関わるべきか。 私はそれを、これから出会う師や仲間…… いえ、自分以外のすべての人々から学び続けてゆきたいと願います」


一拍の沈黙。


彼女は正面を見据え、丁寧に頭を垂れた。


「塔に登って日も浅く、王にお示しできるほどの果実を実らせてはおりません。 けれど、この塔に学ぶ機会を得られたこと―― それは、何ものにも代えがたい、私の幸せでございます」


 若い娘が語った言葉は飾り気こそなかったが、その一語一語が、胸の奥にまっすぐにしみこむように届いた。


凛とした静けさが広間に満ち、すぐには誰も口を開かなかった。


若い女官のひとりが、小さく息を吐いた。


それが、合図だったかのように、廷臣が視線を交わしてさざめきあう。


王は、ほんのわずかに眉を上げて、少女の言葉に聞き入っていたが、静かに、深く頷いた。


「ふむ……」


しばし目を細めて沈黙し、反芻するかのように考えていたが、やがて、低く静かな声が響いた。


「お前の祖父は、誇り高き魔術師であった。 剣ではなく言葉を、武功ではなく智慧ちえを尊んだ。 政争にまみれず、清廉であった。 お前が、まさしく弟の血を引く者であることが、よく分かった」


エイラの瞳が、大きく見開かれる。


「……ありがとうございます」


深々と頭を垂れる肩に、王の言葉がさらに降る。


「いずれ、再び問う時が来よう。 その時までは――お前自身の道を歩むがよい」


広間の空気がわずかに変わった。


王が、この清廉な少女を宮廷の陰謀や恋のさや当て、権力闘争から遠ざけ、 塔という場で育ませようとしていることは、誰の目にも明らかだった。


エイラが退出のために一歩を踏み出したとき、背中に王の声が投げかけられた。


「――塔に伝えよ。 王は目を光らせているとな」


塔に対して、エイラを今後も後見するという意思表示に他ならなかった。


静かに振り返り、まっすぐに王を見つめた。


胸に手を当て、深く一礼する。


安堵と高揚感が、身体の内側からじんわりと広がっていく。


心臓の鼓動が、自分のものでないかのように早かった。


退出の途中、見慣れた顔が視界に入る。


ロディスがいた。


父や兄に伴われ、謁見を見ていたのだろう。


彼は目じりと口元に柔らかな笑みを浮かべ、静かに頷いた。


声をかけたい衝動が胸をかすめる。


けれど、まだ後に続く王族の子女たちが控えている。


エイラは流れを乱さぬよう、胸に手を当て、感謝のしるしを捧げた。


そして、大広間を後にした。


――やがて謁見の間は再び、静寂に包まれた。


****


王は私室の椅子にもたれて、しばし天井を見上げていた。


高窓から差す光が、白髪をやわらかく照らしている。


傍らに控える老騎士ルセルが、慎重に口を開いた。


「……いかがでしたか、陛下。エイラ様は」


王は沈黙ののち、ぽつりと漏らす。


「見違えたな。 容姿に恵まれ、知恵がある。 臆することなく己を通し、考え、学び、行動することができる。

――ああいう姫こそ、本来、王族の娘の務めを果たせる資質を持っている」


ルセルが問いを重ねた。


「では、いずれ宮廷にお迎えになると?」


王はふっと笑みをにじませ、首を横に振る。


「もし、わしが野心に満ちた王であればな。 いずれと言わず、さっそく姫の肖像画を各国に送りつけていたであろうよ。だが今は――あの姫の行く先を、見てみたいような気がするのだ」


その声は父のような響きをもっていたが、同時に国を背負う者の孤独をにじませていた。


「王位に不要な者は山ほどいる。だが、託せる者は――ほんのひと握り。そういう者には野心がない。思惑通りには、いかぬものだな」


ルセルは深く頭を垂れる。


「塔には定期的に姫の成長について報告させよ。 また、姫の教育に満足している証として、塔には金を与えよ」


****

お仕着せの馬車の中で、エイラは物思いにふけっていた。


結局、その後、ロディスの姿は見つからなかった。


彼は五年もの間、一度も家族のもとに帰省していないという。


今ごろは家族水入らずの時間を過ごしているのかもしれない。


(こっそり来て見守っているあたりが、彼らしい。きっと、シルの差し金ね)


ふと、謁見で口にした自分の言葉を思い出す。


(生涯をかけて信頼し合える、誠実な友)


胸の奥に、温かいものが満ちていた。


シルと、ロディスと――いつまでも一緒にいたい。


たとえ、いずれ別の道を歩くことになっても。


ずっと、繋がっていたい。


エイラは馬車の垂れ絹をそっとめくる。


もう塔は近い。


見慣れた荒れ地が広がっていた。


王の問いはまっすぐで、けれど、優しかった。 だが、それに甘えていては、きっと危うい。


私の立場は、とても軽い。 両親はすでに他界し、後見人もいない。


王は、そんな幼い私を政争の外に置き、ミラナに託した。


そして今もなお、王族の娘としての義務を――何ひとつ迫ってはこなかった。


それは情か、それとも知略か ――おそらくは、その両方だろう。


(いずれお前をまた問う機会が訪れる)


王はそう言った。


王の考えが変われば。


あるいは――王がこの世を去れば。


私の存在など、所詮は使い勝手のよい道具に過ぎなくなるかもしれない。


やはり、私の立場はあまりに軽い。 そして、築き上げてきた足場はあまりに脆い。


ならば――。


私はその前に、足元を固めねばならない。


私の生きる道が、誰かの思惑に左右されぬように。


この一生が、一瞬の隙もなく。


そのすべてが、私のものであるように。


――窓越しに見上げた塔の上空に、一等星が輝いていた。

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