番外編2「獣人姉妹と故郷の味」

 アース農園で、新たな作物の収穫期が訪れていた。水田に実った稲が黄金色の頭を垂れ、心地よい風に揺れている。この世界にはまだ普及していない作物、「米」。アースが前世の記憶を頼りに、栽培に成功した自慢の逸品だった。

 炊き立ての白米は、それだけでご馳走だった。一粒一粒がツヤツヤと輝き、噛むほどに広がる豊かな甘みと香り。初めて米を食べたフェンとリゼは、その美味さに衝撃を受け、いつにも増して大量のおかわりをしていた。

「アース、これ、めちゃくちゃ美味いな! いくらでも食えるぞ!」

「……お米、すごい。毎日食べたい」

 そんな姉妹の姿を見て、アースはある提案をした。

「二人とも、しばらく故郷に帰ってみないか? この米を、お土産に持って。きっと、みんなも喜ぶと思うぞ」

 フェンとリゼの故郷は、北方の山岳地帯にある狼獣人族の里だ。二人が里を飛び出してから、もう何年も経つ。アースの言葉に、二人は一瞬顔を見合わせた。少しの戸惑いと、隠しきれない望郷の念が、その表情に浮かんでいた。

「……わかった。アースがそう言うなら、帰ってみるか」

「里のみんなにも、この美味しさを教えてあげたい」

 こうして、姉妹はアースから教わった稲作の知識と、大量の米と種籾を土産に、久しぶりの里帰りをすることになった。

 彼女たちの故郷は、険しい山々に囲まれた、厳しい自然環境の中にあった。里の獣人たちは、代々、狩猟によって生計を立ててきた誇り高き民。農耕という文化は、彼らの中にはほとんど存在しなかった。

 久しぶりに帰郷した姉妹を、里の仲間たちは温かく迎えた。しかし、彼女たちがもたらした「米」と、「農耕」という話に、特に里の若い戦士たちは、あからさまに眉をひそめた。

「なんだ、フェン。お前たち、人間にかぶれて、土いじりなんぞを覚えてきたのか?」

「狩りこそが我ら獣人の誇りだ。畑を耕すなど、戦士のすることではない!」

 彼らにとって、土にまみれる農作業は、弱々しい人間のすることで、屈強な獣人の戦士がするべきことではない、という固定観念があったのだ。さらに、今年は天候不順で獲物が少なく、里全体が食料不足に苦しんでいたことも、彼らを苛立たせ、頑なにさせていた。

 話し合いは、完全に平行線をたどった。

 業を煮やしたフェンは、反対派のリーダー格である、ガロウという名の若い戦士の前に立った。

「ぐだぐだ言ってないで、どっちが正しいか、力で決めようじゃないか。ガロウ、私と模擬戦をしろ。私が勝ったら、お前たちも稲作を手伝え。文句は言わせない」

 フェンの挑戦的な言葉に、ガロウは鼻で笑った。彼は里で一二を争う腕利きの戦士だ。女であるフェンに負けるはずがないと、高を括っていた。

「いいだろう。お前に、本当の戦士の戦い方を思い出させてやる!」

 模擬戦は、里の広場で行われた。多くの獣人たちが見守る中、フェンとガロウが対峙する。

 戦いが始まると、ガロウは自慢の腕力を活かし、猪のように猛然とフェンに襲い掛かった。彼の攻撃は大振りだが、一撃一撃が凄まじい威力を持っている。普通に打ち合えば、体格で劣るフェンに勝ち目はない。

 しかし、今のアースの元で訓練を積んだフェンは、もはや昔の彼女ではなかった。

 彼女は、ガロウの攻撃を紙一重でかわし、決して正面から打ち合おうとしない。そして、巧みに広場の地形を利用し、相手を翻弄し始めた。足場の悪いぬかるみへと誘い込み、動きを鈍らせる。太陽を背にするように立ち位置を変え、相手の目を眩ませる。

 それは、アースがモンスターと戦う時に使っていた、環境や地形を最大限に利用する戦術だった。

「どうした、ガロウ! お前の力はそんなものか!」

「こしゃくな……!」

 思うように攻撃が当たらないことに、ガロウは次第に冷静さを失い、動きが雑になっていく。フェンは、その一瞬の隙を見逃さなかった。

 彼女は、ガロウが大きく踏み込んだ瞬間、彼の足元の地面に槍の石突を叩きつけた。アースのスキルとは違うが、獣人ならではの脚力で衝撃を与え、わずかに地面を崩したのだ。体勢を崩したガロウの懐に、フェンは電光石火の速さで潜り込み、彼の喉元に、刃を向けない槍の穂先を突きつけた。

 勝負は、決した。

 広場は、水を打ったように静まり返っている。誰もが、フェンの予想外の勝利に言葉を失っていた。

 フェンは、槍を収め、呆然とするガロウに向かって言った。

「強さとは、ただ腕力だけじゃない。仲間を守り、その腹を満たせる知恵や工夫も、立派な強さだ。アースは、私にそれを教えてくれた」

 その言葉は、ガロウだけでなく、見ていた全ての獣人たちの胸に、深く突き刺さった。

 その夜、里の広場では、フェンとリゼが持ち帰った米が炊かれ、獣人たち全員に振る舞われた。クリムゾンボアの肉で作った、アース直伝の焼肉丼だ。

 初めて食べる米の美味しさと、甘辛いタレが絡んだ肉の絶妙な味わいに、獣人たちは夢中でがっついた。あれだけ農耕に反対していた若い戦士たちも、無言で何杯もおかわりをしている。

 満腹になった獣人たちの顔には、ここ最近見られなかった、満足そうな笑顔が浮かんでいた。

 この日を境に、里の空気は一変した。

 ガロウをはじめとした若い戦士たちも、積極的に稲作を手伝うようになった。フェンとリゼは、里のリーダーとして、アースから教わった知識を皆に共有し、指導していく。

 やがて、里で初めての米が収穫された秋。黄金色に輝く水田を前に、獣人たちは自分たちの手で食料を生み出すという、新しい喜びを知った。その美味しさと、何より狩りと違って天候に左右されにくい安定性、そして保存性の高さに、彼らは農耕の価値を完全に認めたのだった。

 フェンとリゼは、生き生きと働く仲間たちの姿を見ながら、遠い空を見つめていた。

「なあ、リゼ。私たち、少しは成長できたかな」

「……うん。アースのおかげ」

 姉妹の成長と、彼女たちを大きく変えたアースという人間の存在の大きさを、里の誰もが感じていた。

 獣人の里に、新たな豊穣の文化をもたらした姉妹。彼女たちの故郷での物語は、狩猟と農耕が共存する、新しい時代の幕開けを告げていた。

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