Ep.13 BUD/S(準備運動)
4 Years Ago
Wednesday, August 29th, 2018
快晴
California Coronado, United States
海軍特殊戦センター
(アナポリスを卒業して三ヶ月。少尉に任官した俺は、他の志願者たちと共に、SEALsの選抜訓練、BUD/Sの門を叩いた。クラス234。百五十名を超える、全米から集まった猛者たち。その誰もが、それぞれの部隊でトップクラスの実績を誇るエリートだった。だが、この場所に足を踏み入れた瞬間、俺たちの階級や過去の経歴は、全て無意味と化す)
「You maggots! My name is Senior Chief McBride! I will be your god and your devil for the next six months! Welcome to BUD/S!(貴様ら、蛆虫ども! 俺の名はシニアチーフ・マクブライドだ! これから半年間、貴様らの神であり、悪魔でもある! ようこそ、BUD/Sへ!)」
訓練初日、俺たちは砂浜の上に整列させられていた。目の前には、鬼のような形相の教官たちが仁王立ちしている。彼らの鍛え上げられた肉体と、全てを見透かすような鋭い眼光は、アナポolisの上級生たちの比ではなかった。本物の戦場を生き抜いてきた者だけが持つ、殺気。それを肌で感じ、俺はゴクリと唾を飲んだ。
「First of all, I'll give you a present! A wonderful gift from the Pacific Ocean! Everybody, get in the water!(まず最初に、貴様らにプレゼントをやろう! 太平洋からの素敵な贈り物だ! 全員、海に入れぇっ!)」
号令と共に、俺たちは服のまま、躊躇なく真夏の太平洋へと駆け込んだ。だが、太陽に温められた表層とは裏腹に、カリフォルニアの海水は、心臓が凍るほど冷たかった。
「Up there! Up there! And lie down on the sand and become a sugar-covered doughnut!(そこまで! 上がれ! そして砂浜に寝そべり、砂糖をまぶしたドーナッツになれ!)」
ずぶ濡れの身体で砂浜を転がる。「Wet and Sandy」。これが、BUD/S名物の洗礼だった。濡れた戦闘服のあらゆる隙間に砂が入り込み、まるでヤスリで全身を削られているかのような激痛が走る。
地獄だ。アナポリスのプレブ・サマーが、子供の遊びに思える。だが、俺の心は不思議と折れていなかった。そうだ、俺は、このためにここに来たんだ。
その日の午後、俺たちは「ボート・クルー」と呼ばれる七人一組のチームに分けられた。俺が配属されたクルーには、二人の、忘れがたい男がいた。
一人は、ブラッド・オコナー。テキサス出身の、絵に描いたようなオールアメリカン。自信に満ち溢れたその態度は、どこかアナポリスで出会った頃のミラーを彷彿とさせた。
「Hey Jap. Can you handle that body? Don't hold us back.(ヘイ、ジャップ。お前、その体で持つのか? 俺たちの足を引っ張るなよ)」
もう一人は、クリス・テイラー。アパラチアの炭鉱町出身の、寡黙だが、鋼の意志を瞳に宿した男。
俺たちの最初の訓練は、IBSと呼ばれる、重さ百キロを超えるゴムボートを、七人で担いで砂浜を走り続けるというものだった。俺の身長は、クルーの中で一番低く、常に過剰な荷重がかかる。足が砂にめり込み、一歩進むごとに、全身の骨がきしむような音がした。
「Hey, Kamiya! Pull yourself together!(おい、カミヤ! しっかりしろ!)」
隣でボートを担いでいたクリスが、低い声で言った。
「I know!(分かってる!)」
俺が叫び返した、その時だった。先頭を走っていたブラッドが、何もない砂浜で大きくつまずいた。バランスを崩したボートが、俺たちを押しつぶすように、砂浜へと落下した。
「What are you all doing?! We're all responsible! Everyone, do two hundred push-ups!(何をやっている、貴様ら! 連帯責任だ! 全員、腕立て伏せ、二百回!)」
教官の非情な声が響く。ブラッドは、悪態をつきながら、忌々しげに俺を一瞥した。
「It's your fault, Jap!(てめぇのせいだ、ジャップ!)」
「It wasn't me who fell, you were the one who fell!(俺じゃない、あんたが転んだんだろ!)」
俺たちは、互いに睨み合った。最悪の出会いだった。
BUD/Sでの日々は、人間の尊厳を削り取る作業の連続だった。特に過酷を極めたのが、「ログPT」と呼ばれる丸太を使ったフィジカルトレーニングだった。約二百キロの、水を吸ってさらに重くなった丸太を七人で担ぎ、延々と続く訓練。身長差は、致命的な欠陥だった。一番背の低い俺の肩に、常に過剰な重さがのしかかる。
「Kamiya! Your knees are falling again!(カミヤ! てめぇ、また膝が落ちてるぞ!)」
頭上で丸太を支えながら、ブラッドが叫んだ。彼の言う通りだった。だが、もう限界だった。足が震え、視界が白く点滅する。そしてついに、俺の身体は限界を超えた。膝から崩れ落ちた俺のせいで、丸太が大きく傾き、地面に激突した。
「Damn it! If only you weren't here!(クソが! てめぇさえいなければ!)」
ブラッドの憎悪に満ちた声が、波音に混じって聞こえた。俺は何も言い返せなかった。俺が、このクルーの、弱点だった。
だが、地獄は、平等だった。
その日の午後の訓練は、「溺死対策(ドラウン・プルーフィング)」。手足を縛られた状態でプールに放り込まれ、自力で浮き続けなければならない。
俺は、アナポリスでミラーに叩き込まれた物理法則を思い出し、冷静に課題をこなした。だが、意外な人物が苦戦していた。ブラッドだ。あれほどの自信家で、完璧な肉体を持つ彼が、水中でパニックを起こし、もがいていたのだ。
教官に引き上げられたブラッドは、プールサイドで激しく咳き込み、屈辱に顔を歪めていた。俺は、黙って彼の隣に座り、自分のゴーグルを差し出した。
「...Don't breathe through your nose. Breathe through your mouth, slowly.(……鼻から息を吐くな。口から、ゆっくりだ)」
ブラッドは、俺を睨みつけた。だが、その目には、いつものような敵意はなかった。ただ、混乱と、わずかながら、助けを求めるような色が浮かんでいた。
その夜、宿舎に戻る途中、俺たちはそれを見た。訓練棟の前に設置された、真鍮の鐘。BUD/Sを去ることを決意した者が、自ら鳴らすための鐘だ。一人の候補生が、力なく歩み寄り、その鐘を三回、鳴らした。
カーン、カーン、カーン。
寂しく、そして重い音が、コロナドの夜に響き渡った。昨日まで、俺たちと共に地獄を見ていた仲間が、また一人、消えていく。
明日は、我が身か。
俺たちのプライドは、この地で毎日、少しずつ砕かれていく。そして、その破片の中から、本物の何かを見つけ出した者だけが、ここを生き残れるのだ。
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