恋に恋する短編

家守7676

さよなら、初恋。よろしく、友情。

「ちょっと、奏多(かなた)! アンタ、いつまで寝てんのよ!」


 机に突っ伏す黒髪を叩きながら、手荒に幼馴染を起こす。


「あだっ……お、ミナ。はよ~」


 奏多はさほど痛くなさそうに頭を掻くと、こちらを見上げてヘラっと笑う。眉間のシワが増えるのを無視して、アホ面の額に指を突き立てる。


「はよ~。じゃないわよッ! もうクラスのみんな移動したわよ!」

「えっ。うわマジじゃん、誰もいない」


 こいつはいつもこうだ。夜中までやっているらしいゲームのし過ぎで、学校では完全に寝坊助キャラが定着していた。そして、幼馴染である私が毎度それを起こすものだから、誰もこのバカを起こそうとは思わず、結果置いてかれてしまうのだ。


「いやぁ、助かるよ。いつもありがとな、ミナ」


 ヘラりとそう笑って立ち上がる男を見上げ、ひとつため息を吐いて、ツインテールの片方を指に絡ませる。


「ホント。私がいなきゃダメんなんだから、アンタは」

「いつも感謝してま~す」

「誠意が足りないのよ、アンタは!」

「いてぇ。すねはやめてぇ」


 変わらず笑って、のそりと歩きだす彼の背を慌てて追いかけながら、ひっそりとほくそ笑んだ。



    ◇



 奏多とは、産まれた病院が同じだった。


 私と奏多の母親は随分と馬が合ったようで、自然と一緒にされ、一緒に遊ばされ、ほとんど兄弟に近い距離感で過ごしていた。


 全体的にのんびりとした奏多は、産まれた時から図体がデカく、保育園から現在に至るまで、アイツのあだ名は「くま」だ。


 対して、私は生まれた時から身体が小さかった。隣のデカブツのせいでさらに小さく見えるものだから、昔からの呼び名は「うさちゃん」。そして、奏多の面倒を見る姿はまるで「小さなお母さん」だとも。


「誰がお母さんよ……失礼しちゃうッ」


 朝のホームルームまでの時間、居眠りをする奏多の頭を叩きながらため息を吐けば、眠気眼でこちらを見上げてくる。


「ん、なんの話?」

「こんなデカいの産んだ覚えはないって話よ、冬眠くま」

「はは、俺も産んでもらった覚えねぇわ。なんのこと?」


 カラカラ笑って不思議そうにするアホ面に、ついデコピンをくらわす。


「アンタのせいよ、おバカ」

「いたい~。これ以上バカになったらどうすんだよぉ」

「こんなんでなるもんですか、軟弱者め」

「なはは。難しい言葉使ってやんの」

「アホ」

「いっでぇ」


 ニヤつく男の頭をもう一度強めに叩いていると、ちょうどチャイムが鳴る。それを合図に自分の席へ戻ろうとすると、くんッと袖を引かれた。

 袖を掴む奏多は、まるでいたずらっ子のような笑みで声を潜める。


「今日さ、放課後ちょっと残ってくんない?」

「は? なんでよ」


 思わず聞き返す。奏多は表情を変えず、首を傾げた。


「だめ?」

「だ、ダメとは言ってないじゃないの」

「じゃ、待ってて」


 奏多は言い終わると袖を離し、さっさと顔を腕の中に埋めてしまう。

 呆気にとられた私は、先生に声をかけられてから慌てて席に戻り、奏多をちらりと盗み見る。すでに夢の中のようで肩を小さく上下させていた。


「(急になんなのよ……!)」


 二つ結んだツインテールの先端を忙しなく指に巻き付け、解く。



 ――なによ、あのあざとい首傾げは。可愛いにもほどがあるでしょう!



 分かっている。あのゴツイ大男に「かわいい」などと思うなんて、フィルターがかかっているとしか思えないだろう。でも、仕方ないでしょう。

 事実、私の目にはフィルターがかかっている。奏多限定で。


「(……今日、授業頭に入んないかも)」


 いつの間にか始まった一時間目。初めて、ノートは何も書けなかった。



    ◇



「それで? 一体なんの用なのよ」


 帰りのホームルームも終わり、まっさらなノートに見て見ぬふりをして、奏多のもとへ向かう。席に座る奏多はこちらを見上げて、少し緊張したような面持ちで頬を掻いた。


「実は、ミナに伝えときたいことがあってさ」


 その言葉に、私の胸は高鳴る。奏多が、今まで見たことのない顔で、私に「伝えたい」ことがあると言う。こんなもの、期待するなというのが冗談だ。


「へ、へ~? まぁ? 話くらいなら、聞いてやってもいいけど?」


 また髪の先をくるくると指に巻いて、口から滑るように嫌味な言葉を並べてしまう。


 あぁ、違う。こんなことを言いたいのではない。


 頭の中で涙を浮かべていると、教室の引戸が開かれた。そこには、茶色がかった長髪をゆるく一つにまとめた、大人し気な女の子。


「あ! 待ってたよ、ユイさん!」


 彼女の名前を、嬉しそうに呼んだ奏多。それに花が咲くように微笑むユイさんは、パタパタと小走りで来た。


「ごめんなさい、ホームルームが長引いちゃったの」

「全然! ミナ、この子はユイさん。俺の彼女さん!」

「……かのじょ」


 彼女の手を優しく包むように握り、奏多は私に笑顔でそう言った。


 なに。どういうこと。


「驚くよなぁ。俺も驚いてるよ、こんないい人が彼女だなんてさ」


 はにかんで、頬を掻く奏多。その隣で恥ずかし気に微笑む可愛い人。並んで見る二人は、なんでか、酷く馴染むようで。

 ツインテールの先を触る。


「……ほ、本当よ! アンタ、こんなかわいい人といい関係だったなんてね! 大変だったでしょう? 振り向かせるの」


 とにかく、話題を広げた。今、この二人を邪魔してはいけない気がしたから。


「そうなんだよ! 昨日ようやっと告白受けてくれてさ!」

「あんなに毎晩、通話で口説かれたら折れちゃうよ」


 毎晩、通話で。


 そうか。奏多はゲームじゃなくて、彼女と通話して寝不足だったんだ。

 なんだか、足元がぐらつく。


「へ、へ~……毎晩通話って、べた惚れじゃない! ユイさんに振られたら、アンタ、生きてけないんじゃないの?」


 冗談交じりにそう言うと、奏多はぱちりと目を開き、彼女の顔を見つめてからふわりと微笑んで、私に言った。


「うん、それくらい好き」


 張り付けた笑みが、ぴしりと音を立てる。

 私を見ているのに、その笑顔と言葉は、私に贈られたものではない。その事実が、どうにも見ていられなかった。


「そ、う。あ~……ま! いいんじゃない? 二人ともお幸せにね!」


 我ながら、逃げ方が下手くそだと思った。

 二人に笑顔で手を振って、鞄を取り教室を出ようとして、声をかけられる。


「おう! ありがとな!」

「また明日! ミナさん!」

「……ん」



   ◇



 玄関の扉を雑に開け、言葉もなく二階へと上がって部屋に向かう。鞄もそこらに投げ置いて、ベッドに音を立てて倒れこんだ。


「……う、うぅ~ッ……!」


 帰り道、何も考えられない頭に浮かんでいた、二人の笑い合う光景。ようやっと足を止めて、脱力した身体に引っ張られるように、涙が流れた。

 あぁ、ひどい。なんてひどい女なのだろう、私は。

 幸せそうな二人を見て、私は、何度も、それを飲み込んだ。



 ――私の方がずっと……



 ずるりと、腹の奥から漏れかけた塊が、私にまとわりついて泣くように囁く。


「……ッは、なによ。今更」


 もう黙れ。黙って頂戴。

 いいことだ。大事な幼馴染が、幸せそうに笑っていて。喜ばしい。両手を上げて祝福をしよう。それが、「友人」でしょう。奏多も、それを望んでいるの。


「ふっ、く……ちが、う」


 身体を押さえつけるように抱き抱え、背を丸める。抑えきれないそれを、無理にでも抑え込んで涙が止まらない。


 

 ねぇ、奏多。昔、ツインテールが好きって言っていたよね。あの子はロングヘアだよ。


 アンタ、かわいい子が好きって言っていたよね。私の「可愛い」は、何が違ったの。


 ずっと隣にいたのに、なんで、私は違うの。



 声にならない糾弾を殺した。これ以上、彼らを思い出したくない。心臓もろとも焦がされる。それほどに、彼らの笑顔が眩しすぎる。


 ふいに、視界を遮る髪が煩わしいと思った。

 手に取ったのは、ズボラな自分なりに、いろんな動画を見て、毎日手入れをしてきたツインテール。

 私の、お守りのような、呪いのようなそれ。


「……」


 もう、やめてしまおうか。

 握る髪の毛を、集めて顔に寄せながら、目を瞑った。

 


 次の日、私は学校を休んだ。



   ◇



「えぇ!? ミナちゃんどうしたの、その髪!」


 朝。学校について、教室に一歩踏み入れた途端響いた一声。

 友達のひとりが私を指さして叫んだそれに、クラスのみんなが一斉にこちらを振り向く光景は、一種のホラーだろう。


「めっちゃ短いじゃん! 顎まで切っちゃったの!?」

「もったいない! あんなに綺麗だったのにぃ」


 女子に囲まれて、口々に感想を言われながら髪の先をいじった。なんと答えたものかな、と苦笑いを浮かべていると、後ろから聞き馴染んだ声がする。


「あれ? ミナ、髪切ったの? いいじゃん」

「わっ! ミナさん、短いのも似合うね! スゴイ可愛い!」


 振り返れば、仲良く手を繋いで登校してきた出来立てのカップル。なんともまぁ、お熱いことだ。笑顔で褒め言葉もよどみない二人に、嫌味が感じられない。


「はは、いいでしょ。心機一転ってやつ」


 笑ってそう言えば、二人ともいい笑顔で褒めてくる。



 あぁ、この二人がもっと嫌な人だったら、捨てられなかったろうなぁ。



「ていうか、アンタら朝から暑苦しいのよ! 惚気か!」

「へへ、羨ましいだろ」

「惚気だなんて、そんな……!」

「バカップルが……」


 蹴りかけた足を止め、ひとつため息を吐いて、二人にシッシッと手を振ってやる。


「ほら、さっさと行きなさいよ。見てると胸焼けしちゃう」


 そう言って自分の席に向かおうとすると、ユイさんが不思議そうに聞いてきた。


「あれ? ミナさん、ミサンガなんてつけてたっけ?」


 彼女の視線の先には、右手首に巻かれたミサンガ。「あー」と返答を考えて、できるだけあっけらかんとした笑みを浮かべた。


「願掛け、かな」



 初恋の願掛けに別れを告げ、新しい縁が来ますようにと。

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