第13話 紗夜、大人のキス...?

「大人のキスを教えてあげる...」


 紗夜先生の唇がゆっくりと近づいてくる。


 月光のような銀髪が頬にかかり、甘い香水の香りが鼻腔をくすぐる。紫色の瞳が妖しく光り、唇には艶やかな輝きが宿っている。


 あと10センチ...いや、8センチ...


「ふふ...緊張してる?」


 吐息が顔にかかる。熱い。


「もう少しよ...」


 紗夜先生が囁く。でも——


 あと7センチ...まだ7センチ...あれ?まだ7センチ...?


「さあ、覚悟を決めて...」


 そう言いながら、なぜか距離が縮まらない。むしろ微妙に遠ざかっているような...


「もう、逃げられないわよ...」


 でも全然キスしてこない。頬を包む手が、微かに震えている。


「あの...先生」


 俺は気づいてしまった。


「もしかして、男とキスしたことないんじゃ...」


 ビクッ!


 紗夜先生の動きが完全に止まった。顔が見る見る赤くなっていく。


「な、何を言ってるの!私は大人の女よ!」


「確かに!」


 拘束されているルカも便乗する。


「さっきから『キスする』とか言いながら、めちゃくちゃ時間かけてるじゃない!本当にする気あるの?」


「う、うるさい!ただ雰囲気を作ってるだけで...」


 紗夜先生の声が上ずっている。完全に動揺している。


 その時——


 ガチャン!


 屋上の扉が勢いよく開いた。


「おーい、犬が!犬が入ってきおった!」


 用務員のおじさんの声と共に、茶色い中型犬が屋上に飛び込んできた。


「ひぃっ!」


 紗夜先生が悲鳴を上げた。次の瞬間——


 ボフッ!


 俺の顔面に、柔らかくて大きな何かが押し付けられた。


「いやー!犬!犬が!」


 紗夜先生が俺に抱きついている。しかも、顔が完全に胸に埋まっている状態で。


 柔らかい。温かい。いい匂いがする。でも——


「んー!んー!」


 息ができない!



 紗夜先生のパニックと共に、サキュバスモードが解けた。銀髪はそのままだが、翼のオーラが消える。同時に、暗かった空間も元の夕暮れに戻った。


 ワンワン!


 犬が紗夜先生の足元に寄ってくる。尻尾を振りながら、友好的に近づいてきた。


「いやー!来ないで!」


 紗夜先生が更に強く抱きついてくる。胸の圧力が増す。


 頭がクラクラしてきた。酸欠で意識が朦朧とする。天国なのか地獄なのか分からない状況。


「ちょっと、陽太が窒息してる!」


 ルカから元に戻ったはるかが、慌てて犬を抱き上げた。


「ほいよ、おじさん。こん子でしょ?」


「おお、そうじゃ。ありがとうな」


 用務員のおじさんが犬を受け取る。そして、俺たちを見て首を傾げた。


「それにしても、こんな時間に屋上で何をしとるんじゃ...」


 紗夜先生に抱きつかれている俺と、それを見ているはるか。確かに怪しい構図だ。


「まあ、若いもんは色々あるじゃろうが...早く帰りなさい」


 おじさんは犬を連れて、階段を降りていった。



「もう犬はおらんけん、離れや!」


 はるかが紗夜先生を俺から引き剥がす。


「ぶはーっ!」


 やっと息ができた。大きく深呼吸をする。死ぬかと思った...


 紗夜先生は顔を真っ赤にして、服装を整えている。


「と、とにかく!」


 取り繕うように咳払いをする。


「あなたたち、別れた方がいいわ!さっきも言ったけど、危険なの!」


 そう捨て台詞を残して、紗夜先生は逃げるように屋上を去っていった。


 残されたのは、俺とはるか。


 夕日が沈みかけて、空がオレンジ色に染まっている。


「なぁ、陽太くん...」


 はるかが不安そうな顔で俺を見る。


「あん先生ん言うこつ、本当なんじゃろうか...わいとおったや、陽太くんが危険ちこつって...」


 小さな手が、俺の手をぎゅっと握ってきた。震えている。


「俺は君との契約をやめる気はないよ」


 はっきりと言った。はるかの瞳が潤む。


「本当かい...?」


「もちろん。何があっても」


「あいがと...」


 はるかが小さく頷いて、そっと俺に身を寄せてきた。


 でも次の瞬間、クンクンと俺の制服の匂いを嗅ぎ始める。


「...この匂い」


 はるかの表情が一変した。


「紗夜先生の香水の匂いがびっしりついてる!」


「え、いや、それはさっき抱きつかれて...」


「そういえば!」


 怒ったような顔で俺を睨む。


「さっき、あん先生に胸押し付けられっせぇ、喜んじょったやろ!」


「喜んでない!窒息しそうだった!」


「言い訳せんとよ!」


 はるかが頬を膨らませる。


「わいよりでかかからって...」


「それは関係ないだろ!」



「大体、陽太くんはでかか方が好きとね?」


「そ、そんなこと聞かれても...」


「答えんさい!」


 詰め寄られて後退する。でも屋上のフェンスに追い詰められた。


「はるかのサイズで十分だよ!」


「十分ってなんね!?」


「あ、いや、その...」


 墓穴を掘った。はるかの顔が更に赤くなる。


「もういい!知らんよ!」


 プイッと顔を背けて、はるかが階段に向かって歩き出す。


「待ってよ!誤解だって!」


 慌てて追いかける。


「そういえば、山田商店のたい焼きに新作が出たんだって!クリームチーズ味!」


「...クリームチーズ?」


 はるかの歩みが少し遅くなる。


「うん!期間限定らしいよ。おごるからさ!」


「...本当ね?」


 どうやら、なんとか機嫌が少し収まったようだ。


 とはいえ、この秘密を知る人が他にも出てきたのはとても気になる...




【お礼】


 ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございます。


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 これからも続けていけるよう、頑張っていきます。どうぞよろしくお願いします!

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