SCENE#100 一人土俵、魂のうっちゃり 第4章 〜再起の四股 母の背中
魚住 陸
一人土俵、魂のうっちゃり 第4章 〜再起の四股 母の背中
第1章:春場所の暗転、そして帰郷
春場所の九日目、前頭筆頭として土俵に上がった山嵐は、激しい攻防の末、相手の投げに体勢を崩し、右膝から不自然な形で土俵に落ちた。激しい痛みが走り、彼は立ち上がることができなかった。
診断は右膝前十字靭帯損傷。全治6か月。絶望が山嵐の心を支配した。病室のベッドで一人、彼はやり場のない怒りを拳に込めた。
「クソッ…!なんでだ…!やっと、ここまで来たのに…!」
数日後、師匠から「しばらく静養してこい」と告げられ、山嵐は故郷の鳥取へと帰省することになった。久しぶりに降り立った故郷の駅。柔らかな日差しと、どこか懐かしい潮の香りが漂う中、母がいつものように穏やかな笑顔で迎えてくれた。
「おかえり」
「ただいま、母さん…」
山嵐は努めて明るく振る舞ったが、母は何も言わず、ただ彼の顔をじっと見つめていた。家に着くと、母は山嵐の好きな唐揚げと煮物を作ってくれたが、箸が進まない山嵐に母は何も言わず、ただ隣に座っていた。
「心配ないよ、母さん。すぐ治して、また土俵に上がるから...」
山嵐がそう言うと、母は静かに首を振った。
「無理してそんなこと言わなくていいんだよ。あんたの気持ちは、私が一番よくわかってるから…」
その夜、山嵐は母に内緒で、こっそり相撲中継のアーカイブを観ようとした。しかし、画面に映る同期たちの活躍に、嫉妬と無力感が押し寄せてくる。携帯を放り投げ、彼は故郷の静寂の中に、孤独に苛まれていた。
第2章:母の視点、喜朗との再会
山嵐が帰郷してからというもの、母は毎日、彼の様子を注意深く見守っていた。朝、顔を洗う息子の足取りが重い。食事を前にしても、何も言わずうつむいている。
「あの子は、誰にも弱みを見せない子だから…」
母は、山嵐の気持ちが痛いほど分かった。だからこそ、無理に言葉をかけず、ただ温かい食事を用意し、そっと膝に冷湿布を置いてやるだけだった。
ある日、母の携帯に倉吉の相撲道場の師範から電話がかかってきた。
「山嵐関が怪我をしたと聞きました。お母様、山嵐関にご迷惑でなければ、今度喜朗さんと伺ってもよろしいでしょうか?」
母は喜んで承諾した。
数日後、喜朗は手作りの鳥取県の伝統的な竹細工でできたお守りと、二十世紀梨を持って山嵐のもとを訪れた。
「山嵐関…お見舞いに参りました…」
山嵐は、突然の喜朗の訪問に驚いた。
「喜朗さん…どうして…」
「道場の師範から、お怪我のことを伺いましてな…。わしは、どうしてもお会いしたかったんです…」
喜朗は、静かに山嵐の横に腰を下ろした。
「わしも、妻を亡くしてから、何もする気力が湧かんかった。でも、あんたが、わしに相撲の楽しさを思い出させてくれた。そして、妻との思い出は、わしを支える力だと教えてくれた。今度は、わしが、あんたを支える番じゃ…」
喜朗はそう言うと、山嵐に竹細工のお守りを手渡した。
「この竹細工は、折れない、しなやかな竹のように、どんな困難にも立ち向かう力がありますように、という願いを込めて作ったんです。どうか、あんたの心の支えになりますように…」
山嵐は、喜朗の温かい言葉と、手作りの竹細工を両手に持ち、込み上げてくる感情を抑えることができなかった。彼の目に、熱いものがこみ上げてきた。
第3章:心の土俵と、再起への誓い
喜朗との再会を機に、山嵐は少しずつ前向きな気持ちを取り戻していった。彼は、故郷の自然の中でリハビリを開始した。幼い頃に遊んだ川辺で、水流に逆らいながら足腰を鍛え、険しい坂道をゆっくりと登り、体力と精神力を取り戻していった。
母は、山嵐がリハビリに励む姿を静かに見守っていた。その姿は、幼い頃、相撲の稽古で何度も転んで、それでも立ち上がった山嵐の姿と重なって見えた。
ある日、山嵐は母を連れて、幼い頃に稽古をしていた小さな神社を訪れた。彼は、四股を踏み始めた。
「はあ…はあ…」
ぎこちない動きだったが、一歩一歩に力がこもっていた。
「母さん、俺、また土俵に上がるよ…」
山嵐は、母に向かってまっすぐに言った。その目には、もう迷いはなかった。
「たとえ、昔のようには動けなくても、諦めない。俺には、俺の相撲がある。それを証明したいんだ。そして、母さん…俺の相撲は、母さんがくれた力だって、証明してみせるから…」
母は、静かに頷き、山嵐の手をそっと握りしめた。
その夜、山嵐は師匠に電話をかけた。
「師匠、お久しぶりです。怪我、だいぶ良くなってきました。故郷で、色々なことを考えました。俺は、もう一度、土俵に上がりたいです。焦らず、ゆっくりと、土俵を目指します…」
師匠は、電話の向こうで静かに頷いた。
「わかった。待っている。お前の居場所は、いつでもここにあるからな…」
第4章:新たな決意と、未来への継承
山嵐は、故郷でリハビリを続けながら、毎日、母と一緒に過ごした。彼は母に、相撲の面白さや、土俵に立つことの意味を熱心に語った。
「母さん、相撲はただの勝ち負けじゃないんだ。土俵に上がる力士には、それぞれ物語があって、その思いがぶつかり合うんだ。俺の相撲は、粘り腰。最後まで諦めないこと。それが俺の相撲なんだよ…」
母は、山嵐の話に静かに耳を傾け、時折、優しく微笑んだ。
ある日、母は山嵐を近所の小学校に連れて行った。そこでは、地元の相撲クラブの子供たちが、熱心に稽古に励んでいた。子供たちは、突然現れた山嵐に目を輝かせ、彼の周りに集まってきた。
「山嵐関だ!怪我はもう大丈夫ですか?」
「早く土俵に戻ってきてください!」
子供たちの声援に、山嵐は胸が熱くなった。
「みんな、今日は俺の相撲の基本を教えてあげるよ。いいか、相撲で一番大事なのは、諦めない心だ!」
一人の子供が尋ねた。
「山嵐関は、どうしてそんなに強くなれたんですか?」
山嵐は、優しく微笑んで答えた。
「それはな、俺一人で強くなったわけじゃないからだ。俺の相撲は、応援してくれるみんなの力でできてるんだ。だから、一人じゃない。みんなも、そう思ってほしい!」
第10章:再起の土俵と、新たな物語
季節は巡り、山嵐の怪我も徐々に回復していった。彼は、故郷での静養を終え、再び東京の相撲部屋へと戻る日を迎えた。駅のホームには、見送りに来た母の姿があった。
「母さん、ありがとう。また帰るから…」
「うん、待ってるからね…」
母は、山嵐の顔をじっと見つめ、そう言って微笑んだ。
東京に戻った山嵐は、すぐに稽古を再開した。故郷で得た新たな決意と、母の温かい愛情が、彼の力となった。そして、その年の九州場所。山嵐は、見事に土俵に返り咲いた。
復帰戦。山嵐は、土俵に上がる直前、右膝に巻かれたサポーターをじっと見つめた。不安と緊張が入り混じる中、彼の脳裏に喜朗がくれた竹細工のお守りがよぎった。
「決して折れない、しなやかな竹のように…」
立ち合い。山嵐は迷いを振り払い、得意の粘り腰で相手を土俵際まで追い詰めた。そして、最後は相手の投げに耐え、見事に逆転勝ちを収めた。
千秋楽、山嵐は10勝5敗で見事に勝ち越しを決め、復活を印象付けた。取り組み後、山嵐は観客席を見上げた。そこには、故郷から駆けつけてくれた母、そして倉吉の道場の仲間たちの姿が見えた。さらに、彼のカバンには、少し前にコウから届いた手紙が入っていた。
「山嵐関へ。テレビで怪我のことを知って心配していました。でも、また土俵に戻ってくるって信じていました。僕の夢は、いつか山嵐関が横綱になった時、直接お祝いを言いにいくことです!」
山嵐は、深々と頭を下げた。彼の心には、これまで彼を支えてくれた全ての人々への感謝と、未来への希望が満ち溢れていた。
「俺は、一人じゃない…」
彼は、土俵から引き上げる花道で、そう静かに呟いた。彼の新たな物語は、ここからまた始まっていく。
「コウ、手紙ありがとな…」
山嵐は、微笑んだ…
◆過去に投稿した、第1章〜3章も読んでいただけると嬉しいです。
SCENE#100 一人土俵、魂のうっちゃり 第4章 〜再起の四股 母の背中 魚住 陸 @mako1122
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます