某ライトノベル作家

某ライトノベル作家 第1章 AI前

「AIは未知で危険、だが放置すれば停滞が訪れる。」

 ――杉村洋介(出版評論家)


 十年後に語られたこの断言を、当時の僕が知るはずはなかった。だが振り返れば、あの日の編集部の小さな打ち合わせ室の空気には、この言葉が不気味に重なっていた気がする。


 机の上にはノートパソコンと原稿用紙が散らばり、缶コーヒーはすでにぬるく、渋味ばかりを舌に残していた。僕は腕を組み、向かいの若い編集者に言った。


「AIなんて玩具だよ。どうせすぐ飽きられる」


 笑いを交えて放ったつもりだったが、部屋には乾いた響きしか残らなかった。編集者は手帳を閉じると、少し間を置いて口を開いた。


「……会社の方針は、現状AIの導入を一切認めない、というものでした。編集長も強くそう言ってます」


「だろうな」僕は肩をすくめる。「賢明な判断だと思うよ。創作は人の熱で作るものだ」


 安心を確かめるように言葉を重ねながらも、胸の奥にはかすかなざわつきがあった。


 そのざわつきは、机に伏せていたスマートフォンの通知から生まれた。指で開いた小さな記事には、海外でAIが書いたライトノベルが電子ランキングを賑わせているとあった。写真もなく、冷たい文字列だけ。だが一読した瞬間、室内の静寂が奇妙に強調された。


「また海外の与太話だろ」

 そう口にしながら、僕は記事を閉じた。理解すれば余計な不安を抱える。見なかったことにすれば、何事も起こらない。――そういう自分への言い訳を即座に用意するあたり、自分でも小さく苦笑した。


 昼休み、編集者と近所のカフェでサンドイッチを食べた。会話は軽い冗談ばかりで、未来の話題は一切出なかった。だが店の窓越しに見える街路樹の揺れを見たとき、言葉にならない変化の気配が皮膚を撫でていった。


 夜、帰宅の電車で販売データを眺める。数字は波を描いて上下していたが、その波の正体を僕はまだ掴めなかった。

「世界は何も変わっていない」

 そう思おうとすればするほど、小さな違和感が積み重なった。


 自宅の机に戻ると、紙の匂いが僕を落ち着かせてくれた。パソコンを開き、キーボードを叩く。短い文が生まれ、画面に並んでいく。だがその夜の言葉はどこか震えていた。


「今は面倒なことには巻き込まれたくない」

 ひとりごとのように呟き、冷めきったコーヒーを飲み干す。苦味は安堵と不安を同時に舌に残した。


 窓の外の夜空には街の光に隠されて星はほとんど見えない。そこに確かにあるものを、見えないふりでやり過ごす。理由を探すこともなく、僕はただ目を閉じた。

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