第2話 覚醒

「こ、こいつ自分から咥えやがった! は、はは……こんな時代だ。『俺たち』並みに狂った奴がいたっておかしくはないか」



 自分の涎を吸い上げると一緒に男性の指を吸う、舐める。


 口の中に鉄の味が広がったかと思えば、次第にそれは極上の甘さへと変化。


 いつまでも舐めていたい。指ごと飲み込んでしまいたい。

 味の濃いジャンキーなガムを食べている時と似た衝動が降り注ぐ。


 こんなのまるで自分が自分じゃないみたいで、気持ち悪い。



 それなのに……ああ、美味い。



「へ、気色悪い奴だがこれで俺の手駒。そうだな……まずはそっちの女を取り押さえろ」

「駄目! 一度言うことを聞けば……そのスキルへの抵抗力が弱まりかねないわよ!!」



 命令に従おうと俺の口が男性の指から離れた。

 そして振り返るとさっきまでの酔った隙のある姿ではなく、焦り強張った顔の衛藤さんが俺の目に映った。



 なぜこのスキルについてやたらと詳しいのか、そんな疑問が湧く。

 命令で脚が勝手に動こうとする。

 駄目だと言われ、これから俺がするであろう行動に罪悪感を覚える。



 そんな考えや感情、行動、全てをひっくるめて……俺は飲みたい、食べたい。



「……血、肉。肉っ!!」

「なっ!?」



 視線を衛藤さんから男性に戻す。


 男性はすっかり油断していたのだろう、軽くぶつかっただけのはずなのに簡単にその場に倒れた。


 俺はそんな男性に馬乗りになりそして……。



 ――ぶち。



「うっ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」



 指を食いちぎった。

 口一杯に広がる甘い甘い血の味、コロコロと転がりガリガリと削れる骨、ふにふにとした食感がたまらない肉。


 一噛み一噛み丁寧に味わう。

 こうなるともう男性の声なんか気にならない。



「ふぅ……。美味い、美味いぃい」



 そうして全身を幸福感が駆け巡ると、俺は自分の中で何か熱いものが腹の中で滾ったのを感じた。


 精神的にってだけじゃない、本当に熱いものがそこにはある――



『抑制されていた人食衝動が完全に解放されました。覚醒を果たしました。新たにステータスを獲得しました。いくつかのスキルが発現しました。新たな種族を獲得しました』



 頭の中に流れ込んだ機械的な声。

 ダンジョンというものがこうして外部からくる生き物に対してアナウンスをしてくれるのか、ステータス付与という超常現象を発生させるのかは未だ分かっていない。


 ただ今わかるのはこれは通常【ダンジョン】へ侵入した場合に発生するものであり……外で発生するなんてのはありえないということ。


 つまり……今の俺はダンジョンのその一部として存在している可能性があ――



「――ひ、ひぃぃいっ!! ば、化け物!!」

「化け、物?」



 口の中に残った指の味の余韻を楽しみながらしばらく思考にふけっていたが、俺はその声で下にいた男性が俺の顔を信じられないといった様子で見つめていることに気付いた。


 そしてその言葉の意味を探るために自分の手を見た。


 すると……。



「な、なんだよ……これ?」



 鋭い爪に深緑色の体表。これは鱗か?

 それにさっきから口の感覚がおかしい。


 まさか……。



「鼻がない……。違う、あるけど知ってるそれじゃない」



 やけに出っ張った口。

 その先に空いた二つの穴、これが俺の鼻らしい。


 もっとまさぐってみると、この口には牙がついていること、さらにあたままで手を伸ばすと角のようなものが確認できた。



 化け物、アナウンス、人を食べたいという衝動、それに対する罪悪感の無さ……そうか、そういうことか。



「でも、そんなことあり得ない。なんで俺が、そんな……衛藤さん、俺こんなでも人間、竜瀬だってわかり――」



 なんとなく衛藤さんがそこにいる気配がないと思っていた。

 でもそれは俺を助けるために誰かを連れて来てくれているから、そう思っていた。



 だけど振り返ったときにあった視線の数々は男性じゃなくて、俺に向けられていた。



「もう大丈夫です。あとは私たちがあのモンスターを駆除しますので」



 警察の中でも探索者の犯罪者や、極稀に町中でモンスターが発見された際に動く隊、『異能隊』。

 彼らは特別に外でスキルを使うことを許可されており、その強さはゴールドの探索者以上だとされている。


 そんな人たちに俺は今『モンスター』と呼ばれたというわけで……このままじゃ死は避けられない。


 この身体になったから分かる。本能で推し測れる。あの人たちは俺よりも遙かに強い。



「あの人はその……」



 異能隊の人に衛藤さんは事情を説明しようとしてくれている。


 そうだ。俺には衛藤さんがいる。俺がこんな身体になった経緯を知っている衛藤さんがいるならきっと――。



「人ではなくモンスター、です。かなり特別な。だから殺すのではなくて、捕らえることは可能ですか」

「……。『あなた』がそう言うのあればそうしましょう。ただ、あれが人間の街にはもう戻ることはない。処分が延期されて……これ以上は言わなくても分かりますね?」

「理解した上です」



 俺を擁護してくれると思っていたのに……。

 はは。結局は上司と部下ってことか。


 俺は何を期待してたんだろうな。衛藤さんに『あいつ』の面影まで見てさ……。



「……そうだ、どうせ殺されるなら。せめて最後に……。っつ……。……。……。……。極上の餌を頂いて、からっ!!」



 指の後味が消えて、また頭痛が襲った。


 身体も口も再びいうことを聞かなくなり、異能隊の元へ駆け出す。



 軽く、気持ちいいくらい軽快に動く俺の身体。


 でもそれ以上に異能隊の人たちは素早く動いて見せ、俺の鳩尾、鼻、脛を警棒のようなもので殴って……。



 ――パン。



 動けなくなったのを確認すると、最も偉いであろう人の指導の下、俺の口の中には銃口が突っ込まれ……容赦なく引き金が引かれたのだった。

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