Case2 ダンウィッチ・インシデントという悲劇への考察と展望 第三部




 ミスカトニック大学の講義室は、蒸気の霧が窓ガラスを優しく曇らせ、重い空気に満ちていた。

 厳戒態勢の警報が遠くに響き、機動隊の影がキャンパスを這うように巡回する中、授業は止まることなく継続されていた。

 あの夜の惨劇——ヘンリー=アーミティッジの死と、深淵を見返すものの影が、肌をぞわぞわと這うような余韻を残しつつも、知識の渇望が学生たちを講義室に縛りつけるように……元々ミスカトニック大学の民俗学科は『そういう教授』と『そういう生徒』の集まる場所だった。

 ライラ=シュルズベリイの民俗学の授業は、常に魂を震わせる深淵の考察を強いる内容で知られていたが、この日は太古の昔に地表を統一したハイパーボレア大陸の時代……駆逐戦争と呼ばれる伝説にシフトしていた。

 彼女の金髪が非常灯の光に優しく輝き、色眼鏡の下の瞳が虚空を睨む。

 その姿は、まるで復讐の炎が体を熱く疼かせる女神のようでもあった。

 ライラは黒板に古い図像を描きながら、冷徹な声で講義を進める。

 ステッキが床を叩く音が、鋭い緊張を部屋に響かせる。


「ハイパーボレアの時代、駆逐戦争とは何だったか? その戦いがもたらした世界の変革を、旧支配者の視点から考察せよ。」


 彼女の声は低く、しかしその奥に昨夜の絶望が溶け込んだ震えを隠していた。

 生徒たちは顔を青ざめ、ノートを慌ててめくりながら言葉を探す。

 ある生徒が口ごもり、間違った解釈を呟くと、ライラのステッキが床を叩き、沈黙が広がる。


 そんないつも通りのようで、やはりいつもと違う授業風景の中、ウィリアナ=アーミティッジもまた昨日のように食い入るように講義を聞いていた。

 彼女の黒い髪が静かに揺れ、ノートを撮ることに集中する彼女の美しさもまた周囲を圧倒する。

 しかしその幼く純粋な内面は、父の死が魂を優しく蝕む痛みを堪え、彼女の体は微かに震え、汗が肌を伝うような熱を帯びていた。

 ライラの視線がウィリアナに移る。


「ウィリアナ、君はどうだ?」


「ぅあ、はいっ……で御座りまするっ」


 ウィリアナは即座に立ち上がり、震えを帯びかけた声を抑え回答を始める。


「ハイパーボレアの時代、この世界は旧支配者に支配されて御座いました

古い法則が猛威を振るい、宇宙の果てから這い寄る触手のように、人々を絶望の渦に飲み込んで御座いました

ですが、そこに『魔法使い』という超存在が誕生したので御座います

彼らは願いによって新法則を生み出し、古い法則を打ち消す旧支配者の天敵……それが駆逐戦争と白魔術の始まりで御座ります」


 彼女の言葉が部屋を優しく震わせ、学生たちの息を飲む。


「魔法使いたちは、旧支配者を圧倒し、存在危機に瀕させたので御座います

旧支配者達は宇宙や異次元に退避するか、地球上のあらゆる場所に封印されるに至り……

世界には、魔法使い由来の白魔術と、旧支配者由来の黒魔術が法則として残されたので御座ります

そうして世界の法則を学び己の小魔力を燃やして技術としてそれを扱う技術者を『魔術師』と定義し『魔法使い』と区別したので御座りまする

拙の見立てでは、この二つの法則は科学を巻き込んで複雑に絡みつき、現代のウィアードエイジを形作っていると言っても過言では御座りませぬ

如何でござりましょうか、教授どのっ」


 満面の笑みと共に締めくくられたその返答は完璧で、他の生徒たちを圧倒する。 ライラは色眼鏡の下でわずかに頷く。

 授業の重苦しさが、ウィリアナの無垢な熱意で少し和らげられるが……


「な、なぁ……聞いたか、ウィリアナの時間凍結処置の話」


「嘘、ウィリアナちゃん居なくなっちゃうの? うちの清涼剤だったのに……ってか何それ!?」


 ヒソヒソと、厳格なライラの授業には珍しい授業中の私語が、講堂のあちこちから聞こえてくる。


「一度入ったら最後、干渉不能な一瞬だけに切り取られてこの世の終わりまで捕らえられるって……あの!?」


「本人も受け入れてるんだって? 邪神の血を引いていることが分かったからって……」


「アーミティッジ教授も、そのせいで……」



 カァン!!



 と、ライラのステッキが強く床を打つ音が講堂に響き、一瞬にして講堂は静まり返る。


「コリン、ベンジャミン、アダム、エイブラムに……おいハロップお前もか……私語は楽しいだろう、楽しんだなら後でレポートの課題を追加するので覚悟するように」


 ぎゃああぁぁぁと悲鳴が上がるが、それ以上に生徒達は気まずそうに残りの授業の時間黙らざるを得なくなったのだった。

 何故なら、噂話に興じていた彼らですら漸く気づいたからだ……ウィリアナが席に着いた途端黒板から目を外し、俯き切って涙を流していたことに……。


「……っひっ、っく……ぐす、ぅぁ」


 彼女の頰を伝う雫が、失われた父の温もりを嘲笑うように滴った先のスカートを熱く濡らしていた。

 その静かな嗚咽は、何にも勝る音量の気まずさと軽率さに対する後悔としてライラの授業と共に流れていた。




 授業の合間、ウィリアナ=アーミティッジは黒い髪を静かに揺らしながら、細長い耳を微かに震わせて廊下を歩いていた。

 彼女の体は、父の死の痛みが魂の奥底でざわつき、その瞳からは熱意と言えるものが消えていた。

 眼帯の下の右目が隠された秘密を甘く囁くように、微かな光を湛えかけるのを、ウィリアナは手で押さえて「やめて……見せないで、やめて……」と呟く。


「ウィリアナ!」


 突然、ハイタの声が廊下を切り裂くように響いた。

 彼の軽薄な人間の仮面が、今日ばかりは瞳の奥に真の焦りを見せていた。

 ウィリアナの前に立ち塞がる姿は、まるで妹を止める兄のようで……その真の姿が影からちらりと覗くように見えた。

 ウィリアナは左目を丸くして立ち止まり、純粋な戸惑いが体を優しく震わせる。


「ハイタ殿……何か、御用で御座りますか?」


 ハイタは息を乱し、拳を握りしめて彼女に迫る。

 軽薄な口調が、真剣味を帯びて叫ぶその声はまるで人間そのもののようだ。


「こんなこと、馬鹿げてる! お前があんな決定、受け入れる必要はないんだ!

時間凍結処置なんて……生き埋めみたいなもんなんだぞ!?」


 彼の声が廊下に甘く響き、ウィリアナの胸を熱く刺す。

 彼女の黒い髪が微かに揺れ、眼帯の下の顔が純粋な悲しみに歪む。

 震える手がスカートの裾を握りしめ、汗が掌を優しく濡らす。


「それは……旧支配者殿としての意見で御座りましょう?」


 ウィリアナの言葉が、ハイタの体をびくりと震わせる。

 彼女の古めかしい口調が、涙を帯びて甘く零れ落ちる。

 ハイタの瞳がショックに揺れ、脆い死体の殻が、腐った血の気をさらに引かせた気がした。


「学長から聞きましたで御座ります、ハイタ殿の正体も……拙が、お父さんの本当の子じゃなくって

ラヴィニア=ウェイトリーと、あなた様のお父上、ヨグ=ソトースの混血である事……」


 ウィリアナは自身の震える手を見つめ、悲しそうな顔をする。

 細長い指が微かに震え、ドレスの下で黒紫の鱗が微かに擦れる肌を忌まわしそうに手を握る。

 彼女の体が、血統の呪いが触手のように絡みつく絶望に、優しく蝕まれる。


「ハイタ殿もお父上の事もそうだと言う気は御座りませぬ、しかし拙の血はどこまで行っても邪悪な狂った儀式によって生み出された神格災害の種……拙は汚れて、呪われて御座りまする……これで、良かったので御座りますよ」


 涙が左目から溢れ、頰を熱く伝う。

 彼女は涙を流しながら微笑む——その笑みが、無垢な魂を優しく嘲笑うように、ハイタの胸を甘く締め付ける。

 拳を握ったハイタの体が震え、ハイタは弱々しく返す。


「泣きながら言われても、説得力ねえよ……」


 彼の声は低く、その奥に妹と呼んだ責任が溶け込んでいる気がした。

 ウィリアナの涙がさらに溢れ、彼女はハイタを優しく見つめ唇を震わせて言い残す。


「せめてハイタ殿の、邪神としての顔も見てみたかったで御座りまする……」


 そう言い残して、ウィリアナは去っていく。

 黒い髪が優雅に揺れ、足音が廊下に寂しく響く。

 ハイタは立ち尽くし、拳を握りしめたまま……邪神たる魂の奥で熱く疼く感情に体を震わせていた。




 ダンウィッチの空は、灰色の雲が低く垂れ込め蒸気の霧が森の木々を優しく包み込むように漂っていた。

 築5年のアーミティッジ邸は針葉樹の影に隠れた古びた家屋で、壁に絡みつく蔦がまるで深淵の触手のように肌をぞわぞわと這うような不気味さを放っていた。

 ハイタとライラは、そこに立ち、ウィリアナの時間凍結処置前に彼女の望む品々を集めるという、言い方は悪いがお使いのような仕事を引き受けていた。

 ライラの金髪が風に優しく揺れ、色眼鏡の下の瞳が相変わらず虚空を睨む。

 ハイタは、邪神の本性が肌を優しく震わせる渇望を抑えきれない様子で、彼女の横に立つ。


「良いのかよ……」


 俯きがちのハイタの声が低くくぐもり、ライラはステッキを地面に突きハッキリと返す。


「要領を得ない質問は減点対象だぞ、ハイタ。」


「こっんな時にまで教授の顔はやめろよ!」


 ハイタはそう言いながら、ウィリアナの言葉——あの涙を流しながらの微笑みが……胸を熱く締め付けるように思い出され、黙り込んでしまう。

 彼女の純粋な絶望が、ハイタの魂を優しく蝕む。

 ライラは天を仰ぎ、深く息を吐く。


「私は、あまりにも無力だ……だが、何もしない理由になりはしないさ……」


 預かった鍵をドアに刺し、ライラは家に入る。

 開いた扉から漏れる埃っぽい空気が、肌を優しく撫でるように広がり、ハイタも後に続く。

 家の中は静寂に満ち、家具の影が無人の寂しさを思わせる。

 先に立ち入ったことでハイタからは表情の見えないライラが、ふと後ろのハイタに尋ねる。


「なぁハイタ、昨日の夜は驚かされたよ」


「あ? 何がだよ?」


 ライラは右手の人差し指をこめかみに当てる。


「ウィリアナが双子だったっていう話さ……ハイタ、いやハスター、お前自身も昨日の授業中聞いた時、違和感を抱いていただろ?」


 あの時のわずかな反応を言い当てられ、ハイタは気まずそうに頷く。

 ライラの言葉が、周囲に触手のように絡みつく気がした。


「つまり……ダンウィッチ・インシデントには、アーミティッジ教授が意図的に隠した未解明部分がある」


 ライラの出した結論に、ハイタはハッとする。

 瞳が深淵の闇を映し、体がびくりと反応する。

 ライラは振り返り、金髪が優雅に揺れる中、色眼鏡の下の目には諦めも絶望もなく、ただ鋭い決意が燃えていた。


「何が何でも探し出すぞ、ハスター!」


 その声が廊下に響き、二人は手分けして家探しを始めたのだった。



 アーミティッジ邸の内部は、良くも悪くも普通の家屋だった。

 埃っぽい空気が肌を優しく撫でるように広がり、木製の家具が静かに佇む中、しかし奇妙なのはベビーベッドがまだ残されていることだ。

 柔らかな布地が黄ばみ、幼い頃の記憶を甘く嘲笑うように揺れている。

 そもそもウィリアナはいつからアーミティッジ教授に預けられた子なのかが不明瞭で、彼がなぜ彼女を娘として育ててきたのかが謎だった。

 壁には赤ちゃんのウィリアナと教授が二人で撮った写真がいくつも飾られ、彼女の笑顔が、眼帯の下の純粋な瞳を映し出している。ライラはそれらを虚空の瞳で睨み、呟く。


「写真、少ないな……」


 その声が低く響き、体が微かに震える。

 ビヤーキーたちの探索するブンブンという羽音が蜂の群れのように虚空を震わせ、屋敷の上空にも長距離索敵用の2型ビヤーキーを配置している。

 そんな中、ハイタが一枚の古びた魔導書の紙片を、埃に埋もれた棚から引き抜く。

 彼の脆い指が震え、魔導書そのものが持つ魔力の残滓が邪神の本性を少しだけ疼かせる。


「教授、これだ!」


 ハイタの声が廊下に甘く響き、ライラの体がびくりと反応する。

 紙片には黒魔術の呪文が刻まれ、ヨグ=ソトースの喚起の儀式——時空の門を開く禁断の式が記されていた。


「精度が高い儀式図だ……これ、ネクロノミコン原文クラスの精度の映しか!?アーミティッジ教授が、寄りによってこれでヨグ=ソトースに知恵を求めていた……?」


 ライラの声が震え、汗に濡れた肌が熱くなる。

 不可視の稚児やウィリアナがヨグ=ソトースの邪悪な企みで生まれたのは、ライラも知っていることだ。

 あの血統の呪いが、触手のように家族を絡め取り、魂を甘く貪る絶望をライラは幻視しかけて首を横に振った。


「親父と、会話……アーミティッジ、あのアーミティッジが?……っは」


 ハイタは死体の脳髄にピカリと閃光が走るのを感じた、ウィリアナの言葉を思い出したのだ。


『ハイタ殿もお父上の事もそうだと言う気は御座りませぬ』


 閃いた、邪神のおぞましき触手が瞳が深淵の闇の中から閃光を拾い上げたのだ。


「何をする気だ?」


 ライラの質問は、ドタバタと騒ぐハイタの起こす音に気づいて発せられた。

 ハイタは唇を歪め、家中を探して見つけた手頃な棒を2本立てる——即席の塔のように、埃っぽい壁際に立てかける。


「親父を呼んでみるのさ、事件の当事者に聞くのは基本のキだろ?

ここにはせっかく電話番号になるアドレスが空間に残っている、親父なら即見分けて応答するはずだ。」


「喚起の魔術なら生贄を用意すれば良いだけか……いやまさかこれが塔のつもりか? 今日も曇りだぞ?」


 ライラの声が戸惑いを帯びるが、ハイタは説明しながら儀式を組み立てていく——魔術と宇宙的な霊子工学について、言葉が冒涜的な知識の触手のように絡みつき、魂を甘く刺激する。


「俺からかけるんだ、晴れてなきゃダメとか塔建てないとダメとかは人間が形式的に定めたルールで要は霊子の送受信環境を構築すること、だっ。

ヨグ=ソトースのような外なる神は、次元の門として霊子の流れを自在に繋ぐんだ、基地局みたいな仕事さ

ここに残る儀式の痕跡は、霊子のアドレスみたいに親父の座標を指してる。塔はただのアンテナで、俺の血が媒介になる!」


 ハイタの指が棒を調整し、汗が額を伝う中、未知の知識にライラの体が興奮に震えた。



 ……不恰好な儀式場だった。

 アーミティッジ邸の埃っぽい部屋は、即席の塔のように立てられた棒が2本そびえ立ち、魔導書の紙片が床に散らばる中簡単な電子回路のように並べられたガラクタと中央に横向きに置かれた包丁で構成されていた。

 埃が肌を優しく撫でるように舞い、窓から差し込む灰色の光がハイタの脆い体を熱く照らす。

 彼は指を口元に近づけ、邪神の本性が唇を歪め、鋭い牙で自らの指を噛みちぎる——黒く腐った血が噴き出し、甘く腐臭の混じる鉄の臭いが鼻をくすぐり、滴る雫が中央の包丁に当てがわれ、不明な文字列を床に書き入れる。

 血の感触が、肌を熱く震わせ、ハイタの体がびくりと反応する。

 一呼吸おくと、ハイタはハスターとしての邪悪な笑みを浮かべ、豪快な口調でライラに告げる。

 金髪が優雅に揺れ、瞳が深淵の闇を映す。


「教授、ちょっと借りるぞ。」


 その言葉が響くや、ハスターからライラの小指に細い触手が絡みつく——ねばつく感触が肌を優しく、しかし容赦なく這い上がり、魂を直接繋げられる感覚が、通常の人間ならその場で卒倒しそうな恍惚を呼び起こす。

 ライラの体がびくりと震え、頰を赤く染め、少し夜の顔を覗かせながら、文句を漏らす。


「んんっ……先に言えっ。」


 喉から零れる声が甘く震え、汗が首筋を熱く伝う。

 触手の感触が神経を優しく刺激するように魂を貪り、彼女の体を熱く疼かせる。

 構わずハスターは呪文を綴る、声が低く、威圧的に響く。


「邪悪の皇太子ハスターの名に於いて、ヴーアの無敵の印に代わり告げる!」


 屋敷周囲の空に暗雲が立ち込め始め、周囲の森からぎゃあぎゃあと夜鷹の声が鳴り響き始める——不気味な叫びが、肌をぞわぞわと這う触手のように、魂を優しく蝕む。

 ライラの周囲に黄緑色のオーラがたちのぼり、彼女の体がビクリと跳ね上がる。


「んぁっ……ぁっ」


 と、ライラの喉から漏れる喘ぎが、甘い吐息のように部屋を満たす。

 触手とは異なる手段で魂の一部を消費されている——あの極細の触手が神経に接続する感覚とは違い、魂の奥底を優しく、しかし激しく抉られるような疼きが、体を熱く駆け巡る。


「力を与えよ、力を与えよ、力を与えよ……!! バルザイユニット加工接続、次元転送コード検索、件数一番多いアドレスは、コイツか!」


 ハスターの声が豪快に響き、光は激しくなり、ライラは激しく全身を愛撫されるような恍惚に包まれて、歓喜の悲鳴をあげる——


「ぁぁっ……ふぁ、ぁぁあああっ!」


 と喉を震わせ、体がびくびくと痙攣し、汗に濡れた肌が熱く輝く。

 魂を貪られる快楽が、復讐の炎と混じり合い、深淵の渦を甘く、熱く広げていく。

 儀式の熱が、彼女の体を優しく溶かすように、絶頂の予感を呼び起こす……。


「出ろや親父ぃ!!」


「イっ………けなぃ……」


 ブルリと震えるが、完全に上り詰める前に光は治っていき、ライラは脱力して息を切らせながら残念そうに呆けた目をするのだった。


「はぁ……はぁ……つな、がったの?」


 儀式上の中央には、白い立ち鏡のような等身大の丸い空間の穴が開いていた。

 その先にいたのは……


『……ん?』


 椅子に座り、プラスチック状の器に守られたヌードルを口に運んでいる最中の、細身の黒いスーツ姿に緑色の粘液のような奇妙な髪をした男の姿だった。



 あまりに普遍的な男が出てきたため、ライラは熱に浮かされた頭のまま困惑する——儀式の余熱が体を優しく溶かすように、魂の奥底を甘く疼かせ、汗に濡れた肌が熱く輝く中、彼女の色眼鏡の下の瞳が虚空を揺らぐ。

 黄緑色のオーラの残滓が、触手のように神経を優しく刺激し、絶頂の予感を寸止めされた欲求不満が胸を熱く締め付ける。

 あの歓喜の悲鳴が喉に残る中、ライラの体がびくりと震え、息が乱れる。


「これは……何だ?」


 と呟く声が、甘い吐息のように部屋を満たす。

 そこにハスターが説明を加える。


「ウムル=アト=タウィル……眠りの底と目覚めの床の門番としてのヨグ=ソトースの化身だ、だがチャンネルがちゃんと合ってるか……あーわかりやすく言うと——」


 遮り、ヌードルを啜った男ーーウムルが言う細身の黒いスーツに緑色の粘液のような髪が奇妙に輝き、カップの中の汁をずずっといやらしく吸い上げる音が、肌をぞわぞわと這うように響く。


「世界線は合っているよ脆き体に囚われし哀れな息子よ、接続を感知して無数の私の中から『私』が合わせたんだ……ごくり

私が、『5年前のダンウィッチ・インシデントで召喚され、ラヴィニアとの間にウィリアナと不可視の稚児を儲けたヨグ=ソトース』に間違いない」


 言いながら、ウムルはカップの中の汁を啜り終えてテーブルに置き、両手を組んで懺悔するような構えを取るーーその姿が、深淵の門番として甘く嘲笑う。

 ライラの体が再び熱く震え、欲求不満の炎が復讐の渇望と混じり合い、汗が首筋を伝う。

 ハスターの触手が小指に残る感触が、甘い余韻を呼び起こす中、それを見た男の言葉が部屋に響く。


「質問に答えよう、『追加料金』は払わせるわけにはいかないからね」


 ウムルの視線が、膝をつき熱を帯びたライラを舐め回しいやらしく歪む。


「……っっ!!……っく、くそっ」


 ライラはゾグっ、と本能的な恍惚が頭から腰にかけて走る衝撃に腰を跳ねさせる、しかし彼女は必死に首を振ってその欲求を否定する。

 自分は、ハスターだけのものだと。


「あぁ、たしかにおまえら親子だな……っ」


 引き攣った笑顔で、ライラは納得するのだった。



 儀式の余熱が残る部屋で、ライラとハスターの瞳が揺れる。

 空間の穴から現れたウムル=アト=タウィルの言葉が、重く響く。

 ウムルの言葉が部屋を優しく、しかし容赦なく包み込むように響いていく。


「私は確かに無数のダンウィッチに、無数の双子を儲けた。それは君たちの考える『侵略の悪意』に他ならない」


二人はその告白に息を飲み、部屋の空気が一瞬凍りつく。

だが、ウムルの続く言葉は意外なものだった。


「だが、この世界に於いては事情が違う、そもそも私はこの世界に招来される気すらなかった」


 ライラの瞳が鋭く光り、気づきを口にする。


「駆逐戦争だな?」


「そう、盆栽やチェスのようなものだ。我々は運命や歴史に持ち主として干渉し、間違った枝を切ったり駒を失っても痛くも痒くもない、それが真理だ

だが、ここで切られた枝や駒が勝手に動き出し、よく切れる魔法というカミソリを持って持ち主に反抗してきたら、よほどの変わり者でもない限り盆栽やチェス盤に近づかない

……息子は変わり者だがね」


 ライラはハスターを睨むが、ハスターは両手を翻し変顔をして誤魔化す。


「追求しないでやってくれ、息子にも事情がある」


「逆効果になるからやめてくれ親父……本題にもどれ」


 ハスターの言葉に、ウムルは咳払いをする。「まず私は、このウムル=アト=タウィルという端末の状態で呼び出された……召喚したのはオールド=ウェイトリーだが、その背後には深淵を見返すものの存在があった。

 彼らはその目的のために邪神を強制的に人体へ堕とす方法を熟知している、私もそれに巻き込まれたわけだ、ダンウィッチという世界線越しの縁を利用されてな」


「自業自得だな」


 ライラの言葉に、ウムルは素直に頷いた。

 部屋の静寂が、二人の疑問をさらに深めていく。

 ウムルは懺悔の構えを保ちながら、ゆっくりと過去を回想するように語り始めた。

 その細身の黒いスーツが灰色の光に淡く映え、緑色の粘液のような髪が微かに揺れる様子は、深淵の門番として無感情に歴史を振り返るようだった。

 ライラとハスターは息を潜め、部屋の埃っぽい空気が重くのしかかる中、彼の言葉を待つ。


「深淵を見返すもの、連中の目的は単純明快だ 奴らは我々邪神の殺害を目的としている」


 ウムルの言葉に、ライラの瞳が大きく揺れた。

 敵の目的が自分と重なるという皮肉な現実が、彼女の胸を鋭く刺す。

 しかし、それは昨夜の彼らの言動を必然として証明する内容だった。


『邪神などと契約するなんて』


 という発言、見逃すように消えた集団。

 ライラは自身の目的に、心の中で疑問を抱き始める。

 ウムルは目を細め、過去の記憶を辿るように続けた。


「オールドの目的は他の世界線と同じ、私の完全降臨による次元融合とこの世界の支配のようだが、深淵を見返すもの達の技術に目が眩み、騙され、協力体制を築いている

しかし私はこの世界に関わる気がない、彼は焦り人間の状態である私とラヴィニアを独房に閉じ込めた

私は、ラヴィニアと共に深淵を見返すものたちが私を殺しに来る前に脱走し……アーミティッジ教授のもとに身を潜めた」


 説明を聞きながら、ライラは「んん?」と疑問を口にする。

 彼女の声が部屋に低く響き、ウムルの視線を引く。


「ラヴィニアを連れて……何故だ? お前にとっては駒の一つ、そう言っていただろう?」


 ウムルの咳払いが入る、その様子はどこか気まずそうだった。。

 空間の穴から映るその姿が、細身のスーツを微かに震わせ、緑色の髪が淡く揺れる。


「んっん……ここからは、少し言い訳をさせてもらおう」


唐突なウムルの発言に、ハスターは怪訝な顔をする。脆い体が僅かに傾き、瞳が深淵の闇を映す。


「親父が言い訳? なんの冗談だ……」


 ウムルは視線を逸らし、過去を振り返るように続ける。


「邪神の人化現象については知っているかね?」


 ハスターの隣で、ライラは少し考えて応える。色眼鏡の下の瞳が鋭く光り、ステッキを握る手が僅かに締まる。


「神格を人間体という物理的ハードウェアにインストールすることで、記憶量や思考回路によって感性が人間のそれに近くなる、カルト教団を建てる邪神シュブ=ニグラスの化身に見られたという現象のことか」


「それだ。有体に言うと私はそれを患っていた……いいや今もだ。故にこのチャンネルの私はあの頃からこの姿でいる、その方がウィリアナを育ててもらう際アーミティッジ教授との交信もしやすかったからね」


「要領を得ないな、はっきり言え」


 促すハスターに、ウムルはあさっての方向を向きながら答えた。声が低く、懺悔の構えを崩さず、淡々と過去を語る。


「私はラヴィニアを愛したのだよ、これはヨグ=ソトースとして初めてのことだった」


「「……は?」」


 ハスターとライラは同時に、気が抜けた声を出した。部屋の静寂が、二人の驚きを重く包み、ダンウィッチ・インシデントの闇がさらに深く明かされていくのだった。


 ハイタは次元の穴に身を乗り出して掴みかかろうとするが、蜃気楼のように届かないーー脆い体が虚空を切り裂くように伸ばされるが、指先が空を掻くだけだ。

 埃っぽい部屋の空気が重くのしかかり、ハスターの本性が瞳を鋭く光らせる。


「おい親父、変わり者と言ってくれたよな? 出てこい今すぐぶん殴ってやる」


 ハスターの声が低く唸るように響き、ウムルは空間の穴から映る椅子に座ったまま細身のスーツを微かに震わせて笑う。

 緑色の髪が淡く揺れ、無数の世界線を俯瞰する門番の瞳が穏やかに細まる。


「ハハハ息子よ、無謀なことはやめたまえ。拳は私の方が強いだろう?」


 和やかなのか険悪なのかわからない邪神親子のやり取りが、部屋の静寂を一瞬和らげる。

 ハスターは肩をすくめ脆い体を引くが、ウムルは悲しげに瞳を揺らし、声の調子を落とす。

 遠い記憶を辿るように、懺悔の構えを崩さず語り始める。


「それに、私はすでにその世界への自主的なアクセス権を失っている……こうなることが分かっていたからこそ、事情を話してウィリアナをアーミティッジ教授に預けたんだ

5年で成人に育つ赤子など、どうすればいいかわからんと彼は愚痴をこぼしていたがね」


 ウムルは辛い記憶を回想する——目を細め両手を組んだまま、過去の光景を淡々と振り返る様子は、深淵の門番として感情を抑え込んだようだ。

 ライラとハスターは息を潜め、部屋の灰色の光が彼らの影を長く伸ばす中、ウムルの言葉が続く。


「オールドに奪われ、怪物としての本性を覚醒させられた彼女の『弟』……オールドに洗脳され彼の強力な使役獣とされてしまった不可視の稚児ウィルバーは私に似て強力なハーフゴッドだ。私が隠れて介入する頃にはもうすでにアメリカ政府にもミスカトニック大学にも多大な被害を与えた後だった」


 ウムルの声が僅かに低くなり、回想の重みが部屋を満たす。


「私一人でどうにかするつもりだったが限界があった

ラヴィニアが私を身を挺して庇い、私は物理ボディの限界を超えて彼を封印し、こちらの次元へ帰還した

自主的な儀式による崩壊だったため息子のように本体へのダメージを負うことはなかったが

私はそちらへの物理的なアクセス権を失ってしまった……これが、ダンウィッチ・インシデントの真相だ」


 言葉が終わり、部屋の静寂が再び重くのしかかる。ライラの瞳が鋭く光り、ハスターの体が微かに震える。

 真相の闇が、二人の心にゆっくりと染み込んでいくのだった。

 空間の穴からウムルは深く俯き、懺悔の声を低くする。


「連中が再びウィリアナを狙い、アーミティッジ教授があんな方法で殺害されたと言うことは……恐らくウィルバーの封印も奴らの手によって破られたのだろう」


 ウムルはさらに絶望的な真実を吐く——


「ウィリアナが女として生まれたと言うことは、双子はらは私の心臓部とその世界を繋ぐ門と鍵でもある。奴らはオールドに『これでヨグ=ソトースの完全顕現が叶う』とでも嘯き、二人を交わらせて私の心臓をその世界に産み落とし、殺すだろう……その時次元は完全に崩壊してしまう、これだけは止めねばならない」


 冷たく重い沈黙が部屋を押しつぶそうとする……しかし、ハスターの呟きが部屋に優しい風を運ぶ。

 脆い体から漏れる声が、決意を帯びて低く響く。


「……ありがとう、親父」


 ウムルは顔を上げて困惑の表情を浮かべる。空間の穴から映るその瞳が、門番として珍しく揺らぐ。


「なんだ、罵倒でもするかと思ったが?」


「出来るかよ、あんたが言うように俺は変わり者だしその気持ちがわからないわけでもねえ」


 ハスターの視線が一瞬だけライラに……その向こうにうっすらと見える『羊飼い』の面影に向く。

 ライラの体が微かに震え、色眼鏡の下の瞳が虚空を睨む中、ハスターの、いやハイタの声は強く決意に満ちたものに変わる。


「それに助かった、一番聞きたかった事が聞けた。ウィリアナとウィルバーは邪悪な企みによって生まれたんじゃない、あんたとラヴィニアの愛の結晶だ」


 ハイタの言葉が部屋を優しく満たし、ウムルの瞳が微かに揺れる。

 ハイタは拳を握り、邪神の本性を覗かせながら続ける。


「ウィリアナの事は絶対に守る、ウィルバーはどう出来るかわからねえが、あんたにできて俺とライラにできない理由は無い……こっちには、『神殺しの切り札』がある」


 ウムルは沈黙ののちに、頭を下げる——門番の構えが僅かに崩れ、声が低く響く。


「拙い父の責任を押し付けてしまったな」


「知るかよ……これは、そう言う復讐譚だ」


 ハイタの言葉が、部屋の静寂を優しく破り、深淵の渦がさらに熱く広がっていくのだった。




 ミスカトニック大学の学生寮で、その光景を見つめるものがいた——

蒸気の霧が窓ガラスを優しく曇らせ、重い空気が部屋を包み込む中……ウィリアナ=アーミティッジは机に両手をつき、眼帯に隠された光る右目から止め処なく溢れる熱い涙を堪えきれず、体を震わせる。

 黒い髪が肩を優しく覆い、細長い耳が微かに震え、彼女の白い肌が汗に濡れて熱く輝くわね。

 深淵の闇から突然差し込んだ甘い光が、胸を熱く疼かせる。

 しかし、その喜びがハスターという邪神の兄がこの事実を探し出してくれた優しさと混じり合い、戸惑いが濁流となって体を駆け巡る。

 生きる価値の葛藤が、肌をぞわぞわと這う触手のように、彼女の神経を優しく、しかし容赦なく刺激するわね。


「むぎゅ……」


 ウィリアナはベッドに駆け寄り、体を投げ出すように倒れ込み、枕にしがみ付く。

 豊満な胸が息遣いに揺れ、黒紫の鱗が微かに覗く肌が、汗と涙に濡れて熱く輝く。

 枕を抱きしめる指が震え、純粋な感情の濁流が喉から溢れ出す。


「ぁぁ、あっ……ああっ、あああぁぁぁぁぁぁっ!!」


 喜びが胸を甘く膨らませ、兄の優しさが魂を優しく溶かすような温もりをもたらすのに戸惑いがそれを渦巻きのように掻き乱す。

 呪われた血統の絶望から、愛の結晶としての解放が、涙の熱を帯びてウィリアナの心をかき乱し、悲壮な決意を揺らがせる。


「ウムル父上ぇ……ハイタ殿ぉ……拙は、もうっ……難しすぎてわからないで御座りますよぉ……拙は、拙はっ……この世界に、生きてて良いの……?」


 我慢しきれなくなったウィリアナの大きな泣き声が学生寮の部屋に響く。

 古めかしい口調が震え、左目から溢れる涙が頰を熱く伝い、枕を濡らす。

 喜びが胸を甘く膨らませ、ハスターの探求がもたらした真実が魂を優しく包み込むのに、生きる価値の戸惑いがそれを濁流のように吹き出させる。

 呪いの影から愛の光へ移る葛藤が、体を熱く震わせ、純粋な魂を優しく溶かす感情の渦を巻き起こす。

 涙の熱が肌を伝う中、深淵の渦がさらに甘く広がっていくのだった。



 喚起魔術が効果を失い、空間の穴がノイズのようにぶれて消えていく——深く礼をするウムル=アト=タウィルの姿が、灰色の光に溶け込むように薄れ消えていき、部屋の埃っぽい空気のみが残響のように残される。

 ハスターは感慨深くその父の姿を見つめ、金髪が優しく揺れる中瞳の奥に深淵の余韻が甘く残る。

 ライラもしばらくその余韻に浸っていた——しかし、ライラはふと思いついたように壁際に立てた棒を「よっ、と」とへし折った。

 その突飛な破壊行動にハイタは「は?」と硬直する。

 ライラは構わずハイタが組み立てた回路をげしげしと蹴り捨てて儀式場を破壊していくーー棒の折れる音が部屋に鋭く響き、ガラクタが床に散らばる中、彼女の金髪が優雅に揺れ、色眼鏡の反射光が表情を隠す。

 ハイタは困惑し、生徒の顔を覗かせて抗議する。


「お、おいライラさん教授? これでも頑張って組み立てたんだから、もうちょっと手心ってもんをですね?」


 ライラは突然、ハイタの手を掴み、その場に押し倒す——脆い体が床に倒れ込み、ハイタは頭を打って「ぎゃん!?」と間抜けな悲鳴をあげた。

 埃が舞い上がり、部屋の空気が甘く淀む中……見上げるとライラはハスターの腰に跨り、彼の胸に手を置き、フー、フー、と獣のような吐息をハイタの顔にかけるような距離に近づいていた。

 彼女のタイトなミニスカートが捲れ上がり、押し付けられた慎ましやかな胸が息遣いに揺れ、汗が首筋を熱く伝う。

 欲求不満の熱が体を優しく溶かし、興奮した夜の顔が、濡れた瞳を甘く輝かせていた。


「あの、ライラさん?」


「まぁ、最近やたらと覗かれるから、コレくらいやんなきゃ気が済まないって言うか……」


 引き攣った笑顔でドン引くハイタに対し、ライラは完全に興奮し切った状態で、唇を歪めながら囁く。

 彼女の指がハイタの胸を優しくなぞり、熱い吐息が彼の肌を甘く刺激する。

 ハイタの体がびくりと反応し、脆い死体の殻が、邪神の本性を覗かせて熱く疼く。


「いやいやいや情緒! 情緒とかねえのお前人間のくせに! ここウィリアナとアーミティッジの家だぞ!?真っ昼間だし!!」


 ライラの瞳が不満げに揺れ、しかし欲求の炎がさらに熱く燃え上がる。

 彼女の体がハイタに密着し、腰が優しく擦れるように動き、汗に濡れた肌が彼の胸に触れる。


「うるっさい、寸止めされてこっちはすぐにでもやんなきゃ治りがつかないのよ! それに……今夜には、してる暇なさそうだし……嫌?」


 ライラの指がハイタの股間に優しく這わせられ、濡れた瞳で見上げられる——その視線が魂を甘く貪るように、ハイタの体を熱く震わせる。

 彼はつい反応し、脆い体がびくりと跳ね上がり、観念したように息を漏らす。


「……嫌じゃ、ないです」


 ライラの唇が満足げに歪み、夜の顔が完全に覗くのだった。



 アーミティッジ亭の外に、先の暗雲から降り注ぐ雨が降り出し始め、蒸気の霧と降り頻る雨の跳ね返しが窓の外の景色を白く遮る。

 傘を持ってき忘れたな、そう思うハイタは脱がされた彼の股間に顔を埋めるライラの頭をクシャりと撫でる。


「んん……はっ、ぴちゃ……んあぅぅ……んむ」


 獣のように彼の膨らみつつある彼の欲望を舐めて、しゃぶって、愛おしそうに頬を擦り付けるライラは、その手にも愛おしそうに手を添えて舌を這わせる。

 ピク、ピク、と刺激に汗が頬を伝い、仰向けのまま……されるがままのハイタは、惚けるように呟いた。


「どっちが食われてんのこれ……」


「はぁっ……うるさいなぁ、触手でするときも口に突っ込んできてるじゃない?

それにぃ、私はあなたの糧なんでしょう? なら、こうして理性を削って獣に身を窶すのも……んはっ、ある意味食われてると言えなくもないわ……違う?」


 ハイタは眉を顰めるが、実際そうだ。

 彼女の獣性が、性的欲求に忠実になればなるほどその魂は大きく揺らぎ、その皆既日食のコロナのような揺らぎをハスターは吸収している。

 上質な魂のブレが、彼の胃を満たしていくのがわかる。


「昨日は揺らがせるために、あんなこと言って……邪神らしくしようとしてんのに、不器用なんだよ……ぴちゃ、んむ」


「……すまねえな、ああ言う方法しか知らん」


 ライラは体を持ち上げて、膝立ちになるとコートを脱ぎ捨て、ブラウスのホックを外していき、スカートのチャックを下ろしていく……

 パサ、パサ、と布が擦れ、落ちていく静かな音を雨が覆い隠し、背徳的なBGMとして耳をくすぐる。

 確かにコレは絶景かもしれない、と見上げるハイタは思った。


「まったくもう、お前は本当に……どっちかわからなくなったな」


 ハイタもまた状態を起こし、上半身を露わにしたライラの白い肌に顔を埋め、スゥ、とその香りを堪能する。


「んんっ……私は変わらないわよ、復讐者であり、貴方だけの蜂蜜酒……」


「成程、芳醇だな」


 ライラはハイタのシャツもプチプチと脱がせていき、脆くも逞しい胸を愛おしそうに撫でる。

 そこには、昨日4型から振り落とされた時の傷跡が未だ残り薄らと血を流していた。

 それもまた、ライラとの行為によって目に見える速度で修復していくのが見える。

 ライラはその様子が見ていてとても愛おしく感じ、その傷が治っていく道筋を舐め上げていく。


「ん、ん、んっ……」


 ライラの手が自らの秘部に触れる、止め処なく溢れる蜜がクチュりと音を立てて自らの興奮を受け入れろと言わんばかりに彼女の手を濡らす。

 ハイタの身を抱くライラは、興奮に息を荒げ肩を揺らす……汗が肌を濡らし、外から降り注ぐ灰色の光を反射してハイタの眼を楽しませる。

 ハイタもまたライラを抱き返し、その丸く震える尻に手を置く。

 グッと力を手に込めながら、ハイタは……ハスターは囁いた。


「ライラ、俺もお前が好きだよ」


「ぇっ……ん、んぁああっ!?」


 ライラの腰がハイタの手で強制的に落とされ、繋がった身体が深く、深く彼女の肉をかき分ける。

 ビクビクと腰から震えるライラは、眼を強く瞑って溢れる快楽を抑えるように口を抑えるが、その手をハイタはどかして唇を重ねる。


「んんっ、あっ!ふっ……んん、んぅっ……ちゅ……はぁっ、私も、好きぃ……好きだよ、はすたぁっ……!」


 唇を重ねながら突き上げる刺激に、ライラは身を委ねて舌を絡める。

 お互いの欲望と、狂気と、魂と、愛が、雨音の中で激しく混ざり合う……

 やがて、二人の感情は絶頂の波と共に最高潮に達する。


「ぐぅ、ぅっ」


「イッ……くぅ……っっ……!!」


 ビクビクと震えた二人は、脱力して……繋がったままの互いの体を撫で合う。


「だから、俺はお前も……はぁっ、お前のことも、守りたいんだ……お前が俺を殺す、その時まで」


「ふぅっ……ぅっ……ハスター、ハスター……私だけの、邪神……っ、いつか殺す……

けど、愛してる……」


 それは矛盾した契約を再確認し合うような儀式で、しかし彼女の胎の底には……決意と復讐の炎がその肉欲を内包して熱く燃え上がる。

 憎しみだけじゃない、悲しみだけでもない、奇妙な熱を抱えたまま……雨が上がるまで二人は繋がり続けた……。




 アーカム市の何処かの倉庫と思しき電灯に照らされた広大な空間——薄暗い蛍光灯が明滅し影が踊る中、何かがのたうち回る音と衝撃が床を震わせる。

 同時に……


「あ゛あ……ぁぁあ、あああ!!!ああああ!!」


 少年の苦しみ喘ぐ悲痛な叫びのような、それにしては大きく響き獣の咆哮のような嬌声が響き渡る。

 その声は、魂の奥底を優しく抉られるような、甘い絶望を呼び起こす——体を熱く震わせ、汗が首筋を伝うような悍ましさを持っていた。

 黒いローブに身を包んだ集団が呪文を唱えかけながらイブン=グハジの粉をかけ続ける。

 白い粉末が空気に溶け、肌を優しく刺激するような異臭を放ち、肉の焼ける音が甘く鼻をくすぐる。

 中央では、のたうち回る丸く柔らかい肉塊に複数の人間の手足を無理やり繋げたような異形の怪物と、黒紫の長い髪をした少年の姿がブレるように交互に入れ替わり、それが尽きかけた蛍光灯の明滅のように現れたり消えたりしている。

 異形の体がびくりと痙攣し、肉の裂ける音が部屋を優しく満たし、少年の肌が汗に濡れ、黒紫の髪が乱れる様は悍ましくも美しい。


 倉庫の2階から、それを満足げに見下ろす黒い外套に身を包んだ老人に、ローブの男が話しかける。


「いやぁ不可視の稚児の『異体定着』は順調のようですね、ウェイトリー老?」


 老人の目は常に焦点を定めず、終わらない狂気に苛まれながらこの世への憎しみを抱き続ける狂人のそれで、皺だらけの肌が歪む。

 老人は不満げに鼻を鳴らす——その音が部屋に低く響き、肌をぞわぞわと這うような不快さを呼び起こす。


 「不完全な召喚による不完全な血の定着があの子の姿を二つに分けたのだ……だが、好都合か、交合の際ウィリアナが裂けでもしたら困るか」


 その目は、深淵の底から這い上がるような狂気を湛え世界全てを憎むかのような憎悪を放つ。

 ローブの男は机に広げた地図を指さし——どうやって手に入れたのか、ミスカトニック大学内部の魔術で隠された部分も含めた詳細な地図が、灰色の光に照らされる。


「決行は今夜……不可視の稚児の神力でミスカトニックの結界城壁を意味崩壊させた上で突破し、時空閉鎖隔房へ一直線に向かいます」


 男の声が低く響き、ローブに隠された口が裂けるようにニタリと弧を描く


「世界の守護者の城を、冒涜的な交合の儀式場に染め上げてやりましょう

ウェイトリー老とワタクシの力でね……?」




Case2 第3部 Fin

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