いつか君に好きって歌えたら
なし
第1話 出会った日の話
四月、新年度が始まって数週間が過ぎたある日。大抵の学校ではもう授業が始まっていて、そして午後四時。学生なら急いで学校から帰ってたり部活に勤しんでたり、そんな時刻。
だけど私がいるのは自室。世間では引きこもり、とか言われるうちの一人が自分だ。
別に勉強が嫌いなわけでもないけれど、なんとなくそんな気分になれず動画サイトを開いてベッドに仰向けで寝転ぶ。見たい動画も特になく、なんとなく一番上にあった動画を再生。無駄に時間が過ぎていくとわかっていても、それ以外の何かをする気が起きない。
そんな日々を繰り返してもう一年が過ぎていた。
ピンポーン。
聞こえたインターホンの音にスマホを閉じ、重い体を起こす。特に宅配便が来るなんて話はなかったはずだけどな。少し乱れた服と髪を整えながらインターホンのモニターに目をやる。そこに映ったのは、私と同じ学校の制服を着た女の子だった。
まっすぐな長髪に可憐な顔立ち。スクールバッグを前に持つ姿は、まるでお嬢様。
頭の中を探しても、そんな知り合いはいない。じゃあ無視して追い返そうか。いやいや、せっかく来てくれたのに知らない人というだけで追い出すのも忍びないし。数拍悩んだ結果、とりあえず話だけでも聞いてみようと、玄関に向かう。
ドアを開けると、私を見た彼女が姿勢を正して一礼。それを見て、少し遅れて会釈を返す。
頭を上げた彼女は私にしっかりと目を合わせて話し出した。
「初めまして。同じクラスになった
橘さんはかわいらしい、聞きやすい声で丁寧に喋る。私と正反対な、見るからにしっかりして、クラスの中心を担うタイプ。正直苦手なタイプだ。
そんな悪い考えを振り切るためにと、彼女から渡されたプリントの方に目をやる。重要そうなものはないみたいだ。
「ごめんなさい、プリントのためだけにわざわざ来てもらっちゃって……」
「そんな、気にしないで。同じ方向だし、私が行きますって言って来たんだから」
「……そうなんだ」
そんな何気ないやり取りの中で、私はちょっとした違和感を覚える。
何故か、とても見られている気がする。変なのがついてる……なんてさっき確認したからないはずだし。
わたしをちらちらとみる彼女は、まるで好きなぬいぐるみを見つけた子供のような、そんな目をしていた。それがちょっと不気味にすら見えた。
「
そんなことを一瞬考えている間に、橘さんは一歩近づいて、満面の笑みを浮かべていた。
そんなもの見せられても、私が心を開くなんて限らないのに。
きっとこの人は誰かと仲良くなるのを惜しまない。やっぱり、苦手なタイプだ。こういうクラスの中心人物みたいなタイプは。
私の第一印象は、橘さんの性格とは反対に、ネガティブな気持ちの方が大きかった。
◇
それから毎週、橘さんはプリントを渡しに来るようになった。それだけだと寂しいと思ったのか、雑談も添えて。
まぁ雑談と言っても、玄関先でだから大した話はしてないし、できないんだけど。
何回か話してみてわかったのは、彼女が人の心に入るのがとても上手い、ということだった。
「最近クラスで何が流行ってて」、とか「今週は係決めをしたんだよ!」とか、そんな他愛もないことを話しているだけなのに、それすら楽しそうに聞こえてくる。
気づいたら心を開いているようなそんな気もして、でもやっぱり警戒心は解ききれずにいた。
「そういえば葵ちゃんってなんで……学校に行ってないの? 保健室登校ってわけでもないみたいだし」
「それは……」
向こうとしても聞きにくい事をわかっていてか、そわそわとしながら聞いてきた。聞かれることを覚悟していなかったわけじゃないけれど、とはいえ簡単に言えるような話でもない。ましてやまだ知り合ってひと月も経っていないクラスメイトになんて。
そうやって答えに悩む姿は、申し訳なさを感じたらしい。
「あ、別に言いたくないなら大丈夫だよ。無理に聞いちゃってごめんね」
「ううん、大丈夫」
力なく吐いた言葉は、だんだんと尻すぼみになっていく。大丈夫なんて、ただの方便だ。いっそこのまま過去を吐き出せば楽になるのかな。
いや、無理だ。だって悪いのは私なのに、なんで私ばかり幸せになろうとしているんだ。それに、信用できない目の前のクラスメイトに、過去を言って何になる。
心が黒い考えでぐるぐると乱されて、満たされていく。
そのまま私は声を出す気力すらなくなって、うずくまる。大丈夫だよって、気にしてないよって、そう見せないといけないのに。
橘さんは、慌てた顔でそんな私の背中をゆっくりとさすった。気を遣わせるつもりなんてなかったのに。こんな私じゃ、だめなのに。
しばらく深呼吸をしていたら、少し気持ちが落ち着いた。橘さんに顔を向けるつもりになれなくて、夕空へと顔を向ける。気づいたらずいぶん長い時間ぼんやりしていた気がする。
私が落ち着いたのを悟った橘さんも同じことを思ったようで、スカートの土埃を払って帰る準備をしていた。それすらとても淑やかに見えて、思わず釘付けになる。とはいえこうさせてしまったのは私のせいで。
帰宅の準備が終わった橘さんを見送るために、私も立ち上がる。
玄関から橘さんを見送りながらも、頭の中はさっき聞かれたことでいっぱいだった。
別に、答えのない質問じゃない。あくまであった過去の出来事を喋る、それだけ。それだけの事なのに、足枷が付けられているように重い。
自分にとっては重要な話だったとしても、きっと向こうからしたら大した話じゃない。帰ってきた言葉が何であろうと、何か行動を起こしてくれるわけじゃない。だからずるいなぁ、なんて思ってしまう。それが僻んだ考えなのは自覚してるから、絶対言えないけど。
ちょうどいい温度の春風が外から流れてきて、私は改めて橘さんの方を向く。挨拶を済ませてあとは帰るだけのはずなのに。何か言い忘れたことを思い出したように振り返って、私と目が合った。
「葵ちゃん。あなたが学校に行けるように、私にお手伝いをさせてよ!」
私の僻んだ考えは、あまりにも無責任だという怒りも生み出す。でもそれ以上にまっすぐな目が、明るさとまじめさを両方感じる声が。怒りの感情より沢山の嬉しさに似た感情を生み出した。
でも、なんで。
「なんで、私なんかに」
「それはね、葵ちゃんの事が好きだからだよ」
私のぽつりと出た本音に一瞬きょとんとした顔をしたあと、橘さんは恥ずかしいようなにやけているような。そんな顔で答えた。
ここまで答えになっていない回答を聞かされると、戸惑いというより呆気に取られてしまうらしい。何も考えられなくなって、思わず吹き出しそうになってしまった。
「変なの」
目線を彼女から背けながら、そっけなく返す。
万が一にも私を好きになってくれる人なんて、いるはずがない。でも、あそこまで自信満々に言われてしまったら出まかせでも信じたくなってしまう。
友達なんて要らない。その考えで固めた壁が、ちょっとずつ溶け始めているのが自分でも少し分かった。
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