雪解けを君と。

藍沢みや

第1話

「僕が消えたら、何人の人が気がつくんだろう」

 


 彼の呟きが、白い形となって、夜空に溶けた。

「どうしたの?急に」

「ん〜、なんとなく?」

 夜中の雪道とだけあって、人通りが全くない。一足先に歩く、彼の靴跡をなぞるように歩く。

 雪を踏む柔らかい音と、手元に下げたビニール袋の音だけが響く。

「誰もいないなぁ」

「こんな雪の夜に、外に出たがる人なんて、裕太くらいだよ」

 あはは、と鼻を真っ赤にした彼が振り返った。

「ありがとな、付き合ってくれて」

「……雪が止んでたからね」

「降ってても、付き合ってくれたろ?」

 得意げな表情に、苦笑いが漏れた。図星だったからだ。

 彼に追いついて、並んで帰り道を歩く。

「僕さ、雪が好きなんだ」

 唐突に彼が言う。

「雪だるま作れるし、雪合戦できるから?」

「違…っ!……くないけど!」

 彼は少し恥ずかしそうに、口をもごもごさせてから、口をすぼめた。

「確かに、遊べるのも醍醐味だけど」

「冗談だよ。それで?」

 彼が寒そうに手に息を吐きかけ、擦り合わせる。

「雪の日の夜って、静かで、優しいくて……気持ちが落ち着くんだ。それに、ほら」

 彼が赤くて、冷たそうな指先を夜空に向けた。

「空の色が、綺麗に見える」

 彼につられて首を持ち上げると、空には、雲と星屑が蒔かれていた。

「この星一つひとつに、名前があるけどさ、その一つひとつ見分けるなんて俺にはできないから」

「……嗚呼」

 合点がいった。

「それで、自分が消えたらって考えたの?」

 彼が笑った。彼は笑うと、少し目尻と眉が下がる。

 彼が寒そうにくしゃみをした。

「裕太」

 黒のチェックのマフラーを外し、彼の首元に巻く。

「え!いいよ、お前寒いだろ?」

「……俺は、気づくよ」

「え?」

「裕太は流れ星だからね」

 彼が目を丸くした。

「だって、裕太じっとできないでしょ?」

「お、お前〜〜!」

「痛っ」

 裕太が怒ったように、胸元を叩いた。

「僕は一等星だからな!」

「はいはい」

 静かな銀世界に、二人の笑い声が降り注ぐ。

「あ!」

 彼が公園に向かって駆け出した。彼の目線の先には、大の字で誰かが寝転んだであろう跡が、幾つか残されていた。

「なぁ、見ろよ!これ、めっちゃ楽しそうじゃん!」

 輝く瞳が向けられた。嫌な予感がする。

「僕らもやろう!」

 手を引っ張られ、公園に入ると、先程の道とは違って雪が深く積もっていた。

「え、やだよ。寒い」

「えぇ〜〜」

 駄々をこねる子供のように、彼がその場で足踏みした。

「成人男性がする行為じゃないよ、それ」

「お願い!一回だけ!」

「俺が押しに弱いって知っててやってるでしょ……」

「うん!」

 溜息が漏れたのは、全く悪びれない彼に対してと、彼に甘い己自身にだ。

「仕方ないなぁ」

「おりゃ!」

「うわっ」

 突然、飛びかかった彼に驚いて、そのまま後ろに倒れた。

 雪に飛び込んだ経験がなかったため、痛みを覚悟したが、雪の布団は柔らかかった。

 雪が直に触れる部分が冷たい。

裕太が隣で仰向けになり、満足げに笑っている。

「雪って、音を吸収するんだって。本当かな?」

 そう言って、裕太が勢いよく立ち上がり、もう一度雪に飛び込んだ。

 「めっちゃ楽しい!」

 無邪気な笑顔が向けられた。瞳が、あの星屑たちのように輝いているのを見て、自然と言葉が零れた。



「……好きだよ」



「ん?なんて?」

 裕太が首を傾げた。

「ははっ」

 彼が不思議そうな表情を浮かべる。

「本当だな」

「な!やってよかったろ?」

 子供みたいに笑う彼を見て、胸が少し、ほんの少しだけ、切なくなった。

 この雪たちが、俺の恋心も吸って溶けてしまえばいいのに。

「どした?」

 心配そうな表情で、顔を覗き込まれた。

「寒い」

「あ……だよな!お前のマフラー、僕が取ったから」

 慌てて外そうとする彼の手を掴む。

「いいよ」

 起き上がり、彼の頭や服に付いた雪を払いおとす。

「ほら、帰ろう。家帰ってコタツでアイス、食べるんでしょ?」

「あ!アイス忘れてた!溶ける!」

「ぶふっ」

 吹き出すと、彼はきょとんと目を丸くした。

「溶けないよ。こんなに寒いのに」

「う、うるさい!」

 恥ずかしかったらしく、威嚇するかのように声をあげた。

 なかなか笑いがおさまらず、堪えるように笑っているが、このままでは腹筋が攣りそうだ。

「帰るぞ!」

 手を掴んで引っ張られた。

彼の手は、氷のように冷たくなっているのに、心は温かくなったように感じた。

「ふっ」

「まだ笑うか!」

 今のは、嬉しくて笑ったんだけど、それは教えてやらない。



やっぱりいいや。俺のこの気持ちを雪に吸わせるのは、もう少し先で。

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雪解けを君と。 藍沢みや @myachi

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