第16話 探偵事務所の夜

──妖怪探偵事務所──




「んっ、ん〜〜〜⋯⋯っ!」



 持っていたペンを置き、椅子に座ったまま思いっきり伸びをする白髪金眼の少女。



 妖怪探偵事務所のリーダーである鵺は、ようやく処理すべき仕事を片付け終わり、自室に戻ることができそうだった。



「はぁ、雫がいてくれたらもっと楽だったんだけどなぁ⋯⋯」



 確かに、彼女の同僚であり親友でもある碧雫がこの場にいたならば、鵺がこんな遅くまで書類とにらめっこをする必要はなかっただろう。


 しかし、それ以上に鵺はただ雫に会いたかった。



「⋯⋯はぁ〜⋯⋯」



 疲れからか寂しさからか、深いため息をついた瞬間、音を立てて部屋の扉が開いた。



「鵺?どう、仕事終わりそう?」



 扉をくぐるように身をかがめて入ってきたのは、可愛らしいパジャマを着たジェイソンだった。



「ちょうど終わったとこ、ジェイソンこそまだ筋トレしてたの?」


「あはは!なんか今日は昂っちゃってさ。今鍛えればさらにジェイソンに近づけると思ったんだよね!!」


「⋯⋯それはいいけど⋯⋯」



 鵺は髪から水滴を滴らせるジェイソンを一瞥すると、再度ため息をついた。



「──お風呂入った後はちゃんとドライヤーかけてって、いつも言ってるよね?」


「⋯⋯あ〜⋯⋯それは⋯⋯もちろん」


「⋯⋯⋯⋯」



⋯⋯ジェイソンといい雫といい、どうしてうちの女性陣はドライヤーをかけないのだろう。


 そんな調子で綺麗な髪質を維持できていることが、鵺には不思議だった。



 雫は言えばやってくれるのだが、ジェイソンの方は面倒に感じているのか、特にドライヤーをかけたがらない。



「やったげるから、もう一回洗面所行こ」


「え゛⋯⋯い、いいよ。鵺も疲れてるだろうし」


「はいはい、行くよ」


「え〜⋯⋯や〜だぁ〜⋯⋯ジェイソンはドライヤーなんかかけないよぉ⋯⋯」


「文句言わない」




──────────────────




「おー⋯⋯サラサラする。鵺、ありがとね〜」


「⋯⋯ん」


「⋯⋯でもやっぱり、ジェイソンの髪はサラサラしないと思うんだけど⋯⋯」


「髪質の保護もそうだけど、乾かさないと風邪引いちゃうかもしれないでしょ?」


「いやジェイソンは風邪引いたりしないよ」


「⋯⋯あっそ」



⋯⋯彼女の言うジェイソンは有名なホラー映画に出てくる殺人鬼で、当然コードネームの由来でもある。



 小さい頃に見たホラー映画のキャラクターに心を奪われ、それへの変身願望で能力を発現させた『後天的能力者』


⋯⋯それが、今目の前で髪を弄っているジェイソンだった。



──能力は一言で言えば『不死身』


 しかし詳しい効果は、彼女が抱くジェイソンというキャラクターへのイメージによって変化するので当てにならなかったりもする。


 なんにせよ、自身がジェイソンを不死身と信じる限り、彼女が死ぬことはないのだ。



『後天的能力者』故なのか、法外な力だった。



⋯⋯まぁ、ジェイソンというキャラクターへの執着にさえ目を瞑れば、明るくて優しいお姉さんだ。



 当然鵺はジェイソンのことが大好きだし、大切に思っていた。



「じゃあ寝よっか。ごめんねジェイソン、今日も一緒に寝てもらっちゃって」


「いいよいいよ、大切な『護衛』だし?」



 申し訳なさそうに謝る鵺にジェイソンはからかうように答える。



「⋯⋯はぁ、やっぱりそろそろ神威に抗議しなきゃな⋯⋯」


「変に刺激しない方がいいと思うけど⋯⋯あれ私が引き受けなかったら普通に本人が同衾してたと思うよ」



 鵺が今こうしてジェイソンと寝ているのには深刻な理由がある。


 というのも、神威が『護衛』をつけることを定期的に提唱するのだ。


 そのため、鵺は基本的に夜一人で寝ることができない。


 神威が事務所にいない日を除いて、毎夜雫かジェイソンが『護衛』として同じベッドに入っていた。



「いや、流石に神威もそこまでは⋯⋯」


「「⋯⋯⋯⋯」」


「⋯⋯⋯⋯寝よっか」



 なんだか怖くなってしまい、二人でベッドに潜り込む。



「⋯⋯ジェイソン、今日の訓練はどうだった?初日だったけど、大丈夫だった?」



 既に眠気は限界だったが、これだけはどうしても聞いておかなければならなかった。


 鵺は今日一日仕事に埋もれていたため机を離れられられなかったが、もし暇があったなら間違いなくジェイソンの様子を見に行っていただろう。



⋯⋯幹部の中で、ジェイソンが一番気をつけなければならない人物なのだ。



「んー?うん!めっちゃ楽しかったよ!!」


「⋯⋯⋯⋯そっか」



⋯⋯ものすごく不安⋯⋯



「アカネ君ほんっとに最高でさー!私もテンション上がっちゃったよ!!今日でよりジェイソンに近づいた気がする!!」


「⋯⋯⋯⋯」



 鵺の不安は留まるところを知らず、この時点で既に、次会った時はアカネに優しくしようとすら決意していた。



「──あぁ、でも」


「⋯⋯?どうかしたの?」



 興奮したように喋っていたジェイソンが突如神妙な表情を浮かべる。



「──あの子さ、なんかトラウマ持ってたりするかも」


「え⋯⋯?」


「⋯⋯あの子、戦闘中は悲鳴を上げないように我慢してたんだ」



 ジェイソンは思い出すように遠くを見つめながらも続ける。



「それだけじゃなくて、怪我とか痛みによる反射的な反応ですら抑えようとしてた。これって普通じゃないよ」


「⋯⋯」



 鵺は、アカネが海蜘蛛と戦った時のことを思い出していた。


 確かに彼は、戦闘中ダメージを負っても決して悲鳴を上げなかったのだ。


⋯⋯まぁ、終わってからは叫びまくりだったが。



 その事もあってか、ジェイソンの言葉は嫌な重みを帯びているように感じられてしまう。



「⋯⋯⋯⋯そう、なんだ⋯⋯」



「──まぁ、私が傷つけまくってすぐ我慢する余裕なんて無くなってたけどね。最後の方とかめっちゃ叫んでたよ!」


「⋯⋯⋯⋯」



⋯⋯トラウマを一日で塗り替えてる⋯⋯




──────────────────




──ただ、確かめたかっただけだ。



「ははは!見ろよこいつ、ダッセー!」



⋯⋯五月蝿い。



「ちょっと男子!やめなさいよ!」



⋯⋯五月蝿い⋯⋯っ



「あぁ?うるせーよ女のくせに!」



⋯⋯五月蝿い⋯⋯!



「──暴力じゃ何も解決できないのよ!!」



⋯⋯⋯⋯本当か?



「なんだとこいつ!」



本当に、暴力では何事も解決できないのか?



「なによっ!!」



⋯⋯⋯⋯分かった、確かめてみよう。



──ガタッ



「⋯⋯え?なんだお前?さっきまで席で寝てたくせに⋯⋯」


「⋯⋯え?なに?あんた、急に近づいてきて何のつもり──」


「──」



──目の前の女を殴った瞬間、僕の求めていた静寂が訪れた事をよく覚えている。



「⋯⋯は?⋯⋯はぁ!?な、なんっ⋯⋯お前なんなんだ──」



──もう一人いたか。



「⋯⋯」



⋯⋯二人殴った。



「⋯⋯⋯⋯あぁ」



⋯⋯⋯⋯それだけで、こんなに静かだ。



「──なんだ、全然解決できるじゃないか」




──────────────────




「──よお、悪夢でも見たか?」


「⋯⋯っ⋯⋯まぁ、ちょっとな」



 懐かしい夢で目が覚めたついでに、水を飲もうと階段を降りた神威は、既に下でコップを手にしていたクロックに声をかけられた。



「お前も悪夢とか見るんだな、意外だよ」


「⋯⋯⋯⋯クラスメイトを二人殴り倒す夢だった」


「相手にとっての悪夢」



⋯⋯夢というより、完全に過去の記憶そのものなのだが、神威はそれを告げることはしなかった。



「⋯⋯お前は?何してる?」


「ん?あぁ俺か」



 クロックはポケットからスマホを取り出す。



「サラリーマン時代の癖でな。メールを確認するために、二時間に一回くらいのペースで目が覚めるんだ」


「悪夢の方がマシだな」



 普段は常識人のように振舞っているが、クロックは相当ヤバい奴であるということを神威は知っていた。



「ん」


「あぁ」



 クロックが手渡してくれた水を一息に飲み干すと、思考が明瞭になっていくのを感じる。



「⋯⋯ふぅ⋯⋯」



「⋯⋯如月さんはどうだった?」


「⋯⋯?」



 様子を窺うようにしていた隣のクロックが、コップを呷りながらぽつりと告げた。



「どうも何も無い。雑魚だ」



──如月響きさらぎひびき



 高校生という若さにも関わらず傭兵として活動している少女。



 この大地において、傭兵の仕事は二種類に分けられる。


 人間を相手にするか、海蜘蛛を相手にするかだ。



 特別な事情が無い限りはどちらの仕事も受けるのが大半だが、しかし如月響は海蜘蛛を専門とする傭兵だった。



 今までにもこちらが仕事を依頼する形で面識はあったが、鵺のしつこい勧誘が功を奏し、この度正式な所属となった。



「⋯⋯如月さんは強いだろ。傭兵として申し分ない実力を持ってる」


「でも僕には勝てない」


「⋯⋯お前なぁ⋯⋯」



 呆れた様子のクロックには目もくれず、今日の訓練を思い起こす。



 結局、訓練中ヒビキが攻撃を当てることは叶わなかった。


 思い起こしているうちに、段々と苛立ちが身体を伝っていくのを感じる。



「⋯⋯神威?」


「──お前に似てるよ」



 不穏な空気を察したクロックがフォローを入れるより早く、神威は言い放った。



「如月響とお前は似てる。どちらも自らの能力にビビってるだけの臆病者だ」


「⋯⋯⋯⋯」



 クロックは一瞬驚いた表情を見せたが、しかし何も反論しなかった。


 そんな様子に、苛立ちが増していく。



「なぁ、なんでそんな生き方で死にたくならないんだ?自らの実力に見て見ぬふりを決め込むことに何の意味がある?」



──確かめたいとは思わないのか?



「お前らと比べたらジェイソンの方が百倍マシだ。あいつは自らの才能に対して責任と探究心を持っている」


「⋯⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯⋯」



二人の間に重苦しい沈黙が落ちる。



「⋯⋯ほら、水を飲め」



 しかしそれも長くは続かず、クロックは淀みない動作で再度水を注ぐと神威に差し出した。


 神威の方もそれ以上は言葉を続けず、先程と同じく一息で飲み干す。



 神威のヒステリックはさして珍しいことでは無い。


⋯⋯だが何度経験しても、毎回このまま殺されるのではと思わせる程の凄みがあった。



 発言自体も怒りに任せている訳ではなく、的確に他者の嫌がる部分に触れてくるため始末が悪い。


 事実、クロックは結局反論ができなかった。



「⋯⋯⋯⋯お前の方はどうだった?」



 黙り込んでしまったクロックを見兼ねてか、水を飲んで頭が冷えたのか、神威が話題を変えるように口を開く。



「あぁ、橘さんか」


「──違う」


「は?」


「分かるだろ?魔神の方だよ」



 神威の纏う空気が再度張り詰める。



「もし不審な動きを見せたら躊躇なく殺せ」



「⋯⋯残念だけど、俺一人じゃもうヴィクトリアには勝てない。今日で確信した、アレは俺より強い」



 今日一日の訓練で、ヴィクトリアの強さは骨身に染みた。


 戦って分かったのは、ヴィクトリアには武術の心得があるということくらいだった。



⋯⋯それも達人並の熟練度で。


 魔神という在り方に慣れていないが故のアンバランスさを突くことでなんとか勝利は収めたが、こんなのはすぐに通用しなくなるだろう。



「何を言ってる?正面からやり合う必要は無い」


「⋯⋯なんだと?」


「あいつは致命的な弱点を抱えてるだろ。そこを狙えばお前でも──」



「──馬鹿なことを言うな」



 飲み干したコップをテーブルに置く音が強く響く。



「いい加減にしろ神威。魔神を警戒するのは仕方ないにしても、契約者である橘さんまで明確に敵視するのはやりすぎだ」


「⋯⋯クロック、僕はリスク管理の話をしてるんだ。あの魔神は普通じゃない」


「俺には、少女を殺すことに躊躇が無いお前の方が危険に思えるがな」


「あの魔神の方がずっと危険さ。ガキを一人殺すだけであのリスクを排除できるなら、僕は迷わずやる」



⋯⋯きっと、本気で言っている。



「⋯⋯はぁ、一体どうしたんだ神威。そこまで魔神を毛嫌いしている訳でも無かっただろ」


「⋯⋯⋯⋯」



 クロックの知る限り、神威には特に魔神に関わる類の因縁は無かったはずだ。


 ここまで執着するのは異常に感じる。



「⋯⋯⋯⋯あの魔神は⋯⋯『強い』」


「⋯⋯⋯⋯は?」



 苦々しく呟いた神威の言葉に、クロックは思わず呆けた声を上げてしまった。



──神威が他者を『強い』と評価した⋯⋯?



⋯⋯こんな性格だが、神威は他者を褒められない訳では無い。


 自分以外を等しく見下してこそいるが、それは自分が優れているからというのが前提にあり、他者が持つ才能は決して否定しないのだ。



 しかし、定義の方法が『強弱』になった場合、神威は絶対に他者を認めない。


⋯⋯なぜなら、神威は今までの人生で一度も敗北したことがない⋯⋯らしいから⋯⋯



 しかしだからこそ、神威がヴィクトリアを『強い』と評価したのは驚くべきことだった。



「⋯⋯神、威⋯⋯」


「⋯⋯できないんだ⋯⋯」



 そして、神威が自らのプライドをねじ曲げてまで懸念を露わにする理由など一つしかない。



「──あいつと本気で戦うことになれば、僕は鵺を守りきる保証ができない⋯⋯ッ」


「⋯⋯」



⋯⋯今は同じ建物で生活しているし、短いとも言えない時間を共に過ごしてきたが、神威のこんな姿を見るのは初めてだった。



──ヴィクトリアには、神威が本気で警戒するだけの実力がある。



 その事実に、漠然とした恐怖が形を成していく。



「⋯⋯だからこそ、殺せる機会は逃したくない。分かってくれ」


「⋯⋯」



⋯⋯しかしここで納得するというのは、橘ナギサを殺す事と同義である。


 未来ある若者の命が大人の勝手な都合で潰えることなど、クロックには許し難い事だった。



「⋯⋯大丈夫だ。神威」


「⋯⋯は?」



⋯⋯神威の提唱した懸念には、ずっと省かれている人物が一人いる。



「──結局、あの魔神を御せる奴がいればその問題は解決する、違うか?」


「⋯⋯はっ?え?は⋯⋯?」


「打ち倒すのと制御するのとでは必要な技術も根本的に違う。それに、魔神っていうのは制御できるメカニズムになってるんだ」


「⋯⋯待て、クロック待て。お前水分が足りてないんじゃないか?水飲め、水」


「そして今、ちょうど制御できる立場にいる人間は俺たちに友好的だ。能力も申し分ない」



「⋯⋯ふざ⋯⋯っ!ふざけるなよクロック⋯⋯!僕の話を聞いてなかったのか⋯⋯ッ!?そもそもあんな平和ボケした女に何ができるん──」


「──そう!そこだ!」


「はァ!?」



 額に青筋を浮かべ、今にも爆発してしまいそうな神威に臆することなくクロックは続ける。


 先程までとは一転し、今は完全にクロックが会話の主導権を握っていた。



「橘ナギサの経歴は至って平凡。当然魔力や魔神についても知らなかったし、能力者でもない」


「だから何だ!?この状況においてそれは不安要素でしかない!僕の葛藤を返せよ⋯⋯ッ!?」



「──そんな一般人が魔神と契約したにも関わらず、橘さんはこの一週間これまで通りの生活を送ってるんだよ」


「⋯⋯⋯⋯なに?」



 荒ぶっていた神威が落ち着きを取り戻す。


 しかし未だ鋭い眼光を向けてきているため、ここからの発言も油断はできない。



「⋯⋯学校にも無遅刻無欠席。体調不良も面接の日の一回きりだ⋯⋯」


「⋯⋯」


「そもそも橘さんがヴィクトリアと契約したのは登校中のことらしい」


「イカれてんのか⋯⋯」



 神威はげんなりと吐き捨てる。



「魔神と契約した一般人が日常を失うことは珍しくない。魔神なんてのは総じて非日常だからな」


「⋯⋯」


「そんな中でも今までの生活を手放さず、むしろ魔神に対して友好的に接し制御し続けている。それが橘ナギサという少女なんだ」


「⋯⋯何が言いたい?」



「⋯⋯別に?ただまぁ⋯⋯魔神ばっかに気をとられてると──」



 話は終わったとばかりにクロックが階段の方へと歩を進める。



「──契約者の方に足元掬われちまうかもってな」


「⋯⋯ッ」


「おやすみ、神威」



 そのままクロックの姿が見えなくなるまで、神威はその場から動けなかった。


⋯⋯神威には今の状況が呑み込めなかったのだ。



「⋯⋯⋯⋯あいつ、マジでふざけるなよ⋯⋯ッ」



⋯⋯あれだけ長尺で喋っておきながら、あれだけもったいぶっておきながら──



「──弟子に愛着湧いてるだけじゃねぇかッ!!?!」

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