俺と彼女とあいつとあの子の正四面体関係
平手武蔵
「涙が出るほどうまいだろ?」
こいつももう飽きたな。まな板の上に横たわるマグロみたいな彼女を抱き、俺が考えるのは別の女のこと。かぐわしい気品を醸すあの子のことだった。
あの子は今、あいつと付き合っている。ただ、つけ入るすきがないわけじゃない。俺は知ってる。あいつが俺の彼女を密かに抱きたがってるってことを。
俺と彼女は、ねっとりひとつになった。いいよ。すごくいいんだけど、ここにいるのがあの子だったら。そう願わずにはいられなかった。
俺は職場であいつにある計画を持ち掛けた。あいつにもメリットがあるし、俺とあいつは親友だ。断るはずがない。
その計画とはこうだ。Wデートと称して俺は彼女を、あいつはあの子を旅行に誘い、ささいなきっかけでわざと溝を作る。傷ついたあの子に俺は近づき、あいつもまた俺の彼女に近づく。親身に相談に乗るふりをして、既成事実さえ作ってしまえばスワッピングの完成だ。
あいつは一瞬、自分の彼女であるあの子を思い浮かべるかのように押し黙ったが、すぐに欲望にまみれた共犯者になることを決心した。
計画は実行に移された。俺の描いていたとおり、完璧な流れだった。
すべてが終わった翌朝、コテージのテーブルで俺たち四人が顔を合わせた。気まずい沈黙の中、誰も昨日のことを口にはしない。ただ、俺の隣にはあの子が立ち、あいつの隣には俺の彼女が座っていた。
◆
「大将、鉄火巻きちょうだい」
「あいよ」
カウンターの端で、俺は目の前の鉄火巻きをつまんだ。
「大将。いいもんですよね、寿司ってのは」
「そりゃどうも」
「俺が俺だとするじゃないすか。で、こいつが俺の女のマグロ」
俺は鉄火巻きの断面を指でなぞる。大将は手を止めず、ちらりとこちらに視線をよこした。
「最初は刺身で食べてるだけで満足だった。極上のマグロでしたからね。でも、飽きがきちまった。どうしても、香り高いシャリが恋しくなっちまったんですよ」
「ほう」
「で、俺の親友が海苔。そいつ、俺のマグロをずっと欲しそうにしててね。だから、ちょっと巻き方を変えてもらったのさ。今じゃ、合意の上でうまいこともやってる。完璧な四角関係ですよ」
得意げに言うと、それまで黙っていた大将が、ぴたりと手を止めた。
「そいつぁ傑作だな。面白い話を聞かせてもらった礼に、とっておきを食わせてやるよ」
大将はそう言うと、マグロの赤身を切りつけ、慣れた手つきで一貫の握りを差し出した。サービスだというそれに、俺はためらわずに口へと放り込んだ。
次の瞬間、脳天を灼くような衝撃が走った。
常軌を逸した量のわさび。シャリとネタの間に仕込まれたそれが、俺の思考をすべて吹き飛ばす。あえぎ、せき込み、涙と鼻水をたれ流すだけの機械と化した俺に、大将は静かにこう言った。
「うまい寿司ってのはな、いつだって絶妙なバランスで成り立ってんだ。シャリの甘みと酸味、ネタの旨み、醤油の塩気。それに忘れちゃいけねぇわさびの辛みだ。どれか一つが強すぎても弱すぎても、味はすぐに崩れちまう」
大将はそこで言葉を切ると、ひとつ息を吐いた。
「兄ちゃんたちの関係だってそうだろ。平面の四角みたいに簡単なもんじゃねえ。四つの点で支えなきゃ立ってられねぇ立体、正四面体関係ってやつだよ」
頬を熱く伝うものがあった。それは俺が生まれて初めて流した、本当の涙だったのかもしれない。
了
俺と彼女とあいつとあの子の正四面体関係 平手武蔵 @takezoh
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