「……この婚約は決定事項なのでしょうか?」

「私の婚約者だと名乗る女性がいます。どういうことか説明してください」


 いつぶりかも忘れるほど久々に父親に話しかけた。その時の言葉がさっきの言葉だった。

 別に俺の家は由緒正しい貴族の家じゃない。父親は普通の町民だったし、母親も商家の出の一般人だ。


 それでもその二人の肩にかかった「剣聖」と「賢者」の肩書が、俺の家の格式を無駄に上げていた。無駄に、だ。

 こんな堅苦しい話し方、絶対に家関係以外ではしない。


「お前とスピリッツ家のご令嬢との婚約を打診して了解を得た。まだ書面に残しているわけではないから正式な婚約者ではないが、近いうちにそうなるだろう」

「私は何も聞いていませんが」

「正式に決まってから伝えようと思っていた。スピリッツ家のご令嬢の転入もその後だと思っていたが……存外向こうが乗り気だったのだろう。多少順番が前後してしまったが、そういうことだ」


 すらっとした長身に、よく見ると鍛え上げられた体。自身の家の中だというのに傍らに剣を置いたままなのは、剣聖であることの矜持か何かだろうか。

 黒い髪に黒い瞳。ぱっと見の印象は正直普通の、そこらの街にいる男の人だ。出身はただの町民なのだからそれも当然というべきか。


 それでも、神から愛されたかのような圧倒的な剣の才能を発揮して「剣聖」の座に収まったのが俺の父親だった。


「……この婚約は決定事項なのでしょうか?」

「まだ正式な書面を交わしてはいないが……既にご令嬢が転入してきているのに断ることは難しいだろう」

「……そうですか」


 それだけ聞ければ満足だ。元より俺はこの婚約に対してどうのこうの言うつもりもない。俺が何を言ったところで通らないだろうし。そもそも来年にはこの家を出て行っている予定なのだ。

 婚約者と言えど、正式に籍を入れるのは成人してからだ。その頃には俺はこの家の人間じゃなくなってる。その後この家がどうなろうが俺のあずかり知らないところだ。どうだっていい。


 フレイア嬢だって親が勝手に決めた婚約者だなんて願い下げだろう。それまで通っていた学校から転入するのだって嫌だったに違いない。

 俺がフレイア嬢と仲良くする気が無いことを本人に伝えていけば、向こうも俺との婚約なんて無かったことにしてくれと言うかもしれない。


「何かあるのか?」

「いえ、特に。それでは失礼します」


 そう言って一度頭を下げると、俺は重苦しい雰囲気の父親の書斎から出て行った。

 ……相変わらず苦手な雰囲気だ。小さな頃は別にそうでもなかったのに。何を考えているか全くわからない人だ。……まあ、ろくに喋ったこともないのだから当然と言えば当然だが。






 フレイア・スピリッツという人間は、一言で言えば「天才」だった。転入したばかりで学習範囲が違う講義でもしっかりと理解し、身体能力はこの国で人気のルミナ・チェイスという球技の指定強化選手に選ばれるほどだ。魔法を利用したこの球技の選手ということは、それだけ魔法の腕も確かだということで。

 少し強気で刺々しい面が見られるものの人当たりは悪くなく、転入してから僅かの間に教室の中心人物になっていた。


 教室の中では日がな一日隅でぼうっと過ごしていたり、気が乗らない授業には出ずに適当に校舎の目立たないところでサボっている俺みたいな人間とは正反対と言ってもいい。

 俺が教室の中の人間と会話をしたのなんて、片手で数えられるほどしかない。それも事務的な会話で、私的な会話はした覚えが全くなかった。


 そんなんだから俺は自分からフレイア嬢に話しかけたりすることはなかったし、近付いたりすることもなかった。

 「天才」っていうのを見ていると、自分のこれまでの生きてきた軌跡を思い出してそこはかとなくムカつくのだ。別にフレイア嬢が悪いわけじゃないし、こんな感情に理屈なんていうものはあるはずもない。


 フレイア嬢を見ているとただ何となくムカつく。完全に俺だけが悪いこの感情の持って行き場が無かった、というのも、フレイア嬢に話しかけたり近付いたりしなかった理由の一つだろう。

 ただ、俺からは近づかなかったり話かけなかったりしても、向こうからはその限りではない。


「ディッカ! また授業をサボるの!?」

「……お前には関係ないだろ」

「関係大有りよ! あんた私の婚約者だって自覚ないわけ!?」

「……」


 つまらない授業を抜け出そうとすると、そう言って連れ戻される。元々そこまで口数の多い人間じゃない俺が、気の強いフレイア嬢に口で勝てるわけもない。


「本気で体動かしなさいよ!」

「……本気で動かしてこれなんだが」

「嘘! まだまだ余力があるのなんて見ればわかるんだから! 下手な嘘つかないでよね!」

「……」


 基礎体術の授業中、適度に手を抜いて楽をしようとしていたらフレイア嬢に見抜かれて付き合わされた。

 久々に体が悲鳴を上げるほど本気で動くはめになった。


「ディッカ! 課題は終わったの!?」

「ディッカ! 進路は提出したの!?」

「ディッカ!」「ディッカ!」「ディッカ――!」


「だぁあああ! うるさい! お前は俺の母親か!」


 ディッカ、ディッカとフレイア嬢が俺のあれこれに口を出しまくる日々。

 最初は何も言わずに堪えていた俺だったが、あまりの口うるささにとうとう大声を上げてしまった。


 いつも通りに教室の隅でぼうっとしていたその時に。またいつものごとくフレイア嬢が俺に口うるさくあれやこれやと指摘をしてきて。

 ただでさえ最近その指摘の多さにうんざりしていたのに、その日は少し寝不足でイライラしていたというのが重なって。


「いちいちいちいちうるさい! 子供じゃねぇんだ、言われなくたってやることはやるに決まってるだろ! しょうもねぇことを喚きたてるな!」


 そこまで叫んだところでハッとする。

 こんな教室の中で、大勢の目がある場所でフレイア嬢に対して声を上げる。良いところのお嬢様に公衆の面前で恥をかかせるなんて、上流階級の人間からしたらご法度だ。


 自分の評判なんて心底どうでもいいと思っている俺がフレイア嬢に声を上げられているのと、その才能をいかんなく発揮して多くの人から慕われているようなフレイア嬢に恥をかかせるのとでは全く違う。

 前提条件が違うのだから、俺がフレイア嬢に日常的に小言を言われたり声を上げられたりしているからと言って、俺がフレイア嬢に同じことをしていいわけではないのだ。


「申し訳――」

「あんた、やっと私の目を見てくれたわね。何を言ってもどこを見てるかわからなかったあんたの目が、今初めて私を向いてくれた」


 これまで勉強で叩きこまれてきた貴族に対する謝罪をしようとしたところで、フレイア嬢のそんな言葉で俺の謝罪は遮られた。

 フレイア嬢に何を言われたか理解ができない。思考に僅かな空白ができて、思わずフレイア嬢を見つめてしまう。


「せっかく婚約者なんだから、お互いの目を見て話しましょうよ。それくらいお願いしてもいいでしょう? ディッカ」

「……今までもさんざん俺にあれこれ言ってきただろうが」

「……あら? そうだったかしら。まあ、改めてこれからよろしくね、ディッカ!」


 まっすぐ俺の目を見て、にこやかに笑うフレイア嬢。

 思えばこの瞬間だったのかもしれない。俺がフレイア・スピリッツという人間に一生勝てないと思ってしまったのは――

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