本当は気付いてる
「……は?」
毘天の話を聞いた忉利の表情は一気に硬くなる。
怪訝そうな顔を浮かべて、まるで睨んでいるかのように見つめて来る忉利に毘天は困ったように笑いかけた。
「何だ、それ……嘘だろ?」
「ハッキリとそう言われた訳じゃないし、あの時の俺は小さかったからそんなこと気付きもしなかった。でも今は分かる。最近あの時の事、良く夢に見るんだ。父さんの友人だったおじさんが、俺に水を飲むように言って渡してきた竹筒と、飲んだ後のおじさんの顔。それに意識が遠のく時に聞こえたおじさんの謝罪の言葉……。今考えれば毒殺した上で追放されたと考える方がしっくりくる」
淡々と語る毘天に対し、苛立ったように忉利はその場に立ち上がった。
驚いて見上げると、忉利は拳を固く握りしめて怖い表情をしてこちらを見下ろしている。
「そんな事、許されるのかよ!? だってあの頃の俺らの歳ってまだ9つだろ? そんな子供を毒殺しようとするなんてどうかしてる!!」
「はは……ほんと、そうだよな」
毘天は乾いた笑いを浮かべて、視線を僅かに逸らす。それを見た忉利はカッとなり、怒る相手が違うと分かっていても抑えきれない衝動から毘天の着物の衿繰りを両手で掴んだ。
「そうだよなって……。笑いごとか? お前、ムカつかないのかよ!?」
「そりゃ……まぁ」
思わず言葉を濁してしまう。
毘天のはっきりしない物言いに、忉利の顔が歪む。
「……でも俺はさ、死なずに今ここで生きてるんだ」
「じゃあ、許すってのかよ」
腹が立って仕方がないと思うほど強い思いを持つ以前に、当時の毘天は幼すぎた。幼さもあり怒り心頭するほどの感情がそれほど強くは湧かない。何よりも、怒りと言う感情に制御をかけているのが自分自身が犯した「親殺し」だと言うのは言うまでもない。
もし、あの時両親を他の人が手にかけていたら話は違っただろう。だが、両親を手にかけたのが自分となればなおの事、毒殺を図られたとしても仕方が無いとさえ思う。腹の底にふつふつとあるもどかしさがない訳じゃない。何より、その怒りの矛先をどこへ向けていいのかも分からなかった。だから、諦めた。
「俺は、許すとか以前にそんな感情がどうでもよくなってる」
「何で……」
「だってさ、お前もさっき言ってたけど俺、あの時9つだぜ? 怒りを感じるとかより何が起きたのかが分からないと思う方が普通じゃないか? それにもう何の怒りもないまま一年半も経って、今更、だろ?」
いくら友人とは言え、自分が両親を殺してしまったと言う事実を言えずにいた。これを言ってしまったら、忉利も羅闍も本当に離れて行ってしまうような気がしたから。
毘天の言葉を聞いた忉利は、それ以上何も言えず体の力を抜いてその場に座り直した。
「じゃあ、お前が毒を盛られたって事はお前の両親も同じように毒を盛られてって事だよな?」
「……分からない」
毘天は視線を下げて首を横に振った。
理由を知っているがどうしても言えない。何でも明け透けに言えるほど、忉利は自分にとって気の置けない友人と言うには、知り合ってまだ日が浅すぎる。羅闍と忉利はもっと小さい頃から友人同士だったようだが、自分は知り合ってまだそこまでの仲ではないのだ。
「それにしたって、ひでぇ話だよ」
「……そう思ってくれるのか?」
「当たり前だろ! お前は俺の友達なんだから!」
「そっか……。そうだよな、うん。ありがとう」
「とにかくまた様子見に来るから、困ったことがあったら何でも言えよ?」
息まく忉利に、毘天は苦笑いを浮かべながら頷き返した。
「なかなかこっちに来れないんじゃなかったのか?」
「親父を言い包める」
「何だそれ」
毘天が笑うと、忉利も一緒に笑って笑い出す。
この時は、忉利は自分の為に笑い、怒り、共に悩んでくれる頼れる友人だと……そう思っていた。しかし、それは日を追うごとに毘天の中で少しずつ壊れていくガラス細工のような儚さを秘めたものだった。
怒りを感じても、すぐに消えると思っていた。
だから力比べの時に暴走したあの力も、あの時以来出てないのだからもう大丈夫。
……そう、高を括ってしまっていた。
「毘天。君はもう退院して、帰宅できるよ」
近い内にそう言われる事は分かっていた。紗詩の父が最後の薬を紙に包んだものを毘天に差し出してそう言った。
毘天は黙ったままそれを受け取り、ちらりと彼を見上げる。
「どうしても、ですか?」
「元気になったんだ。いつまでもこんな辛気臭い場所にいちゃ、また体調がおかしくなるかもしれないだろ?」
「……それでもいいです」
毘天は力なく肩を落として視線を下げ、そう呟く。すると紗詩の父はポンと肩に手を置いてきた。
「毘天。どうしたんだ? 退院、嬉しくないのか?」
「……そうですね……」
どこか拗ねたようにそう言ってそっぽを向くと、紗詩の父は困ったように笑う。そして毘天がこんなにも帰宅を渋るには何か理由があるのだろうと言う事を、言わずもがな感じていた。
「毘天」
紗詩の父は毘天の肩に手を置いたままベッドの横に腰をかけると、顔を覗き込んでくる。
「もしかして、どこにも行くところがないのか?」
「……」
毘天は顔を横に背けたまま黙り込むと、父は察したようにふぅっとため息を吐いた。
「……そうか。そう言う事か」
紗詩の父は腕を組みしばし悩むように腕を組んでいたが、ぽんと膝を叩く。そしてベッドから降り、毘天の前に回り込むと彼の手を握り締めた。
「よし、毘天。じゃあお前は今日からうちに来るといい。その調子じゃ診療所への支払いも難しいんだろう? 残念ながら、診療所は俺が経営しているわけじゃないから支払いを免除してやることは出来ないが、うちで下働きをしながら少しずつ金を返せばいい。何より仕事を手伝ってくれるんなら飯も寝る場所も提供する。どうだ? 悪い条件じゃないだろう?」
「え、でも……」
「うちは嫁さんに先立たれてしまって、紗詩に苦労ばかりかけてしまっているからな。君が紗詩を手伝ってくれればあの子も楽になるだろうし、俺も助かる。家事手伝いと薬草採取、あと簡単な薬の調合は教えるから、手が空いた時に足りない分を作ってくれればいい。それから時々で構わないから、薬を取りに来た患者に受け渡しをしてもらえたらいいんだが……」
「……本当に、良いんですか?」
毘天が驚いたように目を見開き、背けていた顔を振り返ると紗詩の父は「男に二言は無い」と笑って頷き返した。
「気にするな。君の事は長い間診て来たんだ。今更だろう?」
「あ、ありがとうございます!」
まさかの思いもよらない助け舟に、毘天は断る理由などなかった。何より紗詩の傍にいられると言う思いの方が勝り二つ返事で父の申し出に頭を下げた。
毘天は、退院をしてからすぐ紗詩の家に居候させてもらうことになった。その話を聞いた紗詩も最初は驚いた顔をしていたが、毘天を喜んで迎え入れてくれた。
初めて入る父子の家は決して広い訳ではないが、それでも狭いながらも自室を与えられ、毘天は今自分がいても良い場所にいられることの喜びを噛み締める。
このまま厳かに、二人の為にここで生きて行こう。間違っても過去のような力を使うことなく二人の為に……紗詩の為に。そしてやがては紗詩と……。
そんな思いが頭の中を駆け巡った。
忉利と出会った瞬間の紗詩の様子を思い出せばどうしても心がざわついてしまうが、それもいずれ時間が経てば忘れてしまうだろう。彼女の傍で献身的に今度は自分が支えれば、紗詩もきっと自分に振り向いてくれるに違いない。
毘天は心のどこかでそう高を括っていた。だが、その考えが甘い事にすぐに気付く事になる。
「……」
紗詩の家に来て数日経ったこの日、毘天は父が教えてくれた傷薬の調合を任され薬草を混ぜたすり鉢で細かく砕いている間、ふと少し離れた場所に座って薬の仕分けをし、棚に収めている紗詩に視線を向ける。すると彼女は時折手を止めてぼんやりとしている事が度々見受けられた。
「紗詩?」
「え?」
「手、止まってる……」
「え? あ、ほんとだ」
そう指摘すれば、彼女は我に返り慌てて手を動かし始めるのだが、それもまたすぐに止まってしまう。
棚に2、3個薬を置いてはため息を吐いてぼんやりする。それが何度も何度も繰り返されている事に、毘天は首を傾げた。
「紗詩……具合が悪いのか?」
「え? 何?」
「だから、具合が悪いんじゃないかって……」
「具合? あぁ、そうね……うん、大丈夫よ」
会話の応答も聞いているのかいないのか、ぼんやりとした生返事ばかりが帰って来る。
悠久の孤月 陰東 紅祢 @Aomami
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