審議

「あの子は一族の中でも類を見ないほど力の能力値が異常に高い子だった。生まれながらにな。だから、いつかこうなるであろうことは分かっていた」


 寒空の下、中央広場で村の重役を任されている大人たちが焚火を囲み、難しい顔を突き合わせていた。

 目の前でゆらゆらと揺れる焚火の火を見つめ、たっぷりとした白いひげを蓄えた一人の老人が呟く。その表情はとても暗く酷く落胆しているかのような、はたまた憔悴しているような顔をしていた。彼を中心に焚火を取り囲むのは二人の男と一人の女だった。皆、神妙な面持ちで老人を見つめている。

 

「長。あの子は……毘天ひてんは一体これからどうすれば……」


 長と呼ばれた老人に一人の男性が詰め寄ると、長はチラリと彼を見やりすぐに視線を下げて低く唸った。思いつめるように瞳を閉じ、しばしの沈黙が彼らの上に重くのしかかる。やがてゆっくりと目を開いた長は、伏せ目がちに焚火を見つめながらおもむろに口を開いた。


「……持て余すほどの強大な力はいずれにせよ害になる。いくら我らが武の一族であるとはいえ、あれほどの強さはあってはならぬ事だ。そもそも我々の力は人を傷つける為にあるのではない。弱き者たちを護り救うためにある。そして武の一族から選ばれた者のみ神の眷属になる事が許され、神の為にその力を使うのが通り。もうすでにあの子は自ら自分の両親を手にかけてしまった。毘天は……可哀想だがここに置いておくわけにはいかん」

「しかし、あの子はまだ9つですよ? まだ制御出来るかもしれません。村の子供達も15までに力の制御を覚えます、見限るには早すぎるのでは……」


 長の意見に反発するように初老の女性がそう言うと、長は力なくゆるゆると首を横に振る。


「あの子の力は村の子供達以上……いや、ともすれば我ら大人をも上回るだけの力がすでにある。村の子供達とあの子とでは天と地ほどの差があるのは明らかだ。他の子供たちが時間をかけながらも制御できるのは、自分の能力に見合った力だからだ。大の大人さえも上回るものを、一体どうやって幼子が制御できると?」

「それは……」

「どうあっても自己制御できるようなものではあるまい。本人にとってはほんの僅かな加減だったとしても暴走し、暴走すれば本人はおろか、誰も止めることは敵わない。あの子の両親がそうだっただろう? 発動した力を制御しきれぬと察知し、身体を張って止めようとしたがダメだった。この先に待っているのは……破滅だ」

「……」


 重々しい長の言葉に、それ以上誰も反論する者はなかった。


「あの子は今どうしている?」


 長がそう訊ねると、男の一人が顔を上げ口を開いた。


「毘天は自宅にいます」

「食事は摂れているのか?」

「いえ……とてもそれどころでは……」


 男性がそう答えると、長は「そうか」と呟き、一呼吸おいてから着物の懐に手を差し入れて小さな白い包み紙を差し出した。長はその包み紙を見つめ一瞬苦し気に眉を寄せて深いため息を吐き、それを男に差し出した。

 包み紙を見た男性は驚いたように目を見開き、視線を上げて長を見つめ返す。


「長……これはもしや……」

「これを水に混ぜて、あの子に飲ませなさい」

「……!?」

「下手に刺激をすれば、あの子はまた力を暴発させさらに被害を出すことになるだろう。そうさせない為にも、これを使う他ない」


 男は震える手で包み紙を受け取り、下唇を噛み締めて顔を伏せる。その男性と同じく、その場にいる全員が辛そうな表情を浮かべて視線を下げていた。


「我らにとっても辛い判断だ。赦せとは言わん。だが、有り余る能力はどのような道に進もうともいずれ破滅しか呼ばぬのだ。これ以上あの子が苦しまない為にも、今手を下すしかない……」


 長もまた顔を伏せ、膝の上に置いていた手を血が滲むほどに強く強く握りしめていた。







 暗い部屋の片隅で膝を抱えて蹲っていた毘天は、いつまでも止まらない涙に暮れていた。

 両手に握り締めていたのは、母が身に着けていた耳飾りと父が身に着けていた指輪だった。自らの手で殺めてしまった両親の形見を手にしたまま涙に濡れているのは、あまりに矛盾しているのかもしれない。それでもまだ毘天は齢9つの幼子だ。昨日まで当たり前のようにこの家のこの場所で家族3人仲良く食事をして、温かい家庭があった。しかしそれが突然消えてしまった。しかもそれを自分の手で打ち消してしまったなどと、どうして泣かずにいられるだろうか。


「……父さん、母さん……ごめんなさい……」


 毘天は何度も同じ言葉だけを繰り返し繰り返し呟いていた。


『毘天。明日は待ちに待ったお祭りだ。今年はお前も出られるぞ』


 がっしりとした大きな手で嬉しそうに笑いながら頭を撫でてくれた父がいた。

 去年まで、毘天はすぐに体を壊して寝込んでしまうほど体の弱い子だった。家から出る事もままならず、ほぼ家にいた毘天だったが今年は体調が良く少しなら外で遊ぶ事も出来るようになっていた。


 窓から外を眺めている時に出会った、毘天の一族とは別の男の子の子供二人が頻繁に毘天を訪ねてくれていたのは、両親にとっても毘天本人にとっても嬉しい出来事だ。


『俺も、力比べ出ても良い?』

『そうね。でも無理をしたらダメよ』


 優しい笑みを浮かべる母の言葉に、毘天は嬉しそうに頷き返す。


 そんな温かいやりとりは、夢だったのだろうか? つい昨日の事だ。昨日、この場でその話をしたばかりだ。

 力比べなんか出なければ良かった。そうしたら今も傍に両親はいたにちがいなかったのに……。


 毘天はぎゅっと拳を握り締めて溢れ出る涙をすでにびっしょりと濡れた袖口に押し当てて、声を殺して涙する。


「毘天……いるかい?」


 その時、家の玄関に下げていた御簾が持ち上がり、外の光が暗い部屋の中に入り込んでくる。思わずビクッと体を震わせて顔を上げると、そこには父の友人だった男性が顔を覗かせていた。


「おじ、さん……?」

「そんなに泣いて……可哀想に。声も枯れてしまっているじゃないか」

「だ、だっ、て……。俺が、俺が悪いんだ。俺が力比べに出たいなんて言ったから……だから……っ!」


 ぐにゃりと表情を歪めて、今まで堪えていた物が涙とともに溢れ出し止まらなくなる。男性はそんな毘天をそっと抱きしめて、優しく背中を撫でた。しかし、撫でる手とは裏腹にその表情はとても硬い。


「毘天、あれから何も食べてないだろう? 食べるものを持ってきたんだ。いるかい?」


 男は懐から握り飯の包みを取り出して毘天に差し出すが、彼は首を横に振って食事をする事を拒んだ。


「じゃあ……せめて水は飲んだ方が良い。喉が渇いただろう? ご飯を食べられなくても水は飲みなさい」


 そう言うと今度は竹筒に入った水を取り出した。毘天は自分を気遣う男に小さく首を縦に振り、その竹筒を受け取る。


「どれ、栓を抜いてあげよう」


 男は、緊張から自分の喉が渇くのを感じながら、悟られないように竹筒の口の栓を抜いた。


『飲ませた後は人間の世界に連れて行きなさい』


 長の言葉が男の頭の中に響き渡る。

 男は栓を抜いた竹筒を思わずじっと見つめてしまう。


『毘天は、この神域世界からも神人族しんじんぞくからも追放を命じる』

『そんな……毒飲ませるだけじゃなく、追放もなんて……』

『これは古からの掟だ。必要以上の力を身につけた者は命を取り、追放する。それを飲み人間の世界に放り出せば、あちらの世界軸の時に合わせ急速にあの子は成長をするだろう。この毒はその成長を助長し体を衰弱させる』


「おじさん?」

「!」


 動きを止めて強張ったような顔をしている男に、毘天は声をかけた。


「あ、あぁ。ごめんな。ちょっと考え事してた。ほら、これをお飲み」


毘天は何の疑いを持つことなく竹筒に口をつけ、中の水を体の中に流し込む。男はその様子を見つめ、毘天が半分ほど水を飲み込み竹筒から口を離した瞬間に辛そうに表情を歪め、視線を逸らす。

 毘天が不思議そうに男を見るのと同時に、腹の奥から焼け付くような痛みが這い上ってきた。


「うっ……!!」


 小さく呻き、手に持っていた竹筒が床の上に取り落とす。竹筒の口からはダラダラと残った水が零れだして床を濡らしていく。


「うぅ……げえっ!!」


 内臓がひっくり返されるような強烈な痛みに、毘天は自分の身体を掻きむしりながら前のめりに倒れ込み、盛大に血を吐き出す。辺り一面に自分が吐いた血が広がり、霞む視線の先に男の姿を見る。


「毘天。ごめん、ごめんよ。許してくれ……」


 男は涙を流しながら、苦しむ毘天に謝り続けていた。

 その男に向かって震える手を伸ばしかけて、毘天はそのまま意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る