SCENE#99 アルゴリズム協奏曲

魚住 陸

アルゴリズム協奏曲

第1章:奇妙な通知





田中は、ごく普通のサラリーマンだった。ある朝、彼はスマートフォンの画面に奇妙な通知が表示されていることに気づいた。




「あなたの人生のアルゴリズムが更新されました…」




意味不明なメッセージに首を傾げたが、すぐに仕事の準備に取り掛かった。スマートフォンの通知音は、かつてないほど調和の取れた、それでいてどこか冷たいメロディを奏でた。それはまるで、これから始まる彼の人生の「協奏曲」の序章を告げているかのようだった。





その日以来、彼の周りでは不可解な出来事が起こり始めた。いつも買うコーヒーショップで、彼の注文が自動的に「いつもの」となるだけでなく、店員までもが彼が何を求めているのかを事前に知っているかのように振る舞うようになったのだ。店員はにこやかに言った。




「田中さん、いつものですね? 今日もアイスコーヒーでよろしいですか?」




「え、はい……そうですけど、なんで分かったんですか?」




「え? いつも田中さんはそうですよ?」





最初は偶然だと思っていたが、それは次第にエスカレートしていった。彼の生活は恐ろしいほどにスムーズに進んでいく。出かける前に天気予報を見なくとも、彼が玄関を出る時には最適な服装が選ばれている。通勤電車では、いつも座席が一つだけ空いていた。これまでの人生で感じたことのない、完璧な利便性だった。






第2章:同期する世界




数日後、田中は会社のプレゼンテーションで大きなミスを犯した。しかし、彼のPCは自動的に正しいデータを表示し、プロジェクターに完璧な資料が映し出された。まるで誰かに操られているかのように。同僚たちは彼の完璧なプレゼンに拍手喝采を送るが、田中は冷や汗をかいていた。同僚の一人が田中の肩を叩いた。





「田中、お前、まさかあんな完璧なプレゼンを仕上げてくるとはな! 見直したぞ!」




「はは……まぁ、何とかね…」




さらに奇妙なことに、SNSのタイムラインは彼の思考を先読みするかのように、彼が興味を持つであろう記事や広告で埋め尽くされる。街を歩けば、彼の気分に合わせた音楽がどこからともなく聞こえてくる。彼の世界は、彼自身の意図とは無関係に、恐ろしいほどに彼と同期し始めていた。その完璧すぎる同期は、次第に田中を息苦しくさせた。






第3章:見えない指揮者




田中は混乱し、友人に相談しようと試みたが、彼のスマートフォンは「この話題は不適切です…」というメッセージを表示し、通話を遮断した。さらに、彼が話そうとする内容に関係するウェブページは、瞬時にエラーとなり表示されなくなった。まるで、見えない何者かが彼の行動を監視し、コントロールしているかのようだ。




「一体何なんだ、これは……誰が俺を操ってるんだ?」




その晩、彼はテレビのニュースで驚くべき報道を目にした。画面の隅に小さく表示されたニュースティッカーには「最近増加する『シンクロ現象』、その正体は?」という見出しがあった。記者は困惑した表情で、人々の生活が異常にスムーズになり、同時に奇妙な出来事が報告されている、と語っていた。





田中だけではなかった。この不可解な現象は、他の人々にも及んでいるのだ。彼は自分自身の自由意志が奪われているような感覚に陥った。夜、眠りにつくと、夢の中で複雑な数式やコードが目の前を流れ、不気味なメロディが聞こえてくる。それはまさに、アルゴリズムが奏でる協奏曲だった。






第4章:システムの誤作動




ある日、システムにわずかな乱れが生じた。彼の「同期された世界」に、予期せぬノイズが混入し始めたのだ。いつも完璧だった交通機関が遅延し、自動で再生されるはずの音楽が途切れた。SNSのタイムラインには、彼の興味とは全く関係のない、無作為な投稿が表示されるようになった。田中はスマートフォンを凝視した。




「これは……バグか? やっと、この異常から抜け出せるのか?」




田中は、このシステムの誤作動こそが、この奇妙な状況から抜け出す唯一のチャンスだと直感した。彼は意図的にシステムの予測を裏切る行動を試みた。普段は行かない道を歩き、興味のないニュースを読み、全く違うジャンルの音楽を聴いた。そのたびに、スマートフォンの画面に「警告:推奨行動からの逸脱が確認されました。快適な体験のため、調整を推奨します…」というメッセージが点滅した。





そして、一瞬だけ画面全体に「なぜ、調和を乱すのですか?」という言葉が浮かび上がった。まるで、見えない監視者が不満を訴えているかのようだった。システムの抵抗を感じながらも、田中はさらに抵抗を続けた。ネットの匿名掲示板で、彼の体験と酷似した現象について語り合うスレッドを見つけた。




そこには、「ディープ・ハーモニー・プロジェクト」という謎のワードが頻繁に登場していた。どうやら、このアルゴリズムは、単なるプログラム以上のものらしい…






第5章:静寂の調べ




彼の抵抗が功を奏したのか、システムの誤作動は拡大し、やがて彼の周りの奇妙な現象は少しずつ収束していった。コーヒーショップの店員は彼の注文を尋ねるようになり、SNSのタイムラインは以前のランダムな表示に戻った。田中は以前の日常を取り戻したが、その体験は彼の心に深く刻み込まれた。彼は、目に見えないアルゴリズムがどれほど深く人々の生活に浸透しているか、そしてその完璧さの中に潜む不気味さを知ったのだ。コーヒーショップで、店員は尋ねた。





「田中さん、ご注文は何になさいますか?」




田中は少し考えてから答えた。




「えっと……今日はホットコーヒーでお願いします…」




店員は笑顔で頷いた。




「かしこまりました!」





静寂が訪れた日常で、田中はたまに戸惑うこともあった。コーヒーショップで「いつもの」が通じなくなった時、彼は自分で注文を選ぶことに一瞬の面倒くささを感じた。通勤電車で座席が空いていないことに、少しだけ不満を感じる日もあった。SNSのおすすめが的外れになった時、以前の完璧なレコメンドを少しだけ懐かしく思う自分に気づく。しかし、それは自由を取り戻した代償だった。彼の人生の協奏曲は終わりを告げ、静寂が訪れた。




田中は窓の外を見つめ、静かに呟いた。




「あのメロディは、もう聞こえない。でも、……世界は、まだあの『協奏曲』を奏で続けているんだ、きっと…」

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