第2話 ルキウス・コルネリウス・スッラ先生の教養授業!
――特別講師 ルキウス・コルネリウス・スッラ先生――
『共和国という怪物』
梅雨入り前の重たい空気が、早苗実業学校高等部を包んでいた。
6限目、昼下がり特有の倦怠感。教室では既に数名が半分眠りかけている。
大橋も机へ頬杖をついていた。
「今日はヤバい……睡魔が……」
雪音が呆れる。「またですか」
「いや、今日は平和そうじゃん……」
その時だった。
廊下から、妙な音が響いて来た。
カツン。カツン。カツン。
硬質な音。
軍靴ではない。杖でもない。
乾いた石畳を歩く様な音。
教室の空気が、
ゆっくり張り詰めていく。
ドアが開いた。
入って来た男を見た瞬間、
クラス全員が息を呑んだ。
長身。
純白のトーガ。
深紅の縁取り。
鋭い鷹の様な眼。
異様なまでに整った顔立ち。
そして――
凍る様に冷たい笑み。
男は教壇へゆっくり歩く。
カツン。カツン。
静かなのに、
妙な威圧感がある。
まるで猛獣だ。
男は教壇へ立つと、
教室全体を見渡した。
その視線だけで、
数人の生徒が背筋を伸ばす。
男は低く、
美しく響くラテン語訛りの声で言った。
「ルキウス・コルネリウス・スッラだ」
教室が静まり返る。
歴史好きの生徒が青ざめる。
大橋が小声で呟く。
「……うわ!」
「出ちゃいけない人が来たみたい…」
雪音も緊張していた。
Lucius Cornelius Sulla 。
古代ローマ史上、最も危険な男。
彼は男は黒板へ、流れる様なラテン文字を書いた。
RES PUBLICA
「諸君!」
「今日は、【共和国】について話そう」
その声は静かだった。
だが、教室全員が本能的に理解する。
この男は危険だ。
スッラは教壇に腰掛けない。
まるで法廷に立つ裁判官の様に、
直立したまま話し始める。
「人間は共和制を理想化し過ぎる」
いきなり重い。
「民主主義、自由、民意」
「美しい言葉だ」
彼は薄く笑った。
「だがな」
次の瞬間、教室の空気が凍った。
「共和国とは、【人間の欲望を制度化したもの】に過ぎん」
誰も動けない。
スッラはゆっくり歩き始める。
カツン。カツン。
「人は権力を求める」
「名誉を求める」
「金を求める」
「そして他人より上へ立とうとする」
「共和制とは、それらを互いに競わせ、
均衡させる為の仕組みに過ぎん」
大橋が真顔になる。
これは、単なる歴史授業ではない。
現代政治論だ。
スッラは続ける。
「だが共和国には欠点がある」
「何かわかるか?」
沈黙。
誰も答えられない。
スッラは力を込めて言った。
「腐敗するのだ!!」
教室が静まり返る。
「元老院は利権を守る」
「民衆派は人気取りへ走る」
「軍人は武力を誇示する」
「金持ちは政治を買う」
「そして誰もが、共和国の為と言いながら、
実際には自分の利益を守る!!」
教室の空気が重くなる。
スッラは黒板へ、大きく円を描いた。
「国家とはな、理想だけでは動かん」
最初に書いた円の外に、さらに大きな円を描く。
「恐怖、欲望、嫉妬、野心」
「それら全てを含めて、初めて国家なのだ」
生徒達が完全に引き込まれていた。
スッラはふと、窓の外を見る。
「諸君は、善人だけで国家が動くと思うか?」
誰も答えない。
スッラは冷たく笑った。
「動くわけがない!」
「国家とは、人間の醜さ込みで運営するものだ!」
教室が静まり返る。
大橋が思わず呟く。
「……怖ぇ」
その声に、スッラが反応した。
「怖いか?」
教室が凍る。
スッラはゆっくり大橋を見る。
だが、次の瞬間、
彼は意外にも小さく笑った。
「それでいい」
「政治を怖がれ」
「権力を怖がれ」
「熱狂を怖がれ」
「それを怖がらなくなった時、共和国は死ぬ」
その瞬間、教室の空気が変わる。
これは、古代ローマの話ではない。
現代そのものだ。
スッラは静かに続ける。
「民衆は、強い言葉を好む」
「簡単な答えを好む」
「敵を作る者へ熱狂する」
「だが、そういう時代ほど危険なのだ」
教室が完全に静まり返る。
「人間は、時に自由より安心を選ぶ」
「そして安心の代償として、自由を差し出す」
誰も動かない。
空気が重い。
圧倒的だった。
スッラは教壇へ戻る。
「諸君!」
「共和制とは、永遠に未完成なのだ!」
「完成した瞬間、それは独裁へ変わる!!」
キーンコーンカーンコーン――
ここで終業チャイムが鳴った。
だが誰も立たない。
スッラは静かにトーガを翻した。
「国家を信じ過ぎるな」
「民衆を信じ過ぎるな」
「そして――」
彼は教室全員を見渡した。
その眼には、古代ローマそのものの重みがあった。
「自分自身を過信するな!!」
静かな沈黙。
教室後方で、生徒と同じ机に座る鈴音先生は、
どこか哀しそうな眼で、スッラを見つめた。
スッラは一瞬だけ、彼女へ視線を向けた。
ほんの僅かに微笑む。
それはまるで、
滅びゆく共和国を知る者同士の、
無言の挨拶の様だった。
カツン。カツン。
乾いた足音を残し、
スッラは教室を去っていく。
長い沈黙。
やがて大橋が呟いた。
「……なんか、国家って怖いな」
鈴音先生は静かに窓の外を見る。
夕焼けが、校庭を赤く染めていた。
彼女は静かに呟いた。
「ふふ……国家とはね」
「人間が作り出した、最も巨大な夢であり、
最も危険な怪物でもあるのですよ」
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