エピソード01 この星で生きている__朝の空は、透き通るほど青かった。都市コード《SEED-04》――“水の星”。いつも通りのホームルームから始まる。

プロローグ


その朝、まだ夜とも朝ともつかない色の空で、

 世界は一度だけ──深く鳴った。


 ──ドン。


 鼓膜じゃない。

 骨の奥と、地面の下と、水の底。

 見えないどこかの「皮膚」が、まとめて叩かれたみたいな衝撃だった。


 雪浦の港で、

 循環湖のほとりで、

 まだ眠い目をこすりながら通学路を歩いていた誰かの胸の内で。


 その音をはっきり聞いた人間は、たぶん多くない。

 でも、「何かがおかしい」と感じた心臓だけが、

 骨の内側で、いつもと違うテンポを刻みはじめていた。


 あの日の“ドン”に、まだ名前はない。

 ニュースにも、ログにも、きれいなラベルはつかない。


 けれど──

 あの一撃はたしかに、この星のどこかに

 消えない「層」として刻まれてしまった。


 これは、その“ドン”が世界の表面に浮かび上がる、すこし前の話だ。


①この星で、息をしている


キッチンの隅で、小さなホロパネルが光った。


《水域ステータス:安定(A-2)

 循環湖レベル:標準値±3%/

 市内DRYインデックス:42%》


キャスター『本日も、SEED-04の水域はおおむね“安定”です。

 一部の湾岸設備で、0.10Hz帯にわずかなゆらぎが観測されていますが──

 資源局は「問題ない範囲」とコメントしています』


ツユリの母親が、蛇口ユニットをひねる。

透明な水が、いつも通りの勢いで流れ出た。


「……はいはい、“問題ない範囲”ね。

でも、前もそのあと、急に点検だなんだって止まったけどね」


壁の端末に、小さくアイコンが点滅する。


《エクレシア資源局/朝の広報メッセージを再生しますか? Y/N》


ツユリ「いらなーい」

指で“N”を軽く弾く。


ホロパネルのニュース音声がフェードアウトして消える──


___


朝の空は、透き通るほど青かった。

光を散らす薄雲がいくつも浮かび、その合間を、無音の都市型シャトルが滑るように走り抜けていく。


都市コード《SEED-04》。

通称“水の星”。あの星とよく似た引力と大気を持ち、自然とテクノロジーが高度に融合した居住惑星。


街はメタ構造のプレートで構築され、ビル群は呼吸するように発光していた。

だがその隙間には、ちゃんと木々が根を張り、湧き水の川が流れ、野鳥がさえずる緑のルートも残されている。


都市全域の“水”は、湾岸に広がる循環湖から引かれている。

かつては港湾局が管理していたが、今はエクレシアが全権を握っていた。


この星のライフラインは、港湾と巨大な取水施設によって支えられている。

都市インフラを握るのは《エクレシア》で、

その運用と監視は“教育区”にも連動している。


蒼環高校が“水循環学区”に指定されているのも、そのためだ。

生徒の生活データは、都市の安定度と結びついている。


だから、水は、単なる資源ではなく──

この星の秩序そのものだった。


〈水は、誰のものか〉

十年前のその問いは、もう誰も口にしない。


街は美しく整えられ、安心が約束された。

だが、港の古い人々は今も、あの移譲を「静かな奪取」と囁く。


そして今日も、水は静かに、市内へと流れ込んでいた。

管理されるべき“資源”として。


___



冷えた蒸気がわずかに香るその通りを──

二人の高校生が、自転車型のリフターで並走していた。


「なぁシラハ。昨日さ、地下フードエリアの自販がバグってて、タコス100円だったんだだぜ?奇跡だろこれ」

「情報の信頼性を確認するまでは“奇跡”とは言えない。記録あるの?」

「うっわ、また、そう言うこと言う。彼氏できないぞ?」


シラハは制服の袖を丁寧に折り返しながら、前を向いたまま答えた。

彼女の髪は薄い銀で、寝癖ひとつ許さないような整い方だ。

目の奥に冷静な観察を宿す彼女は、街のデータをリアルタイムで脳内に構築しているかのような言動をする。


ツユリはその隣で、大胆にリフターを傾けながら笑った。

肩にかけたバッグには、ステッカーや缶バッジが無数に貼られている。

音楽とラーメンと水辺が好きな、どこにでもいそうな高校2年──だが、

この星の「異常な振動」を感じ取れる、数少ない“共鳴体質”の一人だった。


画像


「にしても、今日天気良すぎじゃない?

昨日、地磁気ゆらぎ、ちょっと出てたよ」

「もうちょっと言い換え努力しろよ、それZ世代に伝わらないっしょ!」

「あんたもZ世代よ」


街路樹が風に揺れ、水の粒子が舞う。

街の端には、空に浮かぶ情報アーチ──全天候型の気象UIがホログラフィックで表示されており、

「現在:快晴/温度22.3℃/大気濃度:安定」と流れている。


すれ違う通勤者たちは、空間スクリーンに話しかけながら移動し、

路面には“透過型広告”が静かに波紋を描いていた。

だが、そのどれもが人工的な過剰さを感じさせない。

まるでこの都市が、ずっと前から自然にここにあったかのような、そんな空気を漂わせている。


ツユリ「そう言えば最近さ、水の味変わった気せん?」


シラハ「関係あるか知らないけど、港んとこ、今揉めてるって聞いたけど」



___




「おーし、そろそろ着くぞー」

ツユリが軽くリフターを跳ねさせた。

見えてきたのは、《蒼環高校》。この星でもっとも古い学区のひとつで、

構内にはエネルギー循環型のプールや、生体データ連動の講義システムも導入されている。


そして──今日。

この高校に、“転校生”がやってくる。


それも──ふたり。


---


②転校生がやってきた朝

教室の窓から差し込む光は、水面のようにやわらかく揺れていた。

朝のホームルーム。

ざわつく声と、デスクのタッチ音、空間端末を覗き込む生徒たちの視線が──ふと、いっせいに前を向いた。




ドアが、静かに開いた。


入ってきたのは、ふたり。


「今日から、このクラスに転入する生徒がいます」

前に立った教師は、特に、自己紹介を促すことをする事もなく、それだけを告げて一歩引いた。


それだけに、教室には奇妙な静けさが漂う。


少女が、先に口を開いた。


「……カナネです。はじめまして」

彼女はかすかに頭を下げた。

やや緊張している様子。でも、目はしっかり前を向いている。


その奥に、強い“探る視線”があった。


その隣の少年──

彼は、じっと黙っている。




ただ、言葉にする必要がないとでも言うような、静けさに感じはれなくもない。


ツユリが、思わず小声でつぶやいた。


「……なに、この空気……なんか、重くない?」


「なんか不思議な空気だね?周囲の視線が、自然と“彼ら”に引き込まれてる」

シラハが言った。

指で自分のメガネ端末を軽く叩きながら、二人をじっと見つめていた。


「自己紹介、兄貴もしなよ」

少女──カナネが、隣に目をやる。

少年は、ほんの少しだけ視線を浮かせて、口を開いた。


「……オトワ」

それだけで教室に、なぜか“響き”のような静寂が落ちた。


「よろしく」


---


誰かが囁いた──「転校生、双子なんだって」

「でも……なんか、似てないね?」


教師が、静かに告げる。


「では、席へ。あちらの窓際と、その前列に」


ふたりが歩いていくたび、クラスの温度が少しずつ変わっていくようだった。


その様子を、教師はただ見つめている。

__まるで、この空気の変化を確かめるかのように。


episode02につづく

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