君が愛を知らなくても僕はキミを抱く

あさひのはるひ*

Prelude ──月下の契約──


「……寒い。」


竜の爪を模した脚をもつ椅子は、金と宝石に縁どられ、まるで宮殿の玉座のようだった。

そんな贅沢な椅子の上で、オレは麻布を頭からすっぽりとかぶり、膝を抱えたまま小さく身を縮める。


麻布の隙間から夜気が忍び込み、素肌をかすめて冷たく光る。

分厚い絨毯が音を吸いこみ、沈黙だけが空間を満たしていく。


身体が、小刻みにふるえる。

夜のさみしさに触れたくない。ただ、息をひそめてやり過ごす──それがオレの夜の過ごし方だ。


「大丈夫……こわくない。」


両手で耳をふさぐ。

けれど胸の奥では、誰かのぬくもりを探していたのかもしれない。



きぃ、と扉がわずかに鳴った。

空気が震える。


誰──?

こんな時間に。


月明かりがゆっくりと流れこみ、光の中に、白銀の軍服をまとった影が現れた。

分厚い絨毯に包まれた床が、かすかに沈み、

絨毯越しに、わずかなきしみが伝わる。


その気配に誘われるように、そっと顔をあげた瞬間──ぴたりと時間が止まった。


息も、鼓動も、どこか遠くに置き去りにされたみたいだった。

光の粒が宙に浮かび、音が消える。

ひとりの青年がオレの前に立つ。


そして──静寂を破るように、低い声が落ちる。


「ユリウス殿下でいらっしゃいますね。」


──ユリウス?

聞きなれない名に、オレは眉を寄せた。


「お前……誰?」


「皇帝の御命により、本日よりあなたの護衛を拝命いたしました。名は──ソアラ。」


その瞬間、ひと粒の涙が頬を伝って零れおちた。


「……え? なに? オレ、泣いてる?」


意味が分からず、慌てて麻布を引き寄せ顔を隠す。

けれど、胸の奥がざわついて、もう一度、視線をもどし、そっと、麻布のすき間から彼を見あげた。


──月光をうつす銀の瞳が、かすかにゆれた気がした。

世界はまだ凍ったままなのに、その一瞬だけ、そこに熱が灯ったように。


息をするのも忘れて、ただ、見てしまう。


嘘みたいに──憎たらしいほどに、綺麗だった。


月光が彼の肩に降りて、白銀の布をまとうようにその輪郭を縁取っている。

すらりと伸びた背、動くたびに影が床を滑る。

指先まで整いすぎていて、まるで息をするたび形を変える彫像のようだ。


腰に帯びた剣がふたつ。

ひとつは重く沈んだ鋼の色、もうひとつは柄に青い光を宿す。

その微かな輝きが、胸の奥の何かをざわめかせた。


肩にかかるか、かからないかの白銀の髪。

左耳にかけられた髪が、軍服の襟をなぞるように落ちている。

そのすき間からのぞく瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜いて──

逃げられなかった。


《……ああ、これが、“騎士”なんだ。》


本物なんて知らないくせに、なぜかそう思えた。


でも、その次の瞬間──冷えるような違和感も感じた。表情は動かず、歩き方も完璧すぎる。


まるで”人形”──、その言葉が脳裏に過った。


息づかいなど聞こえないほど静かで、ただ、冷たさを帯びた美しさだけがそこにある。なぜか無意識に、“これは、自分とは別の生き物だ”と、そう思えた。


──…おまえ、人形なの?

あのとき口から漏れた言葉が、今も耳に残っている。


挑発でも、皮肉でもない。

ただ、本気で、そう思ったから。

その夜──。

オレと彼は、主従の契約を結んだ。

それは、命令でしか触れられない愛のはじまり。


人の気配がない。熱もない。

目の奥には、何もうつっていない。

それでも、なぜか、「欲しい」と思ってしまった。

……あの人が、笑ってくれたのは、間もなくのこと。


残酷な真実へと──

そして、すべてが、静かに動きだした。



──もし、君に”愛”を命じたなら、 君は応えてくれるだろうか?


どんなに愛の言葉を重ねても君には届かない。

それでもオレは──…この想い、伝えたい。



星の巡りと理性こそが全ての規律と秩序を定めるアストレイア王国。

王家に仕え、命令だけに応じるよう定められた、《インフィニタス》と呼ばれる感情なき騎士たち。

その一人、──…ソアラにオレははじめて恋をした。

心を封じて生きる彼ら。

だけど、オレは信じた。

命じるだけの関係を、”愛”に変えられるって────。



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