27話 ソアラは今どこにいるの?
「ここでのことも、そして……ソアラたちと過ごした日々も……全て──」
ヌベールの言葉が終わるより早く、胸がぐらりときしんだ。
思いだしてしまった。
戻って来てしまった。
ならばこの苦しみも、憎しみも、喪失も──引き受けなければならない。
「そしてリュシアさまは、彼らの亡骸を一人ずつ丁寧に処置されたあと──
無のインフィニタスの体内に、亡くなった五人の“残響”を埋め込まれました」
ルベーヌの言葉が、冷たい水のように胸の奥へと流れ込んでくる。
「“REQUIEM AETERNAM”──レクイエム・エテルナム
永遠の安息を意味する古の術式です。リュシアさまはそれを用いて、彼らを“インフィニタス”として蘇らせたのです。それは愛ゆえの祈りであり、同時に、禁じられた永遠の呪いでもありました。」
言葉が出なかった。
思考がついていかない。
ゼノも、シオンも──皆、あの日の“襲撃”で。
そうして、インフィニタスに……?
「でも、ソアラの体内には──母上の残響があるはずじゃ……」
その問いに、ルベーヌは静かに、頷いた。
「はい。リュシアさまは、あの襲撃事件の後──お心をお決めになられたのです」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
「……どんな事をしても、ユーリさまをお守りすると。それが、自らの存在を犠牲にしてでも、という決意でした」
「犠牲……?」
「もし、インフィニタスの中に“残響”が宿っていることが、皇帝に知られれば──」
ルベーヌのまつげが震えた。ほんの一瞬。
「彼らは“異端”として、破壊されます。ソアラも、同じく。何故なら、“リュシアさまの思想”が、その体に深く刻まれているからです」
「思想……?」
「はい。ソアラが目覚め、“リュシアさま”の意志が顕在化すれば──それはすなわち、“反皇帝”の意思の復活を意味します。皇帝にとって、それは最大の脅威なのです」
ルベーヌの声は、静かにおもくひびいた。
「だからこそ、リュシアさまは、自らの残響を、ソアラの中に“重ねて”封じました。」
「……っ」
「皇帝は、リュシアさまに執着していました。その執着を逆手にとったのです。“彼女の魂の残り火が、インフィニタスの躰に宿っている”と知れば──皇帝は喜んで、その存在を傍に置こうとするでしょう。」
言葉の意味が、ゆっくりと、心の奥へ沈んでくる。
「──つまり、“母上の残響”を皇帝の目に晒すことで、“ソアラの残響”を隠した、ということ?」
「ええ。それが、リュシアさまの苦肉の策でした。自らを犠牲にして、“ソアラ”を守るために、隠したのです」
ソアラを……隠した。
オレの知らないところで、そんな決断を……?
──いや、ちがう。
オレを守るために、そんな恐ろしいことを──
「……どうして……そんな……っ」
視界がにじむ。頭が痛い。胸が苦しい。
「ソアラの感情が暴走しないよう──」
ルベーヌは、静かに言葉を継いだ。
「リュシアさまは、“理性の塔”の規範コードを、ソアラの中に埋め込まれました。それにより、彼は感情を表にだすことが──できなくなったのです」
「……そんな……」
声がふるえる。
くちびるが熱いのか冷たいのかもう、分からないほどに。
「それは……ソアラ自身のためにも、皇帝を欺く為のものでもあります」
ルベーヌは、遠くを見るような目で言った。
「いつか、“リュシアさまの残響”の力が徐々に消え……その時、ようやく“ソアラ”本来の残響が──目を覚まします。その時こそ、皇帝を討つ機が熟す。……そう、リュシアさまは考えておられたのでしょう」
オレは、思わず問いかけていた。
「……でも、そんなの……じゃあ、ソアラの“心”はどうなるの?オレを守るために……
ソアラは、自分の意志を捨てたってこと……?」
沈黙。
否定の言葉は──かえってこなかった。
ヌベールの言葉が耳に刺さる。
理性の塔を埋めこまれ、感情をだせなくなった──その事実を聞いた瞬間。
透明な壁の向こうに、ソアラの感情が幽閉されてしまって、一生懸命に叫んでいる。
その声は、どれほど必死でもオレにはとどかない。
そう──オレを守るために閉じ込められてしまったから。
そんな光景が脳裏に焼きついて、息が止まりそうになった。
「……なんてことをしてしまったんだ……」
張りつめた空気の中で、ヌベールは懐からひと振りの短剣を取りだした。
細身の鞘に、見覚えのある蒼の装飾と、桔梗の紋章。
「……これを、お預かりしています」
そっと差しだされた短剣を見つめる。
「これは、かつてリュシアさまがソアラに譲られたものです」
「譲った……?」
「はい。あなたに“力”を託すために。いずれ、ユーリさまがご自身の手で未来を選びとるその時の──“守り刀”として」
ふるえる指で柄を開く。
細い刃の根元に、刻まれていた文字が目に飛び込んできた。
Empress──女帝。
それはまるで、“未来”を託す者に向けた、遺言のようだった。
「……兄上が、ユーリに、って」
ずっと黙っていたゼノが、ようやく口を開いた。
「え……ソアラが?」
オレは、手のひらの短剣を見つめる。
まだ少し、ぬくもりが残っている気がして──胸が、ぎゅっと痛んだ。
「……もう、自分の役目は終わったって。あとは、ユーリが前に進めるように。この短剣が“
ゼノの声が少しだけふるえていた。
──あんなに大切にしてた短剣。誰にも触らせなかったのに。
それが、今、この手にある。
「……ソアラは今どこにいるの?」
オレの声もふるえていた。
ゼノは少しだけ目を伏せて、静かに言った。
「……兄上は今、皇帝の術で“
「そんな……」
「リュシアさまの残響の力が消えてしまったら──“ソアラ”の心も、記憶も、すべて消滅してしまう。本当に、無のインフィニタスになってしまうんだ」
ゼノの声は静かだったけれど、はっきりと聞こえた。
「そうなったら……もう二度と、兄上はもどって来られない」
虚の輪廻。
無限に続く氷の回廊を、ただ無表情で歩き続ける影の群れ。
感情も記憶もない、ただ魂が彷徨い続ける世界。
誰の声も届かず、光も希望もない。
「おそらく、皇帝は恐れたのでしょう──
ソアラの封印が解けて、ユーリさまの心を奪い、そして皇帝を倒す因縁を。」
「……そんなの、おかしいよ……」
オレは、気が動転していた。
先ほどからの事実がまだ飲みこめていないというのに、あとからあとから衝撃の事実ばかりで──…。
ゼノの瞳が、かすかにゆれていた。
その淡いピンクが、光ににじむ。
「……ここにいる時だけなんだ。俺たちはほんの少しの間、自分の感情を取りもどすことができる。だから……だから、どうしてもこのことを伝えたくて──ユーリをここへ連れて来たんだ」
感情を、取りもどす──。
ああ……そうか。今になって思いだす。
ソアラは、よく
あれは、感情をほんの僅かでも取りもどすためだったのか。
ソアラは、あの時どんな気持ちでいたんだろう。
……何を思っていたんだろう。
「──頼む、兄上を……兄上を、救ってほしい!」
突然、ゼノが叫ぶ。
その声に、胸の奥がざわめく。
「……救うって?」
「ユーリの“命令”を、解いてほしい」
「……オレの、命令?」
「そうだ。ユーリが“離れてくれ”と言ったあの言葉……あの時、兄上は確かに反応した。あの命令が、兄上の心を縛っている。だから──ユーリに近づくことすらできない。あれは……呪いなんだ。君の言葉が、兄上を閉じ込めてしまった」
ゼノの声がふるえる。
「お願いだ、ユーリ…もう一度、君の口からその“命令”を下して。そうすれば、一時的にでも──兄上の“感情の塔”がよみがえる。このままじゃ、兄上は“
「消滅…。」
「ユーリだけだ。兄上を引きもどせるのは──」
命令を下す──。
オレが……またソアラに?
そんなことをしたら──また、彼は……オレの……。
でも……。
でもそれって、本当にソアラが望むことなのか?
彼の“意識”は? “意思”は?
それも、命令で捻じ曲げてしまうことになるんじゃないのか?
だって──、
ソアラ……オレに言ってたじゃないか。
「教師になりたい」って。
人を導く者になりたいと。
感情を持ち、自分の意思で誰かを守りたいと。
なのに、また“命令”で心を動かすなんて──…
オレのために剣を握るよう操られ、その意思すらも操作されるなんて──オレは、そんな運命を認めたくなかった。
「……そんなの、いやだ」
思わず、ゼノを見あげる。彼もまたあの襲撃で命を奪われた。
過去の記憶の彼は少し臆病で、いつも泣いている少年で、
そっとゼノの黒褐色の髪にふれる。
一瞬照れたように、瞳をピンク色に染めて。
オレよりちいさかったゼノ。
いつも泣き虫でオレだって心細いのに兄になった気分で君の手を引いて。
なんだか昔に戻ったみたいだ。
「ゼノ、ごめんね。オレの為に──」
ゼノは無言で首をふった。
その瞳は色を染めそして潤むものでゆれていた。
オレはそっとゼノの肩に手をまわし、そしてゆっくりと抱きよせた。
今は、オレより体格も大きくて、背伸びをしないと抱きしめられない。
「守れなくてごめん」
ゼノはそんなオレの気持ちにこたえるようにそっと抱きしめ返した。
「うん、俺らは大丈夫だから」
その肩が微かにふるえているのが伝わってくる。
でもね、ゼノ。
君だって、欲しい未来はあったはずだ。
ゆっくりゼノから身体を離し、ふたりを見て言葉をなげかける。
「命令で縛って、忠誠で縛って……それで、何が“守る”?そんなの、ソアラの意志じゃない…」
胸が、張り裂けそうだった。
ふるえる声を必死に整えて。
「母上の想いは、ありがたいよ。感謝してる。だけど──その想いのために、ソアラの、みんなの“自由な意志”まで奪うなんて……誰かの犠牲のうえで、オレが生かされるなんて、そんなの……ただのエゴでしかない。」
──もう、こんな
永遠に満たされない、報われない痛みだけの輪廻。
オレは、ソアラをインフィニタスたちを──“解放”したい。
皇帝からの因縁も、そして──オレ自身からも。
「彼らはもう“武具”ではない。感情も、夢も、未来もある──“人間”なんだ。だったら、誰であろうと奪っていいはずがない。オレが……オレ自身の力で、彼らを自由にしてみせる」
しん、と張りつめた空気の中で、オレは一歩を踏みだすように言った。
「……皇帝と話すよ。ソアラの、インフィニタスたち“の解放”を」
「ユ、ユーリさま……それは……」
ヌベールの声が擦れる。
わかってる。
皇帝が、そう簡単にソアラを手放すはずがない。
でも今なら──。
“永遠の命”の器であるオレか──…
それとも、“無のインフィニタス”としてのソアラか。
皇帝は迷いなくオレを選ぶはずだ。
「ユーリ、それじゃ──兄上の記憶は……!」
ゼノの声が鋭くなる。
そうだ。
命令を解けば、ソアラの“感情”はもどる。
けれど同時に、所有の掟──彼の“記憶”は消えてしまう。
──それで、いい。
あの人の“役目”じゃなくて、オレは、あの人の“
たとえ、オレのことを忘れたとしても、あの瞳にうつらなくなったとしても。
「……守られてばかりだった。だから今度は──オレが、守る」
──あの時、引き留めれば良かったのか?
あの背中を呼び止めれば、変わったのかもしれない?
でも、呼べなかった。
それはきっと、彼の“愛”に縋らないって、決めたから。
愛されたままじゃ、オレはきっと、“誰かの為に立ちあがる”ことなんてできなかった。
だから、今度は。
命令じゃなく、意志で──オレが選ぶ。
あの人の未来を。あの人の“自由”を。
窓際の鳥籠に、一羽の小さなカナリアが佇んでいた。
羽根をふくらませて、じっとこちらを見つめている。
誰かを想いながら、鳴くこともなく。
オレは、ゆっくりとその鳥籠に近づく。
「……この子、もしかして──」
すると、静かにヌベールが口をひらく。
「ええ。あの時、リュシアさまが大切にしていた“つがい”の片われです。今も私が、──見守り続けているのです」
オレは、そっと鳥籠の縁に指先をそえる。
カナリアは、深紅の瞳でじっとこちらを見つめ、けれど逃げようとはしない。
籠の中の鳥。
それは、まるで──オレと、ソアラそのものだ。
せめて、あの人だけは──…
空へ。
自由へ。
……解放できるのは、オレだけなんだから。
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