氵を編む

平山キャラメ

氵を編む

 夏休みを越えれば高温多湿を体現したかのような月。そう、九月だ。

 合宿だとか里帰りだとかの話に花を咲かせる暇もなくテストの成績を渡され、何度か夕食を口に含みながらテレビを見れば台風が来る。雨のレーダーが右から左へ流れるのだけど、親の顔を見れば嫌な日だと眉間を皺寄せて飯をかっこむ。

「今週は台風○号が本州に上陸します」

 おお。


 予報の円が右上に動いている。

 いつも青や白ばかりの降水量が赤く染まっている。

 はぁ今年も来たか。

 

 大雨警報で学校の休みが出たことなんてないから、普通に登校する。下校、する時は皆に傘を広げて歩く姿を見ながら沈む視線を横切って大通りへ。激しく打ち込むような雨が体温を奪って人間としての輪郭が、びたびた溶けて、人々の冷ややかな視線が心配へ変わったのか、観光客だろう外国人が傘を手渡そうとしてくる。軽い会釈をして頭を横に振った。


 毎年のように、何度も喜びが込み上げてくる。

 何故かわからないが私は大雨が好きなようで、東名高速道路の静岡のような濃霧が好きで、命を冷酷にデータ化させるサーモグラフィがとても好きらしい。らしいと言葉を添えるのは雨の日に自分のことを忘れるからだ。寒すぎて頭でもやられた説は否めないものの、私が幻覚を見ている時のような——遺影を見る遺族、のような錯覚に陥る(表現が不謹慎でもイメージはドンピシャで合っている。許してほしい)のだ。


 他人という身体はあるけれど、自我が宿っていない感覚。誰か解ったら教えて欲しい。アレを私の中では「死んで生きている人間」と名前をつけてみたりするのだけど、もっと適切な言葉があるなら教えて欲しい。

 傘で顔が隠れているのだから、もし次に傘を渡すのは私自身かもしれない。

 他の人が理解することもされることも特に無く。


 幻覚が最も生活を豊かにする月、九月が今年もやってくる。

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