夢(ショートショート)

第1話 夢の話

イタリアの古いホテル。仲間と五人で来ているはずなのに、僕の意識はいつも彼女にだけ引き寄せられていた。


五十七の僕には、三十二の彼女に「結婚してほしい」と伝える勇気がまだ持てない。二十八のカップルは肩を寄せ合い、二十二の青年が屈託なく彼女と話すたび、胸の奥がじんと痛んだ。


それでも夜更け、彼女と二人きりで別の部屋に腰を下ろす。おしゃれすぎる水回りに戸惑い、排水を誤ってタオルを濡らしてしまった僕を、彼女は笑いながら見ている。その笑みの奥に、僕だけが読み取りたい感情が潜んでいる気がした。


ふと彼女と目が合う。


その一瞬、時間が止まったように思えた。



「今こそ言うべきだ」と心が叫ぶのに、言葉は唇の先で震えたままこぼれ落ちない。


ただ視線だけが絡み合い、やがて彼女はふっと目を逸らす。


胸に残ったのは、言えなかった言葉と、置き去りにされた想いの温度だけだった

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