第3話
お雪は社へお参りに行くふりをしては、こっそり忍び込み、洞穴へと通うようになった。
宮守はその度に、お雪が村の者に見られぬよう、見張り役を務めた。
お雪は毎日のように朱の元へ通った。
「よいしょ」
抜け道を這い出て、木をかき分けながらけもの道を進む。しばらく進むと、洞穴が見えた。洞穴の前ではいつも必ず朱が待っていた。
朱はものを作るのが好きなようだった。
「朱さま、まだ手直ししているの?」
「ここの所がうまくいかない」
と、細かく手直しを重ね、何かが完成した時には、笑顔こそ見せないが、お雪に
「見てくれ、できた」
とどこか弾んだ声で見せてきた。
また別の日には、水仕事で荒れたお雪の手を見て、ひどく心配し、
「これを塗るといい」
と、薬を塗ってくれたりした。
朱について、赤い目や青白い肌の他に、お雪には気になることがあった。それは食事の時に顕著に現れる。
彼がものを食べる時に大きく口を開くと、鋭い牙と長い舌が顕になるのだ。
「美味しそうなお魚ね」
「お前も食え」
お雪に焼けた魚を渡すと、
朱も魚にかぶりつく。
「食わないのか?」
朱はお雪の方へ顔を向けて言った。
「食べます」
お雪はにっこり笑って魚を一口食むと、もぐもぐと口を動かした。それを見て、朱は満足そうな顔をしてまた魚にかぶりついた。
彼が何者でも構わない。自分の目に映る朱そのものが彼自身なのだと、お雪は思った。
「雪」
食事が終わると、朱はお雪に赤い玉の飾りがついた簪を差し出した。その簪は、お雪の母親が持っていたのとよく似ていた。
お雪の母親は、村で忌まれる色のその簪を、普段は誰にも見つからないように大切に引き出しの奥にしまっていた。だがお雪にだけは、誰にも内緒だよ、と言いながら、度々こっそりと髪に挿して見せてくれた。
お雪は母親のその姿が大好きだった。
「これは?」
お雪が訊ねると、
「俺が作った。お前にやる」「こういう色が好きなのだろう?」
朱が言った。
お雪は不思議そうな顔をして、
「なぜこの色が好きだと?」
と訊ねた。
朱は、
「初めて会った時、俺の目を見て綺麗だと言った」
と少しだけ口角を上げた。
その顔を見て、お雪の胸はとくんと鳴った。
お雪は貰った簪を朱の方へ差し出した。
「気に入らなかったか?」
朱が戸惑っていると、お雪が覗き込むように朱の目を見つめた。
「朱さまに、挿して欲しい」
朱は、大きく目を見開いた。
お雪が簪を手渡すと、朱は彼女の髪に簪をそっと挿した。その手は震えていた。
「似合いますか?」
お雪が訊ねると、
「よく、似合っている」
朱は、ため息混じりにそう言った。
お雪は朱の肩に頭をのせ、
「……朱さまは、何色が好きですか?」
囁くような声で訊ねた。
「俺は……」
朱は、躊躇いがちにお雪の頬を撫でた。
「白い……雪の色が好きだ」
焚き火の炎がゆらゆらと、重なり合う影を映し出していた。
いつものようにまたお雪が朱の所へ行くと、普段よりも朱がよそよそしい。お雪は、
「朱さま、どうしたの?」
と訊ねた。
朱は普段よりずっと硬い声で、
「雪、お前は明日から三日、ここへ顔を出すな」「絶対だ」
とお雪に言い聞かせるように言った。
「なぜ?どうして会えないの?」
お雪は朱の着物を引っ張りしつこく何度も聞いた。が、
「どうしてもだ」
と冷たい声で朱は言い放った。
お雪はなぜ朱が来るなと言ったのか、なぜ教えてくれないのか理由が知りたくて、翌日こっそりと洞穴へ向かった。
宮守も不在だというのが更にお雪の不信感を加速させた。
洞穴の近くまで来ると、二人の人影がちらっと見えた。お雪は慌てて木陰に隠れ、そっと隠れ見た。それは庄屋と宮守だった。
「なにをしているんだろう……」
そのまま見ていると、庄屋が、縄で縛られた男を洞穴の前に座らせるのが見えた。
「罪人だ!」
そう庄屋が声を上げると、洞穴の中から朱が姿を現した。
朱が罪人と呼ばれた男の前に立つ。
「やめてくれ、無実なんだ!」
男が、朱に許しを乞う。
朱は何も言わず、持っていた鉈を振り下ろすと、それはずばっと音を立て、血飛沫が辺りへ飛び散った。
「きゃあああ!」
お雪は思わず、大きな悲鳴を上げて尻もちをついた。
その声で、そこに居る皆が一斉にお雪を見た。
朱は目を見開いて、
「雪」
と、ぽつりと言った。
それを聞いた庄屋が、
「顔見知りか?」
と朱に問うた。そして、
「見られたらお前の巣に連れてきて、喰らうのが掟だろう?」
と低い声で言った。
続いて宮守の方へ顔を向け、
「お前はこのことを知っていたのか?」
と、睨みつけた。
お雪はわけがわからず、座り込んだままその様子を見ていたが、そんなお雪に向かって庄屋が、
「こいつの正体を知っているのか?」
と朱を指差しながら言った。
お雪が震える声で、
「この人は、へびがみさま……」
と言いかけると、
庄屋は高笑いをして、
「違うよ!神なんかいない」
と言った。
「じゃあ、なんなの……?」
お雪の頭の中で、今まで朱と過ごしてきた日々が、走馬灯のように蘇る。
「こいつはね、私たちに飼われている。化け物のような気持ちの悪い見目をした、人間だ」
その一瞬、お雪は時が止まったような気がした。
朱が話し始めた。
「俺は……」
「数十年に一度産まれる、蛇のような見た目の、人間だ。それがこうして、神とされ、喰らうため……いや、殺すためだけに……生かされている」
庄屋が続けた。
「そう、神の子と偽って、村人たちに捧げさせてきたのさ」
「利用する為にね」
「り……よう?」
庄屋の言葉をお雪が飲み込めずにいると、
宮守が悔しさを押し殺すようにしながら、
「自分たちに都合の悪い人間を、処刑させていたんだよ……」
と言った。
庄屋が宮守の言葉に続けた。
「そう、利用できるものは利用しないと」
庄屋はにやりと笑って、
「都合のいい処刑道具としてね」
言った。
お雪はかっとなって庄屋に飛びかかった。
「朱さまは道具なんかじゃない!」
その姿に朱は驚き、お雪を庄屋から引き剥がした。
庄屋は襟を整えながら、朱に叫んだ。
「この女も罪人だ!殺して埋めてしまえ!」
そして、宮守に、
「お前の管理不足だ。覚悟しておけ」
言うと、山を下りていった。
お雪は、朱の腕の中で泣きじゃくった。
「朱さまは……朱さまは……」
「雪……」
朱はお雪の名を呼んだ。とても優しい声だった。
宮守はその様子を見ると、
「庄屋に全てばれてしまった。私ももうここには居られない」
そして、二人の肩を掴んだ。
「二人で逃げなさい」
「村人に見られる危険はあるが、この道が一番早く外に出られる」
宮守に教えてもらった村の出口に向かい、二人は走った。
しかし、山を駆け下りた所で、ちょうど歩いてきた村人と鉢合わせになった。
「なんだ?!」
村人はお雪の隣にいる朱の顔を見て、目を見開いた。乱れた前髪の隙間から、赤い瞳がのぞいている。
「赤い目……!へびがみさまの子か!?」
悲鳴のような声を上げ、恐怖に歪んだ顔で村人が言った。
朱の頭の中に、朱の目を見て怯える人々の顔が、順繰りに浮かんで消えていく。
『その赤い目、罪人の汚い血のようだ』
庄屋の言葉がよぎる。
「違う、俺は」
朱がそう言いかけると、その牙がちらりと見えた。
「うわあ!牙が生えとる!」
村人は、その牙を見て、二、三歩後ろに下がると尻もちをついた。
「お前、何てものを連れてきたんじゃ!」
と、村人はお雪に向かって怒鳴った。
『へびがみを見た者は、喰わねばならぬ』
幼い頃から言い聞かされてきた言葉が、朱の体の中を隅々まで走った。
村人は、
「へびがみさまの子が山をおりてきたぞおおおお!!!」
と叫びながら逃げ出した。
「お雪がへびがみさまの子を連れて山を下りてきた!」
村人は大きな声で他の村人に伝えた。
「お雪が!?」
「へびがみさまに村が祟られる!」
近くにいた村人が口々に言う。
瞬間、村に突風が吹いた。
雪の上に鮮血が飛び散る。お雪は、暴走する朱の姿を追った。だが、その速さには追いつけない。
「朱さま!やめて!」
お雪が叫ぶ声が、雪の中に溶けて消えた。
村人は逃げ惑い、あちこちで叫び声が響いた。
誰かと笑って話を交わしていた者も、朱の顔を見れば、皆恐怖に歪む。
朱が走り抜けた後に、一つずつ赤い花が咲くようにそれは続いていく。お雪の叫びは朱には届かなかった。
村人を斬り捨てながら朱は思った。
思えば子供の頃からだ。ただ生かされ、利用される。心を許せるのは、同じ立場のじいさんと、世話係の宮守だけ。でも、決して人として扱われることはなかった。
ただ、あの女を除いては。
騒ぎを聞いて、庄屋が姿を見せた。
「何事だ!」
朱が暴れる様に、庄屋は立て続けに叫んだ。
「私はあの女を喰えといったはずだ!」「こんなことは命じていない!」「なぜ言うことを守らんのだ!」
朱はその声を聞いて、庄屋の方へ走り出した。
今まで従順だった朱が、明らかに自分への殺意を持って近づいてくると悟った庄屋は、急に怯え始めた。
「ど、どうしたお前……!そうか、あの女が欲しいのか……!?ならくれてやる……!好きなようにしたらいい……!!」
朱は耳を貸さず、鉈を大きく振りかぶると、庄屋の首めがけて振り下ろした。
人は皆、自分勝手だ。朱はそう思った。
その後も朱は鉈を振るうのを止めなかった。
そして、目につく村人がほとんど居なくなった時、朱はある姉弟の前に立った。蹲って抱き合い震えている二人は、お花と信だった。
朱が冷たい目をして、鉈を振り下ろそうとしたその時、
「だめ!」
お雪が二人と朱の間に入った。
朱はその姿を見ると、持っていた鉈をごとん、と音を立てて落とした。
山から遅れて下りてきた宮守は、村の凄惨な状態をみて、膝から崩れ落ちた。辺り一面血の海で、生きている村人はほとんど居ないように見えた。
宮守は頭を抱えて言った。
「……なんてことだ」
朱は、独り言のようにお雪に訊ねた。
「雪……」
「はい……」
「俺は……、人間か?」
腹の底から、絞り出すような、縋るような声だった。
お雪は立ち上がると、朱をきつく抱きしめた。
「はい、あなたは人間です」
朱は生まれて初めての涙を流した。
――――――
とある雪深い村があった。
少し汚れたお守りを握りしめ、きらきらとした笑顔をして子供が父親の所へ駆けてくる。
「ねぇねぇ父ちゃん。またあの話聞かせてよ」
子供は父親の手のひらにお守りを乗せた。
「おいで」
父親は優しい眼差しで子供を見てから、膝の上に乗るよう促した。
「昔々のことでした……山の中に、赤い目をした白蛇の神様がすんでいました……」
へびがみさま 花村鈴葉 @suzuhadayooon
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