第6話 出口 昇太 (でぐち ショウタ)①

 あの夜のことを語るのは、正直なところ、気が進まない。思い出すだけで胸の奥がざわつき、喉の奥がひりつくような感覚に襲われる。言葉にすることに、強い抵抗がある。まるで、語った瞬間に何かが目覚めてしまうような、そんな予感があるからだ。でも、それでも語らなければならないと思う。誰かが記録しておかなければ、すべてが消えてしまう。いや、ただ消えるだけではない。あの夜そのものが、なかったことにされてしまうような感覚がある。記憶の底から、何かが手を伸ばして、現実を塗り替えようとしているような……そんな気配がある。だから、オレが語る。オレが見たこと、感じたこと、そして――オレだけが体験したことを。


 最初に肝試きもだめししに行こうと提案したのは、おそらくオレだったと思う。夏の終わり、大学の講義も一段落し、皆が手持ち無沙汰ぶさたになっていた頃だった。夕暮れのキャンパスで、何気なく「どこか行こう」と口にした。それは本当に軽い気持ちだった。深い意味もなく、ただ退屈を紛らわせたかっただけだった。カズが「心霊スポットはどうか」と言い出し、ミサが「怖いのは苦手だけど、少し興味はある」と笑った。ユウは「なら、行くしかないね」と、いつもの調子で乗ってきた。キョウは……その場にいたのだろうか。いたはずなのに、決めた瞬間の記憶に彼の姿がない。そのあたりの記憶が妙に曖昧あいまいで、まるで最初から彼がいたのかどうかさえ疑わしくなる。


 目的地は、N県の山奥にあるS村だった。地図にもほとんど載っていない廃村で、ネット上の情報も断片的だった。しかも、その情報すらも、どこか不自然に途切れていて、まるで誰かが意図的に消しているかのようだった。写真はぼやけていて、投稿者の名前も不明。コメント欄は削除され、リンクは切れていた。それでもオレたちは車を走らせた。山道を抜けるにつれ、電波が途切れ、ナビの画面は真っ白になり、道の表示も消えた。役に立たなくなった機械を横目に、カズは黙々とハンドルを握り続けた。一本道だったが、途中で何度も分岐があったような気がする。けれど、気づけば目的地に到達していた。誰も道順を覚えていなかったのに、なぜか迷わず着いた。そこは、誰もいない、音もない、ただ空気だけが重く沈んだ場所だった。


 村に足を踏み入れた瞬間、何かが変わった。空気の密度が異なり、風が止み、虫の声が消えた。まるで世界が一瞬で切り替わったような感覚だった。空の色も、地面の質感も、どこか現実離れしていた。いつの間にかオレが先頭を歩いていた。誰かがそう言ったわけでもないのに、自然とそうなっていた。後ろにはカズとミサ、そしてユウがいた。三人の足音は聞こえていたはずなのに、振り返ると距離が妙に遠く感じられた。キョウは……その時点ではいなかったように思う。そんなはずはないのに、オレの後ろに彼がいたという記憶がどうしても浮かばない。声も、気配も、なかったような気がする。


 しかし、後で写真を見返すと、確かに五人全員が写っていた。誰かが撮ったはずなのに、誰が撮ったのかは誰も覚えていなかった。写真の中のキョウは、どこか不自然だった。顔が少しぼやけていて、輪郭が他の四人と微妙にずれていた。そんな、ぼんやりとした記憶違い一つひとつをとっても、あの時の記憶は不穏ふおんだったし、不気味に感じる。まるで、何かが記憶の中に入り込んで、少しずつ形を変えているような……そんな感覚が、今も消えない。

(続く)

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