ひと、ゆめ、こころ

サリー・ゲナク@PLEC所属

第001話 舞い散る

「おばあちゃん、おはようございます!調子はいかがですか?」


今朝も変わらぬにこやかな表情で、医学実習生の女の子が私に話し掛ける。


4月3日。入院14日目。4階の病室の窓から外を見ると、遠くに見事な桜並木があった。


この病状で、この歳で…来月の誕生日で69歳…病室の窓越しとはいえ、お花見できたことに大きな喜びを感じる。


3月中旬に自宅で体調を崩して緊急搬送され、延々と続く検査と注射と点滴と飲み薬の海を掻き分けてきたけれど、まだ退院の見通しすら立っていない。


果たして私は生きて病院を出られるのだろうか。自分の足で階下に降り、桜並木を間近にお花見できる日が来るのだろうか。


「おはよう。もうそろそろお迎えが来そうな感じかな。」


闘病の疲れからこんな若い子についつい弱音を吐いてしまう自分が情けない。しかし、この子には色々と話し込んでしまう。なんだか全てを分かってくれているような感じがするからだろう。


「桜が満開だけれども、とても自分の足でお花見に行ける状態じゃないのが悲しいわ。来年のこの時期まではもたないかもしれないし、もう間近でお花見することはないと思うの。」


私の弱音を彼女はにこやかに、しかし、じっくりと聞いてくれている。これが二週間前から日課になっている。


彼女は入院初日からずっと私の担当として寄り添ってくれている。


彼女が真摯に私の言葉に耳を傾けてくれる、ただそれだけで、どれだけ入院生活の支えになったことか分からない。


「では、お大事に。また来ますね。」


そう言って彼女は次の患者さんの様子を見に出て行った。


*****


「こんにちは、また来ましたよ。」


午後、また彼女が来てくれた。普段は来ない時間だけれど、どうしたのかしら。


見ると、彼女は両手で大事そうに紙コップを握っていた。


なんで紙コップ?


検査用かしら。


彼女がベッドのテーブルにそっと置いた紙コップの中を覗き見た途端、つい声を漏らした。


「ああ…」


紙コップから目が離せなくなる。


紙コップの底の方に2センチメートルくらいの水が入っている。


水の上には、淡い、淡いピンク色の…ほとんど白色に近い…桜の花が一輪だけ浮かんでいた。


彼女は今朝の私の弱音を聞き逃さず、私のために外出して桜の花を手折って病室まで運んでくれたのだ。


「ありがとう、本当にありがとう。最後に間近でお花見できるわ。」


「おばあちゃん、間違えて飲まないでね」


彼女は変わらぬにこやかな表情で応えてくれた。

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