第13話 深海規格――アビス・ブループリント
Ⅰ 出航――焼け跡の港に、祈りの指先
夜明け前、王都の港はまだ煤の匂いを残していた。
焼け焦げた杭が潮に軋み、煤まみれの帆布が風に鳴る。昨夜までの戦の痕が、板一枚ごとに沁みこんでいる。
それでも灯は消えていなかった。屋台の主は炭火を起こし、修道女は壊れた桟橋の縁に膝をつき、子どもらは波打ち際まで出て、指を組んで空へ掲げる。
「設計監さま……どうか、戻ってきて」
掠れた声が重なる。
俺は短く会釈し、タラップを上がった。甲板でロープを締めるセレスが、振り返らずに言う。
「潮と風、両方とも良い。今日の王都は味方だ」
ガロムが樽を片手で持ち上げ、笑い飛ばす。
「敵でも味方にしてやるさ。海だろうが空だろうが、設計監の横でな!」
リナは祈りの形で両手を胸に当て、小さく頷いた。
「……深いところは、光が届かない。だから、灯りを持っていきましょうね」
帆が張られ、舵が切られる。港のざわめきが遠のき、波の拍子だけが残っていく。
俺は船尾に立ち、港の焼け跡と、その向こうで手を振る老石工の姿を小さくなるまで見送った。
――預かった声は、全部返す。設計図で。
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Ⅱ 海の底に灯る幾何――深海門(アビス・ゲート)
三刻ののち、外洋のただ中で風が止んだ。
波も止んだ。海そのものが息を呑む。
海底が、光った。
螺旋、円環、星座めいた結び目。石ではない――規格だ。
幾何はゆっくりと開き、海そのものを回路として起動させる。船縁にしがみついた若い水夫が、思わず呟く。
「……海が、設計されてる?」
リナの指が震える。「冷たい……でも、静かに優しい」
視界に青い線が立ち上がる。
【解析(アナライズ)】が海を“図面”として重ね、読み上げる。
『――設計監。世界規格第Ⅳ
失敗した文明は沈降し、成功した文明は浮上する』
声ではない。設計式の圧だ。
船底が持ち上げられ、次の瞬間、海は裏返った。水と空の境界が消え、俺たちは海中都市の天蓋へ落ちていく。
珊瑚は尖塔に、潮流は街路に、魚群は灯火に。
――深海は、文明の形をしていた。
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Ⅲ 第一試験――圧階迷宮(プレッシャ・ラビリンス)
最初の揺れで、船体が悲鳴を上げた。
水圧が段差のように層をなし、斜めに走っている。普通の船なら、一息で潰れる配線だ。
「このままだと、船が裂ける!」と副官。
「裂かせない」
俺は舷側に片手を置き、もう片手を海へ向けた。
水圧は回路だ。なら、組み替えられる。
「【演算掌握(ドミナント・オペランド)】――層間逆相、起動」
見えない関節をひとつ、またひとつ。
圧の嚙み合わせを半拍ずつずらし、船体に沿って圧力の鞘を巻く。
ガロムが目を剥いた。「押されてんのに……軽くなった!」
セレスは姿勢を崩さず、低い声で続ける。「前方、三時方向に圧の段差。回避舵、今!」
舵が切れ、船は水中の街路へ滑り出す。
リナが息を整え、祈りの言葉を短縮して紡ぐ。
「【光紋(ルクス・グリフ)】――肺波安定」
船員の呼吸が楽になり、顔色が戻る。
第一試験――圧階の適応。合格。
だが、次が来る。
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Ⅳ 第二試験――鯨骨行軍(レヴィアタン・リブ)
海底の暗がりから、白い行列が立ち上がった。
肋骨のアーチ、空洞の眼窩、長い尾。巨大な鯨の骨が、兵隊のように歩いてくる。
「骨の軍勢、正面! 数、百を超える!」
セレスの声と同時に、前列の骨兵が胸腔の灯を一斉に点した。
――誘導だ。灯が誘い、包囲の輪を締める。
「包囲させる」
「え?」とリナ。
「包囲は環状回路だ。なら、ひっくり返せる」
俺は腰の銃――**《方舟砲(アーク・キャスター)》**を抜き、銃身を握り直す。
闇光の粒子が淡く集まり、銃内の演算が火傷のように指先を焼く。
「【規格武装:方舟砲】――散弾配線/環状反転」
光が破裂し、鯨骨の輪を外から内へ押し潰す。
同時に、ガロムが笑いながら飛び込む。
「骨なら砕ける!」
大斧の平で関節輪を叩き、セレスが鍔で節を外す。
リナの光鎖が胸腔灯を無致死で封じ、骨兵団は次々に砂の山へ崩れた。
「……数、減ってるのに増えて見える」と副官が喉を鳴らす。
骨は潮流で再組立されている。戦場そのものが工房だ。
俺は海底の配線を覗き込み、薄く笑う。
「なら――工場停止だ」
「【改造(リフォージ)】――潮流逆相/再組立キャンセル」
潮が止み、骨はただの骨へと戻っていく。
第二試験――群体誘導と工学的対処。合格。
……都市が、こちらを見ている。
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Ⅴ 第三試験――沈降圧(アビサル・ロード)と音
天蓋の塔が開き、都市全体の圧が下りてきた。
骨が軋む音に重なる、低い唸り。音が水を押してくる。
「圧だけじゃない。音圧だ」と俺。
船員の鼓膜が破け、血が滲む。怯えが連鎖しかけた瞬間、リナが前へ出た。
「私が、拍を合わせます!」
「【光紋】――共鳴遮断!」
透明な紋様が水に溶け、音の山を谷へ返す。
セレスが即座に号令。
「拍に合わせて呼吸! ひと、ふた、今――」
船全体の心臓がひとつになり、音の刃は鈍る。
俺はその余白を掴み、海そのもののオルゴールに手を伸ばした。
「【演算掌握】+【複写陣】――位相回転。
【改造】――圧→浮力変換(カウンタ・バランサ)」
圧は浮力にほどけ、船体を支える力へ変わる。
甲板にへたり込んだ若い水夫が、涙をぼろぼろ落としながら笑う。
「……生きてる……!」
第三試験――複合圧環境での協調。合格。
――そして、代償が来る。
こめかみの裏が焼け、鼻血が潮に散った。
脳が、他人の記憶で満たされていく。古代の設計士の手。砕けた定規。濡れた羊皮紙。
道具で殺すな。道具で生かせ。
声が千重に重なる。
「アレン!」リナが肩を掴む。
「平気だ。まだ持つ」
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Ⅵ 第四試験――幻肢(ゴースト・リグ)と選別
都市の中央、広場に降りたときだった。
俺たち自身がもう一隊、路地から歩いてきた。
同じ顔、同じ呼吸、同じ陣形。
幻影ではない――模倣結果だ。深海主脳は僕らの正解を出してきた。
「面白ぇ」とガロムが笑う。「同じ俺は叩きやすい!」
斧と斧がぶつかる。相手はまるで俺で、力の流し方まで同じだ。
セレスの刃は刃で止まり、リナの光は光で対消滅する。
――戦場の、選別。
「正解は一つじゃない」と俺は呟く。
俺は自分たちの動きをわざと崩した。
呼吸を半拍早め、足を半寸外へ踏む。ガロムの打ち下ろしに余計な捻りを挿み、セレスの剣筋に汚い角度を混ぜる。
「合わせろ、**不恰好(ノイズ)**に!」
リナが理解したのは最初だった。
祈りの言葉をわずかに噛み、光紋の辺を崩す。
“正しい”模倣は狂い、相手の光は自壊した。
ガロムは柄で肩を当て、セレスは鍔で指を弾き、俺は方舟砲の狙いをわざと外し、その反動だけで軌道を作る。
正解外が勝つ。深海主脳は標準化を試し、俺たちは人間で答える。
第四試験――規格化への抵抗(アンチ・スタンダード)。合格。
都市が、深く息をついた。核心が近い。
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Ⅶ 主核――クジラの心臓(レギュレータ・コア)
広場の底が割れ、心臓が現れた。
骨ではない。筋でもない。設計そのものの塊。
柔らかな灯が八方へ管を延ばし、都市を動かしている。
『――最終問。
設計士、汝は自然を破壊せずに設計できるか』
銃を構えた俺の指が止まる。
撃てば壊れる。壊せば楽だ。
だが、それは正解ではない。
「壊さない手で、止める」
俺は方舟砲を解体し、部品を空中で並べ替えた。
闇光の導管はそのままに、余剰の熱と圧だけを拾う回路へ組み替える。
「【規格武装:方舟砲】――吸圧形態(シフォン)」
銃口が灯に向き、撃鉄が落ちる。
撃たない。吸う。
都市の余剰が銃内に吸い込まれ、燃える痛みが手首から肩へ走る。
「リナ、光背!」
「【光紋】――反照帯(アルベド・リム)!」
吸い込んだ余剰が背へ回り、光の輪となって広場を守る。
セレスがその輪の縁を切り、ガロムが輪の外を殴らないで押す。
都市の脈が落ち着き、心臓が柔らかく沈んだ。
――最終問、合格。
視界が白に満ち、俺の頭蓋の内側に新しい図面が焼き付いた。
《新スキル獲得――【深淵設計(アビス・ブループリント)】》
圧・潮流・温度・音圧・浮沈・群体……環境因子を規格として設計対象化する権限。
代償:脳神経への過負荷、短期記憶への干渉、長時間行使時の同一性ドリフト。
膝が崩れ、片手をついた。
世界が揺れているのではない。俺が揺れている。
「アレン!」とリナが支え、セレスが肩を貸し、ガロムが笑って背中をどんと叩いた。
「壊すのは誰でもできる。止めて、活かして、持って帰る――それが設計監だろ?」
息が、一本の線になって戻ってきた。
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Ⅷ 黒、深く――提督の影
……静寂は、長く続かなかった。
都市の外縁。深い闇の向こうで、黒い弧がいくつも点いた。
灯りではない。口だ。
黒曜アーク――帝国の規格艦隊が、深海規格の外層を吸っている。
水が削られる音が聞こえた。
(海には音がない。あるのは圧だ。だが、これは音だ――喪失の音。)
「ようやく辿り着いたか、設計監」
声が、海の底からそのまま響いた。
グラディウス提督。規格文明を兵器に調律する男。
「君が“正解外”を選ぶ設計士だということは理解した。だからこそ試す。
――標準化された悪意に、人類は適応できるのか?」
黒い弧が開き、深海都市の外側を片端から喰い始める。
潮流が欠落し、光路が短絡し、海の心臓へ負荷が跳ね上がる。
セレスが剣を握り直す。「状況、最悪。ここで止めなければ地上へ波が上がる」
ガロムが大斧の背で欄干を叩く。「黒曜アークを海の外へ引きずり出せるか?」
俺は頷いた。
深淵設計。環境因子を設計する権限。
なら――海そのものを舞台装置にする。
「やる。海を逆オルゴールにして、黒曜アークの“定常”を崩す」
リナが眉を上げる。「代償は?」
「同一性ドリフト。……戻れなくなる危険。でも――戻る。設計して戻る」
彼女は短く目を閉じ、指先で俺のこめかみに光印を押した。
「あなたがあなたに帰って来る導線です」
温度がひとつ、固定された。
俺は海へ両手を広げる。
「【深淵設計(アビス・ブループリント)】――
外層潮流:逆相槌/音圧:拍ズラし/圧力:段差化/温度:層面転写」
深海が、音楽になった。
波は拍で踏み、潮は弦で張り、圧は打楽で揺れる。
黒曜アークの黒い弧が、同調できずに軋む。
「今だ、ガロム!」
「おうともよ!」
大斧が水を叩き、波節が弧の縁を噛む。
セレスが剣で拍を刻み、リナが光で調弦する。
黒曜アークの口が一枚、外へ弾き出された。
――一枚では足りない。
艦隊だ。数はまだ、桁で残っている。
提督の声が静かに笑った。
「美しいよ、設計監。君の設計はいつも“人間”だ。だからこそ――折る価値がある」
海が、さらに深くなった。
⸻
Ⅸ 設計は刃ではない――それでも、戦う設計
目の端で、リナが小さな子どもを抱く姿が脳裏に差した。
港で泣いていた、あの子の顔だ。
――この一線を越えれば、あの子の街に波が届く。
「線を引く」
俺は自分の胸の導管を、自分で刻んだ。
ここまで。ここから先は消せる線。
「【深淵設計】――多層固定(マルチレイヤ・ロック)/仮設堤(テンポラリ・ダム)」
海は橋になり、堤になり、舞台になった。
黒曜アークの弧はその上で滑る。噛みはしない。歯を立てられない。
提督の声が、初めて低くなる。
「――撤収。解析を優先する」
黒い弧が閉じ、闇が一歩だけ退いた。
勝利ではない。延期だ。
だが、今日は守った。
甲板に戻ると、リナがその場に座り込んで泣いた。
セレスは静かに剣を納め、ガロムは樽を抱えて豪快に笑い、しかしその目の奥は赤かった。
「おいおい、泣いたやつは飲め! 泣かないやつも飲め! 生き残ったらまず飲むのが規格だ!」
笑いが起き、潮が引いていく。
俺は船縁にもたれ、空を見上げた。
海の上の空は、まだ淡く図面を残している。
道具で殺すな。道具で生かせ。
古い声は、いまは俺の声だ。
⸻
Ⅹ エピローグ――灯り、戻る
王都の港に戻ると、焼け跡の上に灯りが戻っていた。
修道女が鐘を鳴らし、老石工が石畳に両手を置く。
子どもが駆けてきて、俺の服の裾を掴んだ。
「帰ってきた」
俺は頷き、膝をついて目線を合わせる。
「ああ。帰ってきた。――また行く。次は、もっとちゃんと戻る」
子どもは分かったのか分からないのか、でも笑って頷いた。
その笑顔へ、線を一本、胸の内に引く。消せる線。戻る線。
夜。工房の炉が橙に揺れる。
机上には解体した方舟砲の部品、深海で採取した音圧鉱(ソノライト)、微細な潮紋を刻む薄板。
俺は設計を始めた。戦いながら、なお街のための規格を。
窓の外、港の灯りが風に瞬く。
遠い外洋では、黒い弧がきっと歯を研いでいる。
――構わない。設計は刃ではない。舞台だ。
次回、深海規格の延長戦。黒曜アークの標準化兵装を、非致死で止める回路を作る。
そして、俺たち自身の同一性を、設計で守る。
世界は設計図。設計図は書き換えられる。
俺は、今日も消せる線を引く。
⸻
※この話で開いたもの
・新スキル【深淵設計(アビス・ブループリント)】解禁
・方舟砲の
・深海試験の四段構成(圧階/群体/複合圧+音/規格化への抵抗)
・黒曜アークの“外層吸食”と提督グラディウスの狙い=「標準化された悪意」
・アレンの代償:短期記憶のノイズ・同一性ドリフト → リナの「光印」で帰還導線
・次回:標準化兵装の非致死無力化規格を実装、黒曜アーク小隊の引き剥がし戦へ
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