第7話 巡礼路の封鎖──祈りを通す線

一 王都の朝、石が覚えた声


 北境の“流血なし”終結から一夜。王都の朝は、石畳の冷たさの上に、いつもより柔らかい足音を載せていた。

 露店の魚商人が桶を並べ、腹から声を出す。「おい、今日は腐りが少ねぇ! 荷が早く着いたぞ!」

 香辛料商は半信半疑で鼻を鳴らしながらも、足で石目を数える。「……導線が変わってる。誰かが“流れ”を直したか」

 パン屋の娘が窓から身を乗り出し、粉のついた指で空を指す。「昨日の夜、星に線が引かれてたの、見た?」

 老兵が酒場の戸口で笑う。「星に橋を架けられるなら、こぼれた酒も戻してくれや」


 俺は膝をつき、石畳へ掌をあてる。

「【街路録(ストリート・レコード)】──市声収束(シビック・コーラス)」

 石が昨夜から今朝までの踏まれ方を淡く映し返す。安堵、戸惑い、期待、そして小さな疑い。

 ――“斬らずに済むなら、それでいい。ただ、線に縛られるのは怖い”

 声は揺れている。けれど、託す重さは確かだ。


 リナが紙包みを抱えて駆け寄り、焼きたてのパンを差し出す。「朝ごはん、忘れてませんか」

「助かる」ひと口。塩の加減が絶妙だ。

 ガロム・ブレイザーが大斧を肩に引っかけ、口元を拭いながら現れる。「空の線で街が回るなら、酒樽の運びも楽にしてくれ。腰が死ぬ」

 セレス・アルダインは鎧紐を締め直し、短く笑う。「楽にしながら背筋は伸ばす。設計監、今日の議題は“祈り”だ」

 頷き、城へ向かう。石は足音を覚え続ける。次の線に必要な材料として。



二 四回廊会議──祈りと商いと剣と学


 王城・作戦室。壁面の地図には昨夜の空図が半透明で投影され、各国の紋章旗がその上に立っている。

 王は着座せず立ったまま言う。「北境は止めた。次は砂漠。巡礼路が封鎖され、祈りが滞る。暴発の火種になる」


 砂漠王国の使者は額の宝玉を揺らし、声を荒げる。「聖域が踏みにじられている! 巡礼の名で武装商人が入り込み、祭具を担ぐ子らの足元に鉄が落ちるのだ! 封鎖は、聖を守るため!」

 海洋同盟の提督は潮の匂いの外套を撫で、「巡礼が止まれば交易が死ぬ。飢えるのは市民だ。港は既に緊張し、武装商船が集結しつつある」

 北方連合の将軍は指で机を叩く。「ならば槍で道を開け」

 東方帝国の使いは薄笑い。「槍で通した路(みち)は、祈りではなく怨嗟を運ぶ。設計士、君は線で歌を通せるのか?」


 視線が俺に落ちる。

「通せる」

 規格鍵を卓上に置き、空の図面の“薄膜”を指で摘む仕草をする。

「祈りは韻律だ。呼吸、歩幅、詠唱……どれも数式へ落ちる。なら、**祈路(オラクル・レーン)**として敷設できる。剣を抜かずに」


 沈黙ののち、王が頷く。「軍は護衛に徹する。セレス」

「はい。盾列で襟巻を作り、列を守ります。刃は抜かない」

 ガロムが笑う。「押し合いへし合いなら任せろ。暴れ馬と喧嘩して育った腕だからな」

 リナは杖に指を添え、真っ直ぐこちらを見る。「祈りの拍を“見る”。光で補助します」


 王は剣の柄へ軽く指を触れ、宣言した。「設計監アレン・シグルド、巡礼路へ。祈りを通す線で火を消せ」



三 砂の境へ──乾いた呼吸


 王都から二日、砂丘は波のように果てない。熱い風が頬を刺し、靴底の砂がぎゅうと鳴く。

 丘の背で白衣が揺れていた。巡礼団だ。老いも幼も、歌うような祈りを断続的に繋ぎながら、封鎖の前へ集まっている。

 対するは盾列の兵。砂に半ば埋めた杭に盾を掛け、槍は下げたまま。緊張すれば、上がる。


 最前列の少年が、喉を枯らして叫ぶ。「聖なる歌は止まらない!」

 兵の若者が、視線を落とし、柄を強く握る。

 どちらの指も震えていた。ここでミスをすれば、祈りは血に染まる。


「アレン」

 リナの声。掌に小さな香袋が置かれる。砂漠の草から取った冷香がこめかみを鎮める。

「助かる」

 俺は砂に膝をつき、耳をすます。

「【解析(アナライズ)】──祈り韻律の抽出、呼吸相関、歩幅同調率、鼓動分布」

 砂が細かい震えで応える。祈りは単なる声じゃない。足裏の圧、杖の接地、肩の揺れ……全身が“拍”を出している。


 視界に青い線と拍点が浮かぶ。

 俺は指先でその線をすくい、砂の上へ落とす。

「【改造(リフォージ)】──**祈路回路(オラクル・レーン)**敷設」

 淡い光の細路が砂の曲面に沿って現れ、祈りの拍に合わせて呼吸する。

 同時に、兵の足元にも“退くための弧”を薄く引く。押し返さず、退却が“礼”になる線だ。


 セレスが盾列へ低く通達。「盾は上げない。線を守れ」

 ガロムが後列で声を張る。「押すなよ、押させるな。歌で運ぶんだ!」


 白衣の老人が震える手で一歩、線に足を載せる。

 祈りの歌が一拍、ずれた。細路がそれを吸い込み、正拍へ連れ戻す。

 列が自然と細く長くなり、兵の“退き弧”に触れない。

 誰も剣を抜かず、誰も怒鳴らない。砂と光と歌だけが、前へ進んでいく。



四 邪(よこしま)の介入──規格狩り


 順調に見えた列に、濁りが混ざった。

 祈りの句が半拍早い。呼吸の山が尖る。誰かが拍を狂わせている。

 砂丘の影。黒外套。女隊長。規格狩り(スタンダード・ハンター)の首魁だ。


 女は笑わず言った。「線は便利。ゆえに毒。祈りを導いた者は、祈りを支配できる。設計監、次は何を奪う?」

 周囲の信徒の目に不安が走る。言葉は設計を汚す。

 俺は短く吸い、吐く。

「奪わない。渡すために敷く。証明する」


 黒外套の影が砂に粉を撒いた。無臭の幻覚粉。“焦燥の幻”を見せ、列を崩す仕掛け。

 俺は砂ごと指先で払い上げ、式をひっくり返す。

「【複写陣(コピー・グリフ)】──霧式模写/【改造】──拡散逆相」

 焦燥は鎮静へ転び、粉は自分たちの面布に跳ね返る。影の肩がわずかに落ちた。


 さらに、祈りの列の端で、若い男がわざと線を外して兵へ駆ける。挑発役だ。

 ガロムが一歩で間合いをつめ、大斧の柄で男の手首を叩く。骨は折らない。刃は出ない。ただ痛い。

「歌うとこ間違えてんぞ。歌い直して来い」

 男は歯を食い、こぼした涙を砂に落として列へ戻った。列は崩れない。


 女隊長の目がわずかに愉しげに細まる。「ふむ。奪わず、返すか。……見極めは、まだ先だ」

 影は風に解けた。



五 儀礼と規格──砂に刻む“避け地”


 封鎖の指揮官が、杖を持つ聖職者を伴って現れた。

 革の乾く音。声は砂と同じ色で枯れている。「祈りは通せる。だが、聖獣の眠る丘は避けろ。輪を踏むな」

 俺は頷き、膝をつく。

「【解析】──**避け地(タブー・ゾーン)**の位置情報・口承の誤差・岩盤の導線」

 地下の石の向きが“避け地”の意味を強める方向へ流れているのが見えた。伝承は地脈にも刻まれている。


 そこへ新たに線を引く。

「【改造】──避け地強調」

 避けるべき場所の周囲に光の**位相杭(フェイズ・ピン)**を立て、祈路回路が自然と離れるよう“斥力”を与える。

 聖職者が目を見開き、胸へ手を当てた。「……この線は、祈りに礼を尽くしている」


 リナが位相杭のひとつへ指を添え、祈りの言葉を静かに重ねる。

 杭は一瞬だけ柔らかく光り、祝福の色になった。

 俺は彼女を見る。「ありがとう」

 「線は冷たいって言われるから」リナは笑う。「温度を、足す」



六 祈りは進み、兵は退く


 午後。太陽が砂を煮詰める時間、列は最も長く細く伸びた。

 幼子を抱く母の腕が痙攣しかけるのを、リナの**【光紋(ルクス・グリフ)】が支える。

 老人の膝に入った痛みを、祈路回路が一歩分だけ緩斜面**に変えて受け止める。


 兵の若者が俺へ視線を投げた。恐れと、助けられたいという色。

 俺は地面に短い弧を描く。退くための弧。

 若者はその弧に沿って二歩下がり、盾を少し傾ける。相手と目線が合い、少年と少年の距離に戻る。

 彼の喉仏が上下し、やがて小さく頷いた。斬らずに済む礼儀を、線が支えた。


 日が傾くころ、最後尾が封鎖線をくぐり抜ける。

 歓声は湧かない。祈りは静かに続き、砂に吸われていく。

 血の匂いが一滴もない帰路だけが、風に残った。



七 承認──空に走る回廊


 夕。王都の屋根、砂漠のテント、港の帆柱、塔の欄干……世界の上空に、新しい線が現れた。

 円弧が四重に重なり、星々をつなぐ一本の回廊が光る。

 祈路の規格が、世界の上位図面に承認されたのだ。


 歓喜より先に、安堵が来た。

 砂漠の聖職者は杖を握り直し、低く呟く。「これなら、神も怒らない」

 提督は港の欄干で海を見下ろし、「潮の道にも、同じ線を通せる」と短く言った。

 老兵は酒場で盃を置き、「……線が、剣を鈍らせた」としみじみ笑った。


 だが同時に、空図の片隅が黒くざわめく。

 北海から南の商路へ、棘状の細線が生え始める。

 伝令が駆け込む。「港の交易路に異常! 武装商船、集結中!」

 ガロムが鼻を鳴らす。「今度は海か。大斧は泳げねぇぞ?」

 セレスが笑い、「舟板の上でも柄は振れる」と肩を回す。



八 夜の幕間──代償と支え


 天幕の内。灯の明かりが揺らぎ、地図上の線も揺れる。

 こめかみの奥が、焼けた砂みたいに疼いた。

 【演算掌握(ドミナント・オペランド)】で、他者の演算を奪い・抱え・返すほど、反動が来る。

 他人の視界、他人の恐怖、他人の祈り。今日だけで、**何千の“他人”**が胸に沈んだ。


 リナがそっと座り、冷香を指で溶いて額にあてる。

「痛いのは生きてる証だけど、痛みっぱなしはだめ」

 笑いが零れる。「設計監の規格にも、休止符はいるか」

「入れます。休止符標準(レスト・スタンダード)、制定」


 セレスが帳をめくり、短く告げる。「明け方に動く。港へ最短」

 ガロムはすでに半分寝ていて、寝言で「樽は転がせ」と言った。たぶん本気だ。


 灯を落とす前、俺は掌を空へ向ける。

「【演算掌握】──多層固定(マルチレイヤ・ロック)」

 今日積み上げた合意の層を仮止めし、攻勢の棘に摩擦を与える。

 わずかな時間が買えた。その間に、海の線を描く。



九 規格狩り、夜の呼び声


 天幕を出る。砂は一気に冷え、星は近い。

 影から影へ、風のように黒外套が滑る。さっきの女隊長が、二尋離れて立った。


「今夜は刃は持たない。話に来た」

「聞こう」

 女は砂にしゃがみ、指で四角を描く。「線は境を作る。境は人を分ける。分けた人を、線で管理する。規格は、力だ」

「否定はしない」

「だから奪う。線の主導権を。神のためでも王のためでもない。誰のためでもなく」


 それは“空白”のために殺すという宣言だ。

 俺は砂へ同じ四角を描き、中央を真横に裂く線を一本引いた。「境は、渡すために引く」

「……渡す?」

「渡り切ったら、消せる線にする。人が要らなくなった線は消す。線が人を残す」


 風が女の外套を揺らし、彼女はしばらく黙って空を見た。

 やがて短く笑う。「聞いた。今夜は、それでいい」

 去り際、振り返らずに言う。「港は“規格の腹”だ。一番美味いところを、皆が狙う」



十 出立──矢より速いものを走らせる


 夜明けの一刻前、隊は静かに動いた。

 馬の鬣が揺れ、輪軸がほそく鳴る。兵ではなく、測量・補給・通信が先行する。

 提督からの返書が飛び込む。「潮の窓は六刻後。回廊(コリドー)を開ける準備はある」

 砂漠の聖職者からも連絡。「祈りは海へ流す。港の線にも祝詞を」


 俺は掌を地図へ。

「【構内設計(サイト・デザイン)】──野戦病院動線/補給分岐/退避路」

 セレスが頷く。「剣は抜かない。動線だけで勝つ」

 ガロムが背伸び。「樽は俺が転がす。海でも陸でも」


 最後に、石畳へもう一度掌を置く。

 王都の石が、今朝の声を返す。

 ――“決めてくれ。戦わずに済むなら、何でもいい”

 それは重い。でも、重いものを支えるのが規格だ。


「行くぞ」

 朝焼けが砂の縁を溶かし、空の端に薄い線が一本、海の方角へ走った。

 矢より速いものがある。合意と、補給と、設計図だ。

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